金色の瞳の青年
◆フェンシング専門用語◆
【マルシェ】 一歩前へ
【ファンデヴ】 突く
(フェンシング専門用語一覧もあります)
「マルシェ! 」
剣を構えたつばさが、コーチの声で一歩前にでる。いつも逃げ腰がちな彼女は、練習中によく、
「マルシェ」と言われるのだ。
一ノ瀬つばさ、高校2年生。フェンシング部に所属している。
「ファンデヴ! 」
練習相手の3年生が、言うと同時に剣を突きだした。うまく受けられなかったつばさは一歩、二歩とうしろに押されて、そのまま転んでしまった。
「つばさはすごくうまいのに、試合形式になったとたん、逃げ腰になっちゃうよね」
「だって、怖いんだもん……」
部活の帰り道、つばさはあんまんを齧りながらため息をついた。
「祐美は試合の日もあんまり緊張してないよね」
「まぁねー。だけどわたしはへたくそだもん。身体が思うように動かない。つばさは全身が柔らかいし力もあるから、あとは逃げ腰をなおせば強くなるよ」
2人は中学時代からの親友である。フェンシング部で出会い、おなじ高校にすすんだ。
「明日の練習もがんばろー」
「そうだねー。メンタル強くしなきゃ」
祐美が肉まんを食べおえるのをまって、曲がり角で別れた。夜の8時、あたりは真っ暗だった。
その日は満月であった。家に向かっていたはずのつばさが、急に学校のほうへともどっていく。月が照らす白い光りの道にそって、ふらふらとすすんでいる。
風は凪いでいた。遠くから、澄んだ鈴の音がする。
学校の前までくると、つばさは門を飛び越え、屋上まで上がって行った。屋上には、だれかが立っていた。黒く真っすぐな髪に、金色の目を光らせ、陶器のように白くなめらかな肌をした、うつくしい青年だった。
「お迎えにあがりました」
青年がそう言うと、つばさはようやく目が覚めた。
「え……。どうして……、わたし、家に帰ろうと歩いてて……? 」
「姫様、急がなければ」
「……姫? ……だれ? 」
「時間がありません」
つばさは混乱するばかりだった。見知らぬ青年は、ふっと眉をよせた。声は冷めているけれど内心は苛立っているらしい、とつばさは思った。
そのとき、月を背にして空から黒い影が近づいてきた。牛車であった。
「なにあれ……平安時代じゃあるまいし……」
夢を見ているのだろうか。つばさは自分の頬をぺちぺちと叩く。けれど、手のひらの感触は本物だった。
「姫様、お急ぎください、奴らがきました」
青年は急に声を荒げて、つばさの手をつかんだ。温度の低い、おおきな手だった。
「ま、まって、急ぐってどういうこと? どこへ行くの? 」
「輝夜です、輝夜国へ行くのです」
ぐっ、と手を強くひっぱられ、つばさは前のめりになる。青年はフェンスを乗り越えようとしているらしかった。
そのとき、牛車から影が二つ、落ちてきた。青い肌をした、鬼だった。
「え……な、なに、なにこれ……」
鬼があまりにも恐ろしい顔をしているので、つばさはとっさに青年のうしろに隠れた。
「大丈夫ですよ、あなたを守るのが、おれの仕事ですから」
青年は腰にさしていた刀を抜いた。鈴が鳴る。刀の柄に、赤い紐で結ばれた小さな金の鈴が揺れていた。
「あなた、だれなの? 」
彼は一瞬にして鬼の目の前まで迫っていた。
「青藍と申します」
答えると同時に、彼、青藍の刀が鬼の首を斬り落とす。赤黒い血が飛び散る。
「ひっ」
飛び散る血と、斬り落とされた首。つばさは後ずさる。
鬼は斬られてもなお、青藍に噛みつこうと首だけで突進した。青藍はそれを真っ二つに切り裂く。
「いや……血が……」
つぎの瞬間、もう1匹の鬼がつばさ目がけて体当たりした。つばさはとっさによけたけれど、フェンスにおおきな穴が空いた。
「た、たすけ……て……」
青藍はすぐにその鬼の胸を刀で貫き殺した。血しぶきがつばさの頬や手にも飛んできた。
「血が……い、いやっ……」
青藍がのばしてきた手を思わずはねのけたつばさは、逃げようとしてフェンスに空いた穴のほうへと下がってしまった。
「姫様、うしろは」
さらに手をのばしてくる青藍から逃れようと、つばさはまたうしろへ下り、足が宙を踏んだ。真っ逆さまに落下していく。
「姫」
青藍の声がかすかに聞こえた。風を切る音が耳をつんざく。そっと開けたつばさの目に映ったのは、後を追うように飛び降りてきた青藍の、金色の瞳だった。