14.壷
勇者様視点。
リアンカが墓穴を掘っている頃、勇者と魔王は1つの壷をのぞき込んでいた。
小さな小さな、瓶と言っても良いような壷。
手の平に乗るそれをアイテム欄に入れて表記するのならこうだろう。
【光竜のツボ(小)】
壷の名前は、そのままアイテムの実態を差していた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
俺の手の中には、小さな壷。
薬瓶か何かと間違えそうになるサイズだけど、壷らしい。
コレをくれたまぁ殿が「壷」というのだから壷で間違いないんだろう。多分。
なんと言ったものか迷うが、どう言ったら良いんだろうか。
そう、この壷のことを。特に、その中身について。
「これ」に関しては深く考えることを放棄している。
何より、今はそれよりももっとずっと大切なことがある。
リアンカのことだ。
今頃どれだけ心細く不安な気持ちでいるかと思うと…
些末事など、気にしていられない。
今まで地味に目立たず生きることを素晴らしいことだと思っていた。
何よりも目立たず、人との関係で波立たせるもののない生活に憧れていた。
だがその憧れを、今ここで1度全て棄てる。
今の俺は、目立ちたくないなんて言っていられない。
むしろ迎えに来たことに気づいてもらう為にも、誰より何より目立たないといけないんだ。
例え誰を道連れにしたとしても。
相乗効果が見込めるのなら…。
そして相乗効果という点で、とても効果的な相手が目の前にいる。
男の俺が言うのもなんだけど、素晴らしく優れた外見とカリスマ性を持つ「彼」。
狙いは此方から頼む前にやって来た。
「勇者、俺もついて行っていいか?」
――魔王だ。
どこか気まずそうに苦笑いを浮かべるまぁ殿。
おそらく、先程までの修羅場について思うところがあるのだろう。
だがまぁ殿が誰にも手を出さなければ、この場は平和だ。
彼はもう修羅場どころではないと、憔悴した顔立ちで見てくる。
どうやら激昂に使い果たして気分も落ち着いたらしい。良いことだ。
…そこまで持っていくのに、費やされた犠牲は凄まじかったけれど。
特に、俺やカーバンクルの子供達が受けた精神面での被害が。
落ち着いたまぁ殿は、先程のことをどう精神的に処理したのか。
もう知らないといった顔で、静かに思い詰めた顔で。
滅多に見ない顔のまま、俺に頼み込んできた。
まぁ殿が、あの常に悠然とした(妹や従妹が絡んだ時を別にして)まぁ殿が、俺に。
…いや、今回も従妹が絡んでいるから、おかしくはないか。
こっそり内心で動揺する俺に、気付いているのかいないのか。
まぁ殿は中々返事を返せない俺に言葉を重ねる。
「迎えはお前が主体だ。指示には絶対に逆らわない。どうだ?」
どうだというその顔は、どことなく寂しそうで。
「まぁ殿…ああ、リアンカが心配だからな」
「まーな」
勇者が魔王を人間の国に連れて行くなど、前代未聞だが。
彼の人目を引かずにはいられない容貌と存在感を利用すれば、ことが早く済む。
そうしたら、最終的には人間にかかる負担と迷惑も最小限で済まないか?
自分への言い訳としてそれを理由に、俺はまぁ殿を連れて行くことにした。
俺は、勇者のはず、なのにな。
…まあ、いい。目的の為には仕方のないこと。
どうせまぁ殿はどう見ても人間にしか見えない。
あの外見を前に、魔王だなんて気づく者がいるとは思えない。
人間の才覚をどれだけ集めたって、きっと気付きようがない。
俺だって、ずっと気づかなかったんだ。
……俺が人間の中で、特別鈍い訳じゃ、ないよな?
俺の胸の中、自分への不審が去来する。
だけどまぁ殿は、先程とは打って変わった上機嫌で。
まだ若干の儚げを残しつつも。
至って嬉しそうに、俺の肩を叩いた。
「勇者が快諾してくれて良かった」
「まぁ殿」
「本当に良かったな………お前が」
「……ま、まぁ殿。笑みが不穏だ…」
「くくく…断られずに済んで、本当に手間が省けたぜ」
………どうやら、俺の判断は間違っていなかったらしい。
人類的にはどうかと思わないでもないし、罪悪感もなくはない。
だけど、少なくとも俺の身にとっては。
知らぬ間に危機回避に成功していた己の判断に、俺は天へと感謝を捧げた。
ありがとう、幸運の神様。
移動手段を考えた時、持ち上がった小さな問題。
現在、あの国は魔族を警戒して外壁門を完全に閉ざしているという。
そんなところに入り込もうと思ったら………空しかないじゃないか。
どうにも不安の残る発想で、俺達は空から行くことにした。
元々今回は目立つことが最低条件。
常なら空から侵入なんて悪目立ちにも程があるが。
今回は本当に特例だ。
目立つことを忌避しようという、俺の防衛本能はお休み中だった。
空から行くという族長殿からの提案。
最初はそれにまぁ殿の鳥を借りようかとも思った。
だが俺はあの鳥を従える技術がない。
更に言ってしまえば、実はあの鳥は有名な魔族のシンボルらしい。
どうやら辺境の国々ではあの鳥が魔族の移動手段だと知れ渡ってしまっている。
………そんな鳥に、勇者が乗っていく訳にはいかないよな。
大丈夫、分かってるさ。
リーヴィル殿が馬を探しに走り行こうとするのを引き留めて。
そこで俺が鞄から取り出したのが小さな壷。
壷と言うには小さな、手の平に収まるサイズの陶器。
それはつい先日、新居を倒壊させてくれた馬鹿の始末に困った時に入手した物。
乱闘の末に馬鹿を拘束した際、まぁ殿が嬉々として譲ってくれた壷…の、携帯版。
持ち運びにくいだろうと、わざわざ用意してくれた物だ。
つまり――この中には光竜ナシェレットが入っている。
いや、正しく言うのなら封じられているのだろう。
壷の口にまぁ殿直筆「魔封じ」と書かれた札。
それを貼って以来、実際に閉じこめられたままのようだし。
魔王の妹姫(15歳)に懸想し、10年。
ロリコンストーカー疑惑の濃厚な竜は蛇蝎の如くまぁ殿に疎まれている。
あの竜は家を崩壊させた事に反省を促す為、ずっとこの壷の中で「謹慎中」だった。
その戒め、「謹慎」を解く時がとうとう来てしまったようだ。
なんだか無用のトラブルを呼び込みそうで、嫌な予感もするのだが。
だがこの際、必要なのだから仕方がないと割り切ろう。
俺はいざという時には毅然とした態度で厳しく当たる覚悟を固めて指に力を込める。
壷の口から封じていたコルク栓を抜いた。
くゅぽんっ
軽い空気の弾む音。
それから次いで聞こえてくるのは、何とも形容しがたい効果音。
ずももっという勢いで湧き上がる煙。
薄ピンクのソレと共に、大きさ5㎝の壷から巨体を誇るドラゴンが出現した。
最初が肝心。
まぁ殿の戒めが脳裏をよぎる。
調子に乗せたらお終いだと、彼は言った。
普段なら首を傾げるところだが、今はその忠告に従おう。
屈服させて従えなければ、この竜は洒落にならない。
折角村人の皆さんが用意してくれた家屋倒壊。
あの悲惨な光景が、俺の胸に教訓となって輝いていた。
だから。
相手がいきなり壷から出されて何もわからないでいる内に。
俺はナシェレットの左頬めがけて拳をふるった。
我ながら、良い打撃音だった。
俺の目の前には、左頬を張らしたドラゴンという物珍しい光景。
俺が犯人だがな。
それを指差し一通り笑い転げて虚脱感に包まれた状態のまぁ殿。
いくら何でも笑いすぎだと思った。
もしかしたら言葉にはできないような感情を晴らそうとしての事かも知れない。
…なんて、好意的に受け取りすぎだろうか?
「絶対に、ただの嫌がらせだ…ぴょん」
ふて腐れたような不機嫌ボイスで、光竜が呟いた。
それでもリアンカがいなくても律儀に決まりを守るようになったようだ。
もしかしたら「教育」が効き始めたのかも知れない。
家の倒壊した夜…村長さんの怒りは傍目に見ても恐ろしかった。
あれ以来、気のせいかも知れないんだが…
……心なしかナシェレットの背筋がぴしっとなっているような気がする。
「…流石、伯父さん。頭が下がるぜ」
感心と戦慄を織り交ぜたまぁ殿の声が、俺の胸に虚しく響く。
…魔王に一目置かれる、人間の村長さん………か。
何かが色々と間違っている気がした。
おそらく俺達の助けを待ちわびているだろう、リアンカ。
彼女を迎えに行くべく、俺達は迅速を目指して行動した。
左頬を依然と腫らしたままの光竜。
俺の言うことをあまり素直に聞かない光竜。
その尻を全力で蹴っ飛ばしてせっついて、まぁ殿の本気の脅しも加わって。
俺とまぁ殿の2人がかりで身を削ぎ落とすような恐怖を与えて。
そうしてやっと、竜は空へと飛び立った。
その広い背に俺と、竜にとって何より誰より恐ろしいだろう魔王のまぁ殿を乗せて。
…どうか、人間の国ではあまり大きな騒動になりませんように。
ひっそりと、胸の内だけで天に祈った。
どうせそんな願いは、どんな神にも叶えられないと知ってはいたけれど。
それでも、願わずにはいられなかった。
そう、せめてその被害が最小限に済むように。
…それが一番、困難なことなんだろうけれど。




