5.カーバンクルのエチカ
いつになく異様な迫力で圧迫してくるりっちゃん。
その猛威を避けようと、まぁちゃんを盾にする私。
そして未だに石像と化して哲学的な何かを模索する勇者様。
黙して語らぬ状態なのに、何故かざわざわと気配が騒がしい。
そんな、緊張感の高まる中。
1人の優男が、私達にゆったりと接近していた。
「おやおや、何やら騒がしいですねー? 思っていましたら。
お久しゅうございます、陛下。何時の間にいらしてたんですか」
「あ、エチカ」
優しく穏やかな顔立ちながら無表情が目立つ、青年。
其処にいたのは、額の紅玉の輝きが一段と見事なカーバンクル。
さらさらの白銀の髪を透かして、紅い輝きは優しくまろやかになる。
名前を聞いて、ぴんと来た。
一見優男に見えるけれど、この色白美人は…
「ええ、エチカです。カーバンクルの一族を預かる身でありながら、陛下の元へ参じるのが遅れましたこと、お許し下さい」
カーバンクルの族長、エチカさんだ。
「お前んとこの悪戯好き共は、さっきからちらちら来てたがな」
「あの者共も困りものです。陛下がいらしたこと、知っていながら報告に来ないのですから。本当に何故、いち早く私に知らせに来ない。来ていたら、何を置いても真っ先にトマトを採りに行ったのに」
「相変わらず自由だな、お前んとこ。そしてトマトを持ってきて何をするつもりだ」
「トマトですか? ぶつける為に決まっているでしょう」
「お前、俺のこと嫌いなのか? それとも反逆か?」
「いえ、ただの洗礼ですよ。カーバンクルの里を訪れた者は、すべからく紅く染まる決まりなのです」
「嘘だろ」
「嘘です。…チッ 先代陛下は騙されたのに」
「お前、ひとの親に何やってんだよ。本当に自由すぎるだろ」
「魔族など、得てしてそのようなものでしょう」
「あー…まあ、違いないけどな?」
自由人が多いこと、心当たりがありすぎるんだね、まぁちゃん。
「ところで、そちらの方は…」
一通りの挨拶が済んだ後、ずっと気になっていたんでしょうか。
エチカさんが、私の方へ視線を向ける。
魔王城に所属もしていない人間がいたら拙かったかなと、ちょっとだけ身を竦める。
だけどそんな私に向けられたのは、予想以上に友好的な言葉。
「ひめ? ああ、やはり姫ではありませんか」
「私、せっちゃんと違うよ!?」
え、間違えられた?
せっちゃんともまぁちゃんとも、似てもにつかないのに!!
従兄妹といえど、あちらは超絶美形ご兄妹様。
まさか間違えられることが一生に1度でもあろうとは…
駆けめぐる恐れ多さに、金縛りになりそう。
でも、エチカさんが首を傾げてこう言った?
「せ? あ、ああ、いえ。王妹殿下と間違えたわけではありませんよ。
ハテノ村アルディーク家息女、リアンカ様」
「う、うわあ…うちの家名とか、すっごい久々に聞いたー」
「リアンカ、家名があったのか!?」
「あ、勇者様ふっかつー。そうですよーあったんですよー」
「というか、伯父さん家に家名があったことすら忘れてたな…」
そうそう、そう言えばそんな名字があったような。
普段滅多に聞かない私の家名。
何しろ我が家を差すなら、「村長さんち」で事足りますからね。
あんまり久々すぎて、まぁちゃんと2人で何度も首を縦に振る。
あれ、でも。
私が誰か知っていて、ひめ…?
え、私、エチカさんと会ったこと、あったかな…。
「私のことを覚えていませんか? 確かに姫は幼く、忘れていても仕方ありませんが」
そう言って、ちらりとエチカさんが。
何故かまぁちゃんを、意味ありげに流し見た。
…まぁちゃん? なんで肩がびくって震えたの?
何か疚しいことが、どうやら従兄のお兄さんにはある様子。
話の流れが掴めなくて、私はエチカさんの顔にじっと見入った。
そんな私に薄く目を細めて。
「ヒトの姿ではわからなくとも、この姿ならどうですか」
エチカさんは。
何の前触れもなく、私達の前で獣の姿に転じた。
その姿には………ものすごく、見覚えがあった。
「え、えっちゃんだー!!」
「あ、覚えておいででしたか」
まぁちゃんが、私から盛大に顔を逸らして気まずげにしていた。
その反応、どういう意味があるのかなー?
普通のカーバンクルよりも、一回り大きな獣。
だけど羽毛のように軽く柔らかな毛がふわふわで気持ちいいこと。
その体はまるで羽毛のクッションみたいに軽いこと。
それを私は経験で知っている。
カーバンクルの子供は薄いクリーム色。
大人なら、白い体毛。
だけど彼は。
えっちゃんは、薄い桃色の体毛をしていた。
他のカーバンクルとは違うと。
一目でそう、見せつけるように。
その姿を見た瞬間、私の手は出ていた。
もう反射的としか言いようがない。
お気に入りのぬいぐるみをそうするように。
事実、彼は昔、ぬいぐるみだったから。
私は、遠慮手加減一切なしで力一杯抱きしめていた。
これが本物の小動物なら、全身の骨が砕ける勢いで。
だけどえっちゃんは仮にも魔族なので。
少しも苦しがることなく余裕で、私の全力の抱擁を受け止めていた。
「り、リアンカ! はしたないだろ」
「それ、陛下が言えた義理で?」
「うぐ…っ」
「ま、まぁ殿が黙らせられた…!?」
ああ、まぁちゃんの過保護光線が打ち落とされた。
こんな迎撃されて、封殺されるなんて。
そうされて仕方ないくらいの、負い目があるんだね?
「リアンカ、カーバンクルの族長殿と知り合いなのか?」
「ええ、そうだったみたいですね」
「そうだったみたい? 曖昧だな。なんというか、親密そうだけど」
「その辺は、私もちょっとよくわからないんだけど…」
今、えっちゃんが目の前にいること。
そしてまぁちゃんのこの反応。
ああ、大体のところはわかりましたが…
一応、確認が必要でしょうか。
「まぁちゃん?」
にっこり。
「説明してくれるよね?」
まぁちゃん、黙して語らず。
そんな黙り込むほど気まずい、何があった。
じっと見ていると、腕の中から「きゅいっ」と一声。
見下ろすと、真っ赤なお目々が私を見上げていた。
あ、愛くるしい…。
じたばたともがいて私の腕からカーバンクルが逃げ出す。
あ、と思った時には空中で宙返り。
えっちゃんは、人型の族長のエチカさんに戻っていた。
…がっかり。
「幼心の過ち故か、陛下はどうも説明しにくそうなので私から」
「幼心の過ちって、なんだか大事に聞こえるね」
「下手すりゃ大事でしたよ」
「あ、りっちゃんも知ってるんだ」
「知っていますが、此処は族長殿にお任せします。当事者ですしね」
注目を受けて、説明役を任されたえっちゃんがこほんと空咳一つ。
そうして、語り始めた事には。
「あれはそう、10年前ほどになりましょうか」
まぁちゃんが11歳、私が7歳の時のこと。
私の誕生日が近づくある日、まぁちゃんは針と糸を手に取った。
従妹の誕生日プレゼントに、ぬいぐるみを縫う為に。
「ちょっと待った」
大人しく聞いていた勇者様が、手を挙げる。
「ぬいぐるみ? 手縫いの?」
「いくら何でも11歳の男の子が作るにしては家庭的すぎるよね」
「いや、そこじゃない」
「わかりますよ。王族の者が自分で作るという行為に、疑問を寄せておいでですね」
「そう、そこだ。何でわざわざ自分で作ろうと思ったんだ」
「気持ちの問題じゃないの?」
「気持ちの問題にしても、どうせ作るんなら得意分野で勝負するんじゃないか? それともまぁ殿は裁縫も得意なのか」
「いや、俺の裁縫は並くらいじゃねーかな」
「陛下も資金は潤沢に持っているので、本来であれば買ったでしょう。
ですが姫の父君に釘を刺されていたそうです」
曰く、こう言ったそうです。
「幼い内から無駄に高価な品々を与えたら物の金銭感覚がわからない大人になるから、あまり高価な品は与えないでくれ」とのこと。
流石だよ、父さん…。しっかりした育児方針ですね。
また、まぁちゃんが10歳になった時、こうも言ったそうです。
「まぁちゃんも小さな内は仕方ないが、もう10歳になる。充分大きくなったな? これからはリアンカに何かを与える時は、まぁちゃんが自分の力で手に入れた物にしてほしい」とのこと。
つまり、誰かの助けを得て手にした物は与えるなって事?
自分で稼いだお金を仕えってことかな。
何も、自分で作れとは言っていないよね?
小さなまぁちゃんは私へのプレゼントは自作しないといけないと思ったみたいです。
まだ大人の錬金術(金銭遣り取り)をよく知らなかったんだって。
…まあ、まぁちゃんの育ちなら、自分でお金を使う必要もないだろうしね。
「とまあ、そんな可愛らしい少年のありがちな勘違いを経て、少年は従妹嬢への誕生日プレゼントを自作なさろうと」
「少年呼びは止めろ」
「申し訳ありません。つい、微笑ましかったので」
「そう言いつつ、全く笑ってないよな、お前」
「私の表情筋は死滅しているんですよ」
「一瞬信じそうになったが、お前この前の新年会、ドラゴンスレイヤー樽で開けてゲラゲラ大笑いしてただろ! 高笑いしながらサイクロプスの長に滅茶苦茶絡んでたじゃねーか!! アレ誰だって居合わせた全員で戦慄したわっ」
「はて。とんと記憶にございませんが…」
「酔い潰れてたから、そら記憶もなかろーよ」
「ああ、その新年会に出席していたのは、私の双子の弟でして」
「さらっと嘘言うしな。てめぇ弟いねーだろ!」
まぁちゃんが溜息を吐いたのを合図に、えっちゃんの説明が再開します。
でも何となく、この後の展開が読める気が…。
「陛下は可愛い従妹の為にぬいぐるみを作り始めましたが、そこでモデルとして抜擢されたのが、愛らしさに定評のある私でした」
「お前の獣型な。あと俺は暇なカーバンクルって指定しただけだからな?」
「私は陛下のお呼びに応え、魔王城まで馳せ参じたのです。参じたら参じたで、その目的がぬいぐるみのモデルという、いささか予想を超越した何かでしたけれど」
「やっぱ、実物を見てバランス調整しながらの方が捗ったし」
「…という陛下の言い分で、私は完成まで足止めを食うことに」
「まぁちゃん、えっちゃんにもお仕事の都合があったんじゃ…」
「まあ、私も暇だったんですけどね」
「あ、問題なかったんだね…」
「そんなこんなと陛下は大騒ぎしながらぬいぐるみ製作に励んでおられましたが、結局間に合いませんでした」
「くっ 昼間も制作に時間を使えていたら…!」
「陛下、昼間はリアンカ様や殿下に遊んでとせがまれて付き合っていましたからね」
「ですが、間に合わなかった事実は事実。誕生日の祝いの席で、プレゼントがないという状況まで追い詰められた陛下は、そこで奇策に走りました」
「奇策っつか、追い詰められて咄嗟に馬鹿な行動に走っただけだろ。俺の話だが」
「そう、陛下は誕生日のお祝いに、ぬいぐるみではなく私を差し出したのです」
「「……………」」
「あの時は驚きました。『え、売られた!?』なんて思ってしまって」
「「………………」」
「うわ。なんだ、周囲の視線が凄く痛い」
「まぁちゃん…」
「まぁ殿……」
「いつ思い出しても、陛下は無謀なお子様でしたね」
「ぬいぐるみが完成するまでのつもりだったんだよ! なんて言うかな…代用品? 完成したらすり替えるか、リアンカに謝って交換してもらうつもりだったんだよ」
「そう言いつつ、完成するまでの2週間ですっかり私と打ち解けて、ぬいぐるみと交換という事態になった時、姫にぎゃん泣きされた訳ですが」
「それは仕方ない。仕方ないと思うよ…」
「どう考えても、まぁ殿が悪い。身代わりなんて差し出さず、最初から事情を話して待ってもらうべきだったんじゃないか?」
「無言の圧迫に追い詰められてたんだよ、あの時は!」
「それはまぁ殿の事情だ。折角のプレゼントを奪われるなんて、いたいけな幼い少女が可哀想だとは思わなかったのか」
「おお…! 勇者様がいつになくビシッとまぁちゃん叱ってる! 初めて見たけどいい気味だとしか思えない!」
「陛下の自業自得ですからねえ…」
私達に散々責め立てられて、まぁちゃんもたじたじだ。
眉尻を下げて、心底困った顔をしている。珍しい。
「リアンカには泣かれるし、両親には馬鹿笑いされるし、俺だって反省したよ。結局ぬいぐるみの交換に応じてもらえるまで2ヶ月かかったしな」
「お陰様で、休暇を満喫させていただけましたよ」
「…くっ この満足そうな顔がむかつく」
「やっぱり自業自得ですよ、陛下」
幼少期に一時お友達として傍にいた、誕生日プレゼント。
思わぬ再会にテンションは上がるし、当時の不満を思い出すし。
まぁちゃんに恨みの視線を送ってしまったけれど。
まぁちゃんにも後先考えない子供時代はあったのだと。
それを思うと笑っちゃいそうになる。
ふて腐れて、そっぽを向いた顔。
それが10年前の喧嘩中に見たまぁちゃんの顔を思い出させます。
可愛いなと、そう思ったこと。
それはまぁちゃんには内緒にしておこうと思いました。