あなたがおとしたのは…
新たに短編集として投稿しました。お暇でしたらどうぞ。
昔々の、とあるお話。
とある国の深い森の中にある小さな泉。そこが私の住家です。泉の女神、なんてものをやっています。
私は最高神様の指示により人間を観察するという役目に就いています。どのように観察するのかというと・・・
ボチャン!
……はぁ。またですか。
「あなたが落としたのはこの金の斧ですか?それとも銀の斧ですか?」
「いいえ!普通の斧です!」
「あなたは正直ですね。よろしい。元の斧に加えて、この金の斧も差し上げます。」
「いょっしゃあ!今夜は飲むぞぉ!」
…帰ったようですね。そう。泉に物を落とした人間に問いを投げかけ、それに正直に答えた者には落とした物より良いものを、嘘をついた者には落としたものを取り上げる。それが私の役目です。
2週間前まではこんな泉を訪れる者などいませんでした。しかし2週間前、一人の正直な青年が誤って斧を泉に落としたのをきっかけに、嫌になる程の人間が訪れるようになったのです。
その青年は先程と同じ質問に正直に答えたので、先程と同様に金の斧を与えました。
青年は正直者で善良でしたから、きっと村の者たちに話してしまったのでしょう。次の日から故意に斧を落としては「正直に」答えて金の斧を貰っていく者がぞろぞろと来ました。
唯一の救いは、彼らが農民ばかりだったことでしょう。彼らは金の斧を大量に溜め込むことよりも、飲み代を稼ぐことの方が重要だったようで、自分の飲み代さえ稼いでしまえば(つまり金の斧を一本手に入れさえすれば)当分の間来ることはありません。
とはいえ、私は自分の仕事について考えざるを得ませんでした。「正直」とは何か、人間を試す価値などあるのか、と。
そんなある日。
一人の男が泉を訪れました。意志の強そうな真っ直ぐな眼の男でした。
男は、泉を訪れる他の人間と同じように斧を持っており、本来斧を振るうべき木々には眼もくれずに泉へ向かって来ました。
そして泉に斧を投げ入れます。
またですか、と呟きたいのを堪え、呆れ顔になるのも堪え、私は金の斧と銀の斧を持って水上に姿を現しました。
「あなたが「金の斧だ!」・・・え?」
「俺は金の斧が欲しい!」
思わず絶句しました。男は己の欲望を包み隠すことなく露にしたからです。とはいえ、呆気に取られたままではいけません。役目を果たさなければ。
「あなたは嘘つきですね。斧をお返しするわけにはいきません。」
人間が嘘をついたのなら落としたものを取り上げる。こういうお仕事なのですから。しかし。思いも寄らぬ言葉が返って来ました。
「何を言うか。俺は嘘なぞついておらん!俺は金の斧が欲しいと言っただけで金の斧を落としたとは言っていないぞ。」
確かにその通りです。男は嘘をついたわけではありません。ならば、と私はもう一度問い掛けます。
「ではもう一度お聞きします。あなたが落としたのはこの金の斧ですか?それとも銀の斧ですか?」
すると男は少し考え込むそぶりを見せました。
「答える前に尋ねたいことがある。」
こんなことを言う人間は初めてでした。他の人間は金の斧を手に入れる最短の手段を取るばかりで、私に話しかける者などいなかったからです。
「私にお答えできることであれば何なりと。」
「ならば尋ねたい。私が仮に、金の斧を得たとして。その金の斧をこの泉に落とさば何如?」
……これは困りました。私はその場で何と答えようか迷いました。
正直に答えた者にはより良いものを。それが私のお仕事です。ならば金の斧より良いものとはどの程度のものを用意すればよいのでしょう。
少し迷って、私はこう答えました。
「そのような場合であれば私はあなたに問うでしょう。」
私は右手に白金の斧を、左手に金剛石の斧を作り出しました。
「あなたが落としたのはどちらですか、と。」
「ならば仮に俺が金剛石の斧を得たとして。それを泉に落とさば何如?」
私は本当に困ってしまいました。私は神の一柱ですが、神とは理に縛られた存在です。なぜなら神の本質とは理であるからです。自らの本質に逆らっては存在できません。
しかし、理に縛られた存在である以上、私は先に言ったものよりも良いものを与えなければならないという理を遂行しなければなりません。ところが私には先に言ったものよりも良いものが浮かばなかったのです。
考え込み、答えあぐねている私に、男は問いました。
「やはり貴女は泉に物を落としたものが正直に答えるのであれば、落としたものより良いものを与えなければならないのだな。」
私は肯定しました。私に答えられることは答えなければならないという理を立ててしまったからです。先程の軽はずみな発言を悔いました。
「ならば俺はより良いものが手に入ったとしても泉に落とし、そして「偽り無く」答え続けよう。そうして、貴女がより良いものを考えつかなくなった時、俺は貴女に求めたいものがある。」
今既に考えつかないのですから遠からずその時は来るでしょう。男が何を求めるのか考えましたが思いつきません。私は完全に油断していました。
「俺が求めるのは、
貴女だ。泉の女神よ」
「えっ?……えぇぇ?!」
油断していたところへのまさかの告白。私は完全に混乱してしまいました。
「俺は己に正直でありたい。故に貴女にこうして偽りなく、正直に話した。だから、貴女も正直に話してほしい。俺では駄目か?」
先程までの意志の強そうな眼は今や不安げに揺れ、男はただ私の答えを待っていました。
「俺は以前一度ここに来たことがある。あの正直者の樵が来るより前のことだ。霧の深い日だったはずだ。視界が悪いにも関わらず、己の力に慢心していた俺は気に留めず狩りをしていた。この程度の悪条件は俺にとっては何ということもない、と。」
確かに覚えがありました。弓矢や罠を携えた男が森に入ってきた、霧の深い日のことについて。その日、確か彼は……
「間抜けなことに、俺は周囲の確認不十分でこの泉に落ちた。不幸にも、回収した金属製の罠があまりに重く、あがけどもあがけども俺は沈んでゆくばかりだった。」
「しかし次の瞬間、全身を暖かなもので優しく包まれるような感じがした。遂に俺は死んだのだと思ったが、気づけば俺は泉のほとりにいた。霧の中で視界は悪いはずだったが、俺は確かに貴女をはっきりと見たのだ。」
泉に落ちた彼を助け上げたのは確かに私でした。彼が無事であることを確認し、安堵したのを覚えています。
「貴女はあまりに神々しかった。故に俺が頻繁に訪ねて煩わせてよいとは思えなかった。だから今日までは貴女を心に思い描くことだけで我慢してきた。同時に後ろ暗い悦びもそこにはあった。貴女を知っているのは俺だけだ、と。」
「しかし、今や村の者たちが頻繁に貴女のもとを訪れている。もはや貴女を知っているのは俺だけでないのだ。そのことは俺をひどく苛立たせた。だが、貴女を俺までが煩わせることがあってよいのか。そう考え、昨日までは耐えた。」
「けれど昨日。村の者たちが話しているのを聞いてしまったのだ。『いちいち泉まで行くのは面倒だ。近々大量に金の斧を持って帰って来よう』とな。」
「村の者たちが貴女をとことん煩わせているにも拘らず、己のことしか考えていない様に、もはや俺は耐えられなくなった。これ以上貴女のことを考えていれば、俺は近いうちに、貴女のことを全く考えない村の者を害してしまうと思った。だから貴女に俺の思いを伝え、断られたのならどこか遠い地に移って、貴女のことを忘れようと思ったのだ。この村では貴女に近すぎて、到底吹っ切ることなどできそうにないからな。我ながら女々しいことこの上ない。」
彼は自嘲するようにクックッと笑いました。しかしその顔は到底笑っているとは思えないほど寂しげでした。
「だが、もしも。もしも貴女がこの俺を受け入れてくれるのなら。どこか遠い地で、俺と一緒に暮らしてはくれないだろうか。貴女を煩わせる者のいない、新たな土地で。」
そう言いながらも、彼は半ばあきらめているようでした。私がこの告白を受け入れることがないと思っているのでしょう。
「どうか、答えがほしい。」
告白の直後こそ混乱していましたが、私の心はもはや決まっていました。
「私が最高神様から与えられた役目は人間を観察することです。
だから、これからはあなたという人間を観察することに決めました。あなたが嫌だと言っても逃がしませんからね。」
彼の顔がみるみる喜色に変わってゆきます。私は彼を抱きしめました。
人間はもともと神のデッドコピー(劣化版)です。人間に感情があるのですから神にも感情はあります。あんなに思ってくれたら私(女神)だって堕ちてしまいます。
見事に堕とされてしまった私は、彼とともに遠くの小さな森に移り、ささやかながらも幸せな日々を過ごしています。
私が金を出して生活に充てようとすると、
「俺は貴女と幸せになりたくてここまで来たんだ。その力を使えば眼をつけられるかもしれない。そうなればあの森にいた頃と同じく、貴女は多くの者に煩わされてしまうだろう。だから、貴女は俺が養う。贅沢はできないだろうが、貴女はどうか。」
と彼が問うので、
「私はあなたといられることが何よりの贅沢です。これ以上何を望むことがあるでしょう。」
と答えました。すると彼は顔を赤くしながら、
「俺も貴女といることが何よりの贅沢だ。決して不自由はさせないと誓う。」
と答えてくれました。
彼は本当に私を幸せな気分にしてくれます。彼と過ごす日常こそが何よりの幸せなのですから。
私の役目は正直な人間により良いものを与えることでしたが、本当に良いものを与えられているのは私かもしれません。
あなたが落としたのはあなた自身で、あなたが堕としたのは私でしたね。
昔々の、とあるお話。
今回は金の斧、銀の斧のリメイクでした。
お目汚しだとは思いますが楽しんで頂けたなら幸いです。