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パウラ様の仰った言葉がわたしの認識と違いすぎて、なんと言っていいかわからずに瞬きます。聞き間違いかしら。そう思うのに、不機嫌な「母上」との呼びかけに彼女は同じ内容を繰り返しました。
「そんなに不機嫌そうなのを見るのも初めてだな。生まれてから一度もにこりとすらしなかったのに、ずいぶん感情豊かになって。」
「一度もというのは言い過ぎでしょう。」
「いやあ、首がすわる前から一度もぐずらず、泣きも笑いもしなかった。感情がないんじゃないかと心配したものだよ」
「赤ん坊のころはそうだとしたって、話せるようになってからは笑顔も見せていたはずです。」
「笑顔といったって、愛想笑いだったじゃないか。」
すっと表現を薄くすると、ネヴィルはやはり人形のようです。パウラさまはその冷たい顔にちっとも動じることなく、それどころかむしろわたしにとって常態の微笑みネヴィルが珍しいもののように仰るのでした。
話せるようになってから、すぐに愛想笑いを覚えたネヴィル。そうならざるを得なかった環境を想像して胸が痛みます。第一子であるお兄さまを可愛がり、もしくは次期当主を早くも決めたい親戚が、ほんの小さなよちよち歩きの子どもによってたかって本当の笑顔を奪うのです。
震える唇を手で隠し、隣の彼を見やると、気付いたエメラルドグリーンが柔らかく弧を描きます。
……これも、ほんとうは愛想笑いなのでしょうか。
ずっと一緒に暮らしていたお父さまの静かな横暴さに気づかなかったところからもお察し頂けるように、わたしは相手の本質を見抜く力が少々足りないようなのです。まだ名前が芹だったころから、そう見せているものをそのまま額面通りに受け止めてしまうことが多くありました。隠し事を見抜く方法がうまく適用できないのです。
貴族令嬢としては致命的とも言えますので、授業の一環で表情を隠す訓練とともに嘘を見抜く術なんかも教わるのですが、一番苦手な内容なのでした。ネヴィルの感情表現も、暴走も、なにか利があって──例えばお父さまと取引をしているとか──装っていたら、気付けないでしょう。
長い間ならいずれはボロが出るのかもしれませんが、まだひと月の関係では違和感を覚える平素が培われていないのです。
それでもなんとか本心を見抜かんと、覚えた翠との差をじっと探しました。
「あの、セラフィーナ様?」
「ネヴィル様……」
「そんなにじっと見つめられると」
泳いだ目がちらちらと戻り、まろい頬に赤みがさします。前世で見た海外ドラマでは心拍数や体温を自在に操れる男性が居ましたが、さすがにネヴィルもそこまではできないでしょう。
見られるのは苦手なのでしょうか。こんな美少年顔でそれだと、いずれ成長して年頃になったら苦労しそうですね。脳内メモに書きつけます。
よくよく考えてみれば、わたしがネヴィルについて知ってることはほんの少しです。従者ではなく、わたしは友人として遇すると言ったのに。
今でもなんでわたしに熱をあげているのかわかりませんし、すぐに冷めるとも思っていますが、それで従者を止めて距離ができたって、友人で居ることはできるのです。ことさらに距離を置いておく必要はなかったのだと気付きました。
わたしの意志ではなかったといえ、ネヴィルを奪っておきながら、「ちょっとよくわからないから放置しておこう」という態度はよくありませんでした。反省。これからは従者でも友人でも、きちんと受け入れていきたいものです。
自分の中で今後の方針が決まったところで、忘れないうちに『友人のネヴィル様』にお願いをひとつしておきます。
「ネヴィル様」
「は、はい!」
「無理はなさらないでくださいね。なにかつらいことがあったら、教えてください。お友達ですもの。」
「つらいこと……」
手を貸しますとは言えないのがつらいのですが。
伯爵家の娘ですが、わたし自身に力があるわけではないので、話を聞くことしかできないのです。お父さまの助力を勝手にお約束もできません。個人で気を遣ってあげるくらいならなんとかなれど、それ以上は貴族のしがらみにひっかかってしまいます。
言いたいことを言って満足しました。ほんとうはメリザンド様と落ち着いてお話ししたかったのですが、ネヴィルを説得して従者を止めさせるにしても、そうでないにしても、まずは彼の希望をちゃんと話し合って聞かなければいけませんでした。わたしの浅い考えだけを持って、メリザンド様とは話せません。彼女が起きなくてかえって良かったです。
そうなると、わたしがここに居る必要もありません。
パウラ様にご挨拶もできてよかった。内心うむうむと頷いてお暇させていただこうと思うと、横から伸ばされた手がそっとわたしのそれを握りました。
「セラフィーナ様、私は今、ひとつだけとても辛いことがあります」
真剣な声に、きょとんと目を瞬かせます。思わずパウラ様を見ると、構わないというように微笑んで頷いてくださいましたので、話を聞きます。
「辛いこと?」
「ええ。想像するだけで身を切られるように辛いのです……このままセラフィーナ様とお別れすることが!」
「…………ええと。」
別のソファからは口元を抑えて吹き出す声。目の前の美少年は眉根を寄せ、瞳を潤ませました。翠玉の奥がゆらめきます。
戸惑いを無視するように、彼の落ち着いた声はいつもより上擦っています。ちょっと、わたしのシリアス気分はどうなるの、と浮かんだ非難は浴びせられる言葉に追いやられました。
「このままセラフィーナ様は会に戻られ、私の知らないところで私の知らない相手と話し、私が淹れていない紅茶を口にして、私はもうお側に侍ること叶わず遠くからそのお姿をお声を耳に入れることすら望めない位置から拝見し続けるしかないのでしょう、そしてこれほど美しい貴女に近寄る者共に歯噛みし貴女に微笑みかけられる者共を呪って、貴女と違う馬車に乗り違う先に帰るのです」
それがどんなに辛いことか、と悲痛に歪む顔。色素の薄い睫毛が震え、肌に影を落とします。爪は短く切り揃えられ、ふわりといつもと違う香りが漂いました。手袋越しの手はやはり硬く、熱い体温を感じさせます。
いろいろ考えたけどやっぱり現状維持でもいいんじゃないかな、なんて思ってしまうのは、けしてちゃんと向き合うのが面倒だからではありません。ええ、けして!




