おとうさまのプレゼント 後
お父様に頼んで彼と二人にしてもらい、ぐっと床を見つめる彼に話しかけます。
だって、まだ名前も知らないんです。
きっと怒りに怒っている彼に話しかけるのは恐ろしかったのですが、話をしなければ進みません。
「あの、わたくしはセリーと申します。12になりました。このたびは、ええと、ごめんなさい。無理に連れてこられたのでしょう? お友達と言ったので、おうちに帰してあげられると思いますから、安心してくださいね」
「…………すか?」
「え?」
「私では、駄目でしたか? 貴女にはふさわしくない? 僕を、捨ててしまうんですか?」
「えっ」
「貴女に望まれたと聞いて僕がどれだけ歓喜したことか……! それなのに、貴女は、っ!」
いやちょっと待ってくれ。
思わずお嬢様言葉が抜けて、一歩後ろに下がります。
しかし彼はそのぶん詰め寄り、そのエメラルドを揺らめかせていました。
前述したように、わたしは彼の名前さえ知らないのです。
お茶会でちょっと見惚れただけ。それなのに、なんでここまで言われているのか。
疑問は、そのままぽろりと口から零れてしまいました。
「な、なんでそんなに、」
口に出して、はっとします。
わたしの元に来たかったのかと思ってしまいましたが、そうではなく、帰りたくないのではないでしょうか。
つまり、「貴女に望まれたと聞いて僕が(とうとう家から出られると)どれだけ歓喜したことか」というわけです。
この国、妾腹や前妻の子は少なくありません。そしてそういった子どもが虐げられることも、悲しいけれどままあることです。
髪には艶があり、体型も10歳前後の子どもとしてはおかしくない丸みを帯びているし、服も綺麗なので、生きていくに問題ない世話はされているのでしょう。
けれど無視されたり、冷たく当たられたり、もっとひどく見えないところを苛まれて深い心の傷を負っていたり……?
想像するだけでつらくなり、口元を覆います。想像力は巧みなほうです。
前世の記憶がその想像の素材になり、涙さえ浮かびそうなほどです。
そうですよね、辛くて逃げたかったんですよね。
だからそんなに必死なんですよね。
「貴女のものになれると聞いて、止める両親を振り切っても馳せ参じたのです……! 貴女のものになれない僕など、なんの価値もない!」
あっこれ間違いなくそんな事情ないわ。
幾度にも渡り、十年近くも続けてきたお嬢様言葉が崩れます。内心だけですが。
お父様もこの子もどうしちゃったんでしょうか。
娘のために子ども一人お金で連れてくる父親もどうかと思えば喜んでやってくる子どももなんなんでしょう。
思わず遠い目をすると、彼はがしりとわたしの手を握りました。
見目麗しいからか、あまり不快感はありません。ただ、こわい。
彼はうっとりと潤んだ目、白い頬を紅潮させ、歳に見合わぬ色気を醸し出していました。
この雰囲気を色で言うなら紫。
ピンクなんて甘い。
陶酔という言葉が似合う淫靡さです。
ごきゅり。思わず生唾を飲みます。剣でも習っているのでしょうか、硬さのある掌がひどく熱く感じられました。
「貴女と出会ったとき、僕の心臓は確かに一度止まり、そして再び動き出しました────正に雷に打たれたが如く! 色のない世界が途端に鮮やかさを増し、空気が清涼に満ち、福音が鳴り響いたのです! もしも貴女に会見えることができるのならば、他に望むべくは無いと思い、この己が身貴女の為に使える未来は無いものか日々悩んで居りました。それが、貴女に目を留めて頂けたと伺い、僕は興味が無いどころか疎んじてさえ居たこの目立つばかりの容姿に生まれて初めて感謝致しました。嗚呼、貴女のお役に立てぬ未来などなんの価値も無い……! けれど、この身が厭わしいと仰るならば僕は、僕は貴女の視界に入らぬ事を誓います、けれどどうか、どうか貴女の為にこの身使うことをお許し下さい!」
恍惚とした顔が一転、絶望を堪えるような、泣きそうな表情をする美少年。
大袈裟な抑揚とその表情の移り変わりは、俳優か吟遊詩人に向いているかもしれませんね。声も良いですし。長
台詞は残念ながら耳を滑ってゆきましたが。
決して理解できなかったとか理解したくなかったとかそんなことではありません、ありませんとも。
聞きたくなかったわけではなくて、吹き抜ける風のように耳に抜けて行ったのです。
痛む頭を抱えたい手は、白磁の手に包まれたまま。
ああダメ、考えるのを放棄してはいけませんよセリー。
今日のおやつや空の青さに思いを馳せたくても我慢するのです。
しかし目の前の彼にどう対応すべきなのか、わたしにはわかりません。えーとえーと、つまり。要点を整理すると?
「おともだち、では、いやだということですか?」
よくわかりませんが、なんか、とにかく帰りたくないんですよね?
混乱でぐるぐるしてきてしまった頭では、そこまでの理解しかできません。し、あんまり理解しちゃいけない気がします。
スルーです。
深く聞かない! 聞いてはいけない!
そう決意を固めると、彼はころっと表情を変え、うっとりと微笑みます。
「僕の望みを申し上げてもよろしいならば、未来永劫、いいえ貴女の命が尽きたとしても貴女の最も側に侍り、朝のひとときから病める時も健やかなときも常に誰よりお役に立ち、誰より貴女を解し、全ての貴女を害す者からお守りしたく思います。ですので、今は貴女の一の従者となれたならば実に欣幸の至りと存じます。」
「はっ? え? そっ、そうですかー!ではそのように、ええ、そうしてください」
「畏まりました、セラフィーナ様。私のことはネヴィルとお呼びください。」
「ネ、ネヴィル様」
「ネヴィル、と」
「ネヴィルさん……」
「ネヴィルです」
「…………ネヴィル」
「はいっ」
にっこり。
ようやく知れた名前を呼べば、初めての子どもらしい無邪気な笑みが返ってきて、ついついこちらも微笑んでしまいました。
金髪にエメラルドグリーンの瞳、整った顔立ちは、そうしていればまるで天使のようなのです。
そんなころころ変わる彼の雰囲気に、わたしはすっかり流されてしまっていて、だから気付いたのは「旦那様にご報告して参ります」と彼が部屋を出て、屋敷の使用人と部屋に戻る最中のことでした。
とりあえず頷いてしまった言葉を、よくよく考えてみると、もしかして。もしかしなくても。
「ネヴィルがわたしの従者としてずっと側に居るという、こと、ですね……?」
未来の疲労感を込め、ぽつり呟かれた言葉は、微笑む周りの使用人たちには聞こえなかったようで、なんの返答もないまま廊下に消えてゆくのでした。