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我が家の庭には、薔薇がありません。どんなに品種改良が進んで棘のない薔薇をつくりあげても、薔薇から棘を完全に失くすことができないので、怪我をしては行けないというのです。
それに反対するほど今まで薔薇に興味がなかったのですが、連れて来ていただいたこの場所は見事の一言に尽きました。
右を見ても左を見ても薔薇。芳香がほのかに混じり合い、優美な色合いが緑に映えます。色はもちろん、花の形も咲き方も、これほど種類があったのかと驚かされるほどでした。これほど圧巻の光景を、今まで見たことがありません。薔薇のためだけの敷地といった風情です。
前世でも世界一愛される花と言われていましたが、この世界であっても同じようです。多く飾られるのはもちろんのこと、これほど種類を生み出すのは、長い時間愛され続けてきた証です。何より驚くべきことに、咲いている薔薇のうちに青色がいくつかありました。淡い青からはっきりしたもの、お父さまの瞳のような藍色もあります。珍しいものなのか、青い薔薇だけは他の家で飾られていた記憶はありません。
まあ、剣と魔法のファンタジーです。わたしは髪も芽も赤茶の地味な色合いで、お父さまだって瞳が藍色なだけ、ネヴィルだって瞳が鮮やかすぎるものの金髪緑目ですが、他に目を向けてみれば赤やら青やらピンクやら。生物の色素は前世と異なっているのですから、青い薔薇も咲きましょう。
こうやって常識がひとつ上書きされるたびに、ほんの少し寂しいような気がします。わたしはセラフィーナであって、落合芹はもう過ぎ去った過去なのです。ひとは過ぎ去った過去には戻れません。変化を続け、今の常識を受け入れていくしかないのです。
青い薔薇に視線を止め、違いから前世に思いを馳せそうになるのを、立ち止まりかけた足に気付いてかけられた声で振り払います。挨拶に伺った主催者の方は穏やかそうで、薔薇にこだわっているのはご長男なのだと笑って教えてくださいました。
それが済むと、子どもの社交のお時間です。お父さまは露骨に心配して、一緒に居ようかとか一緒に居てくれとか言いますが、もちろんお断りします。お父さまと話したい方々の迷惑になってはいけません。
今回はあまり小さな子どもが見受けられず、世話係には逃げられなさそうですが、話し相手が居なくても美しい薔薇を見ていればあっという間に時間が過ぎそうです。心配いりません。
とりあえず子どもの多い立食テーブル周辺に行こうと、お父さまに背中を向けました。山のように盛りたてられたスイーツ類は、前世と変わらない発展を遂げているのです。遠目からでもわかる、薔薇園に相応しい薔薇モチーフ。あんまりぱくぱく食べてばかりは はしたないですが、全く手をつけないのも失礼でしょう。色とりどりのそれらが目に楽しいです。
家に帰って頼んだなら、きっと際限なく高級で美味しいお菓子が集められてしまいます。入手が難しいお菓子が常備される我が家です。想像が容易なので、こちらから甘いものを望むことはほとんどしません。それに、好きなものを選んで食べられるのはこういった沢山の人が来るところならでは。
うふふん、いったいどんなものが並んでいるのでしょう。じっくり吟味しなくてはなりません。
そうやって鼻歌を歌わんばかりににこにこしつつ草を踏みしめると、お父さまが「そういえば」とぽつり声をあげました。
「言い忘れてたけど、セリー。今日はあの彼、ネヴィルくんだったかい? は、従者お休みだからね」
「……はい、それが?」
本日お休みなのは、昨日から知っています。
足を止めて首を傾げると、おっとり笑うお父さまが髪を崩さぬようぽんぽんと頭を撫でてくださいました。
「だから、今日はちゃんと男爵家の人間として接するんだよ」
セリーは頭が良いからわかってると思うけど、と続けられるも、言われてることがよくわからずに首を元に戻せません。
今日は?
そんな反応に気付いて、お父さまはおやと目を瞬かせました。
「聞いてなかったのかい? 彼が休みを取ったのは、今日のこの会に参加するためだ。強制ではないのに、わざわざ。彼がきみのプレゼントとしてやってきてかあ、こういう公の場は初めてだからね。」
従者は一人と決まっていたし、と、お父さま。セリーの参加を知ってから、大急ぎで実家に連絡をとっていたよ、なんて、ちょっと待ってください。
その驚愕の事実に、わたしは笑顔をぴしりと固めるしかありません。
だって、今日、この園遊会に参加するために休みを取って帰ったのなら。わたしもネヴィルもここに参加すると知っていたのなら。
ネヴィルのあの嘆きようは、二日三日の話ではなく、一日以下の別れに対してのものだったということに、なります、ね?
あれだけ騒いでいたというのに、別れともいえない別れだったと知らされ、いっそう彼のことがわからなくなりました。オーバーにもほどがあります。
痛む頭をごまかすように溜息を吐きました。もう、今日会いたくないんですけど。