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新しい話は前話から。
それは、昨日のお昼のことでした。とても憂えた顔をして、何かに耐えるように唇を噛み、俯き声をかけてきたネヴィル。見かけは天使なので、思わず抱きしめて撫でてあげたいような気持ちになります。嫌な予感がするので絶対しません。
しかし、心配なのは確かですので、きちんと向き合って話を聞きます。
「どうしたんですか、ネヴィル」
そういえば、ネヴィルには「従者にそのような言葉遣いは」と窘められてしまいましたが、この世界で言葉を覚えたときからずっとこの口調なので変えられません。使用人の方々は勿論のこと、お母さまも丁寧語でしたので、言葉を必死に覚えて定着したあたりで丁寧語だったと知ったのです。なので、この口調以外の言葉はたまに意味をとり違えたり、聞き取れないことがあります。もうほとんどそんなことはありませんが、大きくなってからもそこまで崩れた言葉使いをする方と接していないので、前世のように方言やスラングを理解することはできないでしょう。
どうでもいいお話でした。
ネヴィルはぐっと拳を震わせ、そしてゆっくりと音を紡ぎます。
「……セラフィーナ様の従僕は、私だけですよね?」
「そうですね」
「これからも、ずっと、そうですよね?」
「ええ、たぶん」
そもそも子どものわたしに専属の従者はほとんどついていません。これから付くとしても、従僕でなく侍女でしょう。あとは護衛ですが、彼らは出かけるとき以外は屋敷の警備についています。付き従ってはおりません。
彼が他の人間を側に置かせたくない様子なのは見ればわかりますが、突然そんな思いつめた様子で言ってくる理由がわかりません。まさかわたしの従僕が大人気で、誰かに辞めて代わるよう言われた、なんてこともないでしょう。お父さまも彼も、わたしに話の流れを掴ませない能力が高すぎます。
うーん?と首を傾げ、少し憂いの緩んだネヴィルに続きを促しました。
「実は、……本日これから、明後日まで休暇を頂いて、実家に帰ることになっております」
「まあ、楽しんでらっしゃい」
そういえば、ここに来てからネヴィルにちゃんとした休暇はなかったかもしれません。いや、我が家ではどのような位の方も週に一度は休みをかならず取るように徹底されているらしいので、もしかしてお休みの日もわたしの側でいつも通り過ごしていたということでしょうか。休んでください。今度から気をつけよう。
まだ子どもなのに、こんな長い期間親と離れるのは内心では不安だったのではないでしょうか。慣れないことに疲労も溜まっているはずですし、きっと心配していらっしゃるご両親にうんと甘えてくるといいと思います。
だから楽しんできてください、と言っただけなのに、ネヴィルは衝撃を受けたかのように目を開き、眉尻を大きく下げました。
うん?
なにか、お休みが嫌な理由でもあるのでしょうか。明後日までの休暇ということは、用事なのでしょう。そんなに嫌な用事、うーん。思い至らず首を傾げました。
少しの間を置いて、はっとします。ネヴィルは男爵家の子どもで、とても綺麗なのです。我が家で従者などやっていることは他言無用なはずですし、もしかして、身分をかさに、望まぬ婚約や養子縁組なんて話があるのでは……!?
養子縁組というのは、まっとうでないこともあるのです。そう、意味としては身売りに近いのでしょうか。セリーになってからは聞いたことがありませんが、前世ではそうやって無理矢理引き取って手篭めにする話も読んだことがあります。なんて卑劣! そんなことになるならお父さまに頼んでなんとかしてもらいましょう、我慢なんてしなくてもいいのです。
ウッと目頭が熱くなりかけたそのとき、悲痛な顔をしたネヴィルが胸元を握りしめ、「セラフィーナ様は!」と声を荒げました。安心させようと、そっと手を伸ばします。大丈夫ですよ、お父さまにお任せしましょうね。
「セラフィーナ様は、三日も僕がお側に居らずとも平気なのですね。僕は本日セラフィーナ様が夕食のために着替えるドレスを、旦那様を出迎える際の微笑みを、湯浴みを終えて頬をばら色に染めしっとりした髪をお拭きする瞬間を、一日の最後にセラフィーナ様の視界に映り最後のお声を聞き、眠りにつかれるその一瞬を見ることが叶わないというだけで胸がはち切れそうだというのに! もちろんわかっています、僕はただの従者です。けれどセラフィーナ様が明日初めて口にされる飲み物を準備するのが僕でないなんて、初めて発する挨拶が他の者のためだなんて! 以前はセラフィーナ様のお役に立てるならばこの身投げうってでも、お側に近づくことが出来たなら至上の誉れとさえ思っておりましたが、どうやら僕は贅沢になっていたようです。貴女の微笑みを一番近くで見ていられないことが、これほどまでに苦しい……」
ウソみたいだろ。本気なんだぜ。これで。