42.4番目の山羊
プロキオンさん達が兵士B達の足止めに精を出している中。
とうとう、対決の時が来ました。
やらせですけど。
立ちはだかるは黒山羊一門、衛生兵のラヴェラーラお姉ちゃん。
相対するは魔王討ち取り志望なのにいつの間にか馴染んでる、勇者様。
本来ならこのまま激突するはずの2人。
だけど余計な前座がラーラお姉ちゃんが張りぼてだと露呈させかけてしまいましたから。
このままでは、中ボスとしてラーラお姉ちゃんを前面に出した魔族の沽券に関わると。
大変自分勝手ながら魔王のまぁちゃんがそう言うので。
魔王命令によって、ラーラお姉ちゃんの第4の姿が明かされる時が来ました。
本人の、意に反して。
何とか芝居の軌道修正。
その使命によって、ラーラお姉ちゃんが震える口を開きます。
出てくる言葉は、精一杯の威厳を被った中ボスとしての台詞。
「ふん…逃げずによくぞ来た。貴様が勇者か」
その声は、よく聞くと震えていた。頑張れ。
「我こそは魔王様の尖兵、ヴェラ(偽名)! 私を倒さずして、魔王様に敵うなどとは思うなよ!」
「黙れ、魔族め…人質を解放しろ!」
目がうろうろと彷徨っているラーラお姉ちゃんに比べて、勇者様の演技は堂に入った物だった。
王族が演技上手って、本当なのかも。
常に大なり小なり自分を偽り、演じることを強要されるから。
人間の王族は演技が上手いぞ、狸だぞって。
前にまぁちゃんが言っていたのよね…。
勇者様を見て、あれってデマだったのかと思っていたけれど。
意外に今の勇者様を見ると、あながち嘘でもない気がしてくる。
声量といい、声の強弱、息継ぎのタイミングといい。
良くできた芝居の役者さんを見ている感覚がする。
でもそれも、場の空気に酔った大多数の民衆から見ると、英雄みたいに見えるんだろうね。
耳にすっと入ってくる勇者様の美声は、聞かずにいられなくなるようなはっとする物がある。
聞く気がなくても、遠く離れていても。
思わず聞き入っちゃうような。
ああ、これは兵士の士気も上がるよね。
あんなに簡単に絶望ムードだった人間の騎士団を鼓舞し、盛り上げた勇者様。
その手腕に感心していたんだけど。
この声を聞くと、納得したとしか言えないよ。
それだけ、勇者様は人を惹き付ける雰囲気があった。
目の前にしたラーラお姉ちゃんも、うっかり引き込まれてる。
ぼうっと聞き入って、台詞を返すタイミングがずれた。
間の抜けた、何とも言えない静寂。
中ボスは完全に声を失っている。
そのことに怪訝を通り越して慌てたのは、私と勇者様。
だけど黒子に徹するまぁちゃんが、慌てず騒がず。
人間達からは見えない、背後の死角から。
つまらなさそうな顔で、ラーラお姉ちゃんの後ろ足を蹴り上げた。
「おふぅ…っ!?」
「!!?」
油断しまくっていたらしいラーラお姉ちゃんの奇声に、勇者様がびくっとした。
我に返ったお姉ちゃんも、周囲の空気を察して気まずそうだ。
ここは、円滑に場の流れを薦めるため…私は、自分に言い聞かせて叫んだ。
「ゆ、勇者様! 私のことは構わないでください! どうぞ、どうぞこの魔族を……っ!」
コツは目を潤ませることかな?
顔を青ざめさせるために、肝の冷える記憶を…父に説教された時のことを思い浮かべる。
あ、本気で怖っ……でも都合良く、唇も震えて声が潤んだ。
人質としてそれっぽい演技、できたかな?
内心、妙に冷静な自分がいる。
というか、自分の外側と内側を切り離さないと恥ずかしくてやっていられない。
そんな私の羞恥と葛藤に、勇者様が哀れみの目で頷いてくれる。
そして、場を繋ごうとした私の意を汲んでくれた。
「いま、その魔族を倒して君を助ける!」
王子様だ。王子様がいる…!
今更ながらの感想だけど、キラキラ具合にそう思った。
そう言えば、勇者様って本職王子だった。
今度、正装して白馬に乗って貰おう。きっとお似合いです。
私がぼんやりと余所事を考えている間にも、事態は続く。
挑発する、ラーラお姉ちゃん(演技)。
義憤する、勇者様(演技)。
そして場の展開は、無理のない流れでこうなった。
「くくくくく…っ 先程までの私を本気と思うな。あれは遊んでやっていただけのこと。
いまからとくと目を開き、我が本気を焼き付けるが良い!!」
ラーラお姉ちゃんも吹っ切れたのか、最後の台詞はとても「らしく」って。
そうして、何かに耐えるような風情で大きな山羊さんが身を屈めると…
……って、そろそろ私のことを開放してくれても良いと思うんだ。
お願い、本気の邪魔だとか、そんな理屈で手放してくれない?
手に握り込まれたまま力まれたら、下手したら私、圧死しちゃう!
密かに生命の危機に瀕する、私。
ラーラお姉ちゃんは演技に必死になるあまり、どうやら私の存在を忘れたらしい。酷い!
潰れる、潰れる、潰れちゃう…!
私は我ながら、虚ろな目で蒼白になっていました、が。
ここでも死角から、まぁちゃんのさり気ないフォローが。
ふぉぉん…と、空気が震える。
ラーラお姉ちゃんの体が、カッと光に包まれた瞬間。
私の体もまた、それとは別の光に包まれていた。
紫色の、仄かな輝き。
まぁちゃんの、絶対防御魔法。
柔らかな暖かさに包まれたことを自覚した瞬間、私はほっと息を吐いた。
良かった。これで私が外的要因で死ぬ末路は回避された。
まぁちゃんの防御魔法を打ち破れるようなバケモノなんて、今のこの場にはいない。
多分いない、きっといない。
これならいくら握り込まれようと、うっかり刃が流れて襲ってこようと、絶対に安全です。
ありがとう、まぁちゃん。
万感の思いを込めた感謝の言葉を、全力でご披露するよ!
勿論、後で! だけど!
私が生命の危機に戦慄し、次いで安心に息を吐いて。
その間に、ラーラお姉ちゃんの第4形態への変型…変化は、完了していた。
いきなり更に目線が高くなったことに戸惑って、顔を上げて。
あまりのことに、絶句した。
ラーラお姉ちゃんに掴まれている私からでは、全容を見ることはできなかったんだけど。
それでも異様な姿の一端くらいは、私にだって分かるんです。
後で、勇者様に客観的に描写して貰いました。
そこそこの絵心で描いてくれた図には…
うん、頭部から順に言ってみましょう。
まず頭。山羊。
黒く不気味で立派な黒山羊の頭部。
それは第3形態と同じかと思いきや、山羊角の後ろから鋭い角が5本。
山羊の目玉の他に、更に額と頬にぎょろりとした人の目が開眼し、目玉も合計5つ。
これだけでも異様だと思う。
そして黒い山羊の毛が増量。
なんと山羊(平均)→山羊(長毛種)に!
第3形態の時は首までだった山羊の毛。
黒い毛は続く人型の胴体、その肩まで伸び、鎖骨のあたりは黒い毛に完全に隠れています。
でも人の胴体部は殆ど変わらず、しいて言うなら筋肉が増量したくらい。
黒い皮膜の翼は数を増やし、3枚の翼が生えている。
うん、ここまででも充分にバケモノだよね。
だけど最大の変化は下半身!
臍の直ぐ下から黒山羊の毛に覆われ…
人間であれば下半身が続く部分には、黒い山羊の胴体が。
言ってみれば、ケンタウロスの山羊版みたいなことになっている。
その山羊(胴体)部も、黒い長毛に覆われ、巨大な蹄は岩も割りそう。
それに足は4つじゃなくて、8つだ。あれで足が速くなるのかな。
臀部からは山羊の尾ではなく毒蛇が生えているんだけど、それも3匹に増えていた。
共に南洋で猛威をふるうという神経性の毒蛇だ。
遠い地の毒蛇だから、この辺に血清はない…超危険。
ラーラお姉ちゃんは、そんな感じの生き物に変貌していた。
うん、結論を言うと総じてバケモノ、みたいな。
どこの魔物? という感じです。
そんな立派なバケモノが、勇者様の前に立ちふさがる訳ですが…
そのあまりのバケモノぶりに、勇者様は唖然と立ちつくしていた。
だけど彼に、そう呆けている時間はありません。
私だって、吃驚ですけど。
だって、ラーラお姉ちゃんが…
『るるるぅるるろぅるぉぉおおおおおおおっ』
得体の知れない奇声が、いいえ雄叫びが上がる。
私に聞こえるすぐそこで。
私の頭上の、ラーラお姉ちゃんの口から。
「おねえちゃん…?」
いぶかしく思って見上げるそこには
明らかに正気を逸した、戦闘意欲全開の、山羊。
あまりにも予想外の光景過ぎて、私の体は硬直した。
こ、こんな、こんな、闘争心溢れる、ラーラお姉ちゃん………
こっ こんなのラーラお姉ちゃんじゃないー…!
あまりの違和感に、いっそ気持ち悪いと思った。
私は知らなかった、ラーラお姉ちゃんが第4形態を嫌がる理由。
そして大多数の変化できる魔族が、その姿を滅多に曝そうとしない理由の一端。
こんな形で知らされるまで、本当に全然知らなかったんですけれど。
まぁちゃん曰く、
「変化は肉体が強化される分、精神を肉体が圧倒しちまうんだ。普段は対等で均等な精神と肉体のバランスが、大きく片方に傾いちまう。変化が進めば進むほど、精神の握る手綱が緩まる。そんで最終形態ってのは、完全に理性が効かなくなる状態を意味するんだよ」
つまりは、あれですね。
私は、こう理解しました。
それ即ち、つまりは「変化最終形態=狂戦士化」なのだと。
なんていらない特殊効果。
戦闘への興奮が高まるのか、荒い息から白い気炎が上がる。
理性を失った山羊さんは、濡れてぎらついた目を動かし…
ゆっくり、まぁちゃんを見た。
「………あー…お姉ちゃん?」
動いていたラーラお姉ちゃんの目線が、がっちりと固定される。
そのまま、目線は動かない。まぁちゃんを凝視している。
「……………うわぉ」
まぁちゃん、まぁちゃん!
狙われてるよ、まぁちゃん!?
よくよく考えてみると、ラーラお姉ちゃんが巻き込まれたのは、まぁちゃんの独断で。
よくよく考えるまでもなく、今のお姉ちゃんの鬱憤って…その、まぁちゃんが元凶、かな?
考えるまでもなく、元凶…だよね。うん。
そのままラーラお姉ちゃんの右手がピクリと。
動こうとしたところで、機先を制したのはまぁちゃんでした。
「…ん?」
いっそ優しげとも言える笑顔が、そこに。
まぁちゃんの顔に、神々しくも慈愛深い笑みが浮かんでいた。
ぴしりと、ラーラお姉ちゃんが硬直するのが分かりましたよ。
私、お姉ちゃんの手の中で、筋肉の動きがもろに伝わるし。
戦闘能力全開のラーラお姉ちゃんが、蛇に睨まれた蛙状態。
まぁちゃんの笑顔はいつもと同じ笑顔に見えるのに。
私にむけてくれる優しい顔と、同じ笑顔に見えるのに。
なのに、何故かまぁちゃんの背後に何か見えた気がした。
細かく言うのなら、死神的なナニかが。
笑顔の気迫にじりじりと押されて、一歩、二歩、三歩。
まぁちゃんから遠ざかる様に、ラーラお姉ちゃんの足が動く。
後退ってる、後退ってるよ、ラーラお姉ちゃん。
まぁちゃんから逃げる様に視線がばっと逸らされて。
その目が、勇者様を捉えた。
ラーラお姉ちゃんにとって、大手を振って鬱憤を叩きつけられる標的を。
「……………」
「……………」
目線が合わさったまま、暫し無言の勇者様と黒山羊お姉ちゃん。
さてさて、今は全く理性の利かないお姉ちゃん。
私だって知らなかったんだから、そんなことを勇者様が知る由もなく。
唖然としていた彼に、いきなり鎌の鋭い一撃が振り下ろされて…!
まぁちゃんの、呑気な声が響いた。
何でもないと、そう言わんばかりに。
「おーい、勇者? 其奴、本気だから」
戦場に響いた謎の声を、誰かがいぶかしく思うよりも先に。
大地に打ち付けられた鋼鉄の立てる轟音が、全ての音を塗り潰した。
その攻撃には、理性で押さえられていた苛立ちや闘争心、鬱憤のあれこれが込められている。
響き渡る轟音に誰もが目を向ければ、大地すら吹き飛ばそうとする衝撃の波が襲いかかる。
余波だけで、多くの人間が吹き飛んだ。魔族は耐えた。
その一撃を、まともに食らってしまったはずの、勇者様。
一瞬前に彼がいたところには、何もない。
攻撃の威力によって抉られた、大地の大穴以外には。
「…………………………わあ」
言葉がまともに出てこない。
勇者様、死んだ!? 死んだ!!?
必死に目を動かせて探すけれど、その姿は見当たらない。
あれ、本当に死んだ?
疑問と共に、勇者様の破片なりと見当たらないか探すけど…
本当に破片が見つかったら、嫌だなぁ。
そんな感想を心の中に押し込めて、私は自分に言い聞かせる。
勇者様、死んでないよね…?
死んでなかった。
空にチカリと瞬くもの。
鋭い光、圧倒的な輝き。
黄金の光の加護が、可視化して目に見える。
私がそれに気付いたのは、ほんの偶然でした。
ラーラお姉ちゃんの手に握られた、黒鉄の魔鎌。
上空から届いた鋭く小さな光が、黒い鉄に反射した。
そうです、そう。
勇者様は空にいました。
あの一瞬で上空までも、ラーラお姉ちゃんの巨体よりも遙か高くまで跳び上がったのかと。
私は驚きと安心と、なんとなく納得の思いで空を見て。
予想外の姿に、度肝を抜かれそうになりました。
……………勇者様の背中に、大きな黒い翼が生えていた。
勇者様、とうとう人間止めちゃったんですか…?
時々感じていた疑惑が、とうとう確定に至ったのかと。
絶句という言葉に相応しい顔で、私はぽかんと勇者様を凝視する他にありませんでした。




