10.お花畑でこんにちは
薬草積みの延長で、人捜しの挙げ句に花畑で逆さ吊り。
何とも理不尽かつ意味不明の憂き目にあいながら、呑気に助けを待っていたけど。
求めたはずの助けが人間の形で現れた時、流石にまずいなあと思った。
そんな私が、接近してきた人間の兵士(×3)に出会い頭にしたことは。
「逆さのままで失礼だけど、こんにちは」
人間関係を作る基礎。
それはずばり挨拶だった。
まさかそんな反応が返るとも、望外の獲物がかかるとも思わなかったんでしょうね。
人間達は面食らって。
つい咄嗟の時は、多分誰だって慣れ親しんで癖とも言える物が出るものだけど。
この時の兵士さん達も同じ心理だったんでしょうか。
「こ、こんにちは」
兵士は戸惑いがちに挨拶を返してきた。
にへらっと笑う私と、困惑する兵士さん達。
異様な睨めっこは、兵士さんの1人が即座に正気に戻って終わりを告げた。
代わりに始まるのは、私の見定め品評会&事情聴取。面倒くさい。
何となく事情聴取の前に、マジマジと視線を受ける。
「なんだこいつ」と、兵士達の目がいっていた。
自分達が罠にかけといて、失礼な。
『なんだ此奴は。この辺はカーバンクルの生息地に近いから、絶対にかかると言っていた癖に…かかったのは別のものじゃないか』
『カーバンクルじゃないんですか、これ』
『さっき共通語で挨拶してきたじゃないか。人間だろ』
兵士達の会話が聞こえてくる。
――あ、『人間の言葉』だ。
最初はあまり使わない言語だから、意味が頭に入ってこなかったけど。
何語かな、と考えて思い至ってからは意味が透き通るみたいに理解できる。
獣人の一部とか、竜の一部とか。
独自の言語を使う一族もいくつかはあるけれど。
魔族と、その魔族が支配する魔境は大体言語も統一している。
昔は魔族も独自の古語を使っていたらしいけれど。
なんだかんだで色々な人間の国に侵攻するし。
他にも『勇者』とか『拾い子』とか、人間と関わる魔族もいるからでしょうか。
それとも魔王城の隣に堂々とご先祖が人間の村を作ったせいでしょうか。
現在、魔境は人間の国々と同じ言語…
共通語と呼ばれる、人間達の大多数が日常的に用いる言語を使っています。
だから、魔境でも人間の国でも問題なく話は通じるけれど。
魔境よりもずっと多種多様な人々の犇めく人間の国。
そんなに必要あるの?ってくらいに数の多い人間の国。
由来も発展の仕方も国によって異なるから、自然と文化も異なるらしいです(伝聞)。
その関係で、人間の国々の言語は魔境よりもずっと多様性に富んでいるとか。
何しろ国によって一々言葉が違うことが普通らしいし。
特に辺境、魔境と境界を接する国々は独自の言語を使う習慣が強いんだって。
日常会話は共通語よりも自国語の方が一般的って国も少なくないそうです。
当然、目の前にいる兵士達の国も。
にしても共通語=人間と判断するところを見るに、魔族の生態には疎そう。
それが個人的な無知か、集団的な無知か…
その辺でも、やっぱり国によって違いが出るんだそうです。
彼等の場合は、どっちでしょう?
魔境に近い辺境国家である分、少しは魔境への知識もあるはずなんだけどなー。
聞こえてきた言語から兵士達が何処の国から派遣されてきた人間か当たりを付ける。
ああ、確かにあの国の王様は強欲だって噂を聞くや。
兵士さん達も大変だね、と。
逆さ吊りの身ながら同情心が湧いた。
明らかに、傍目には私の方が同情するどころじゃないように見えた。
私が同情の生温い目を送っていることにも気づかず(何故なら視点が違うから)。
兵士達は罠にかかってしまった被害者をどうするのか途方に暮れている。
まさか標的外がかかるなんて、想定していなかったらしい。
そしてかかったのが一見人間に見えるから、より一層。
腹の底、考えが浅いと鼻で笑ってみたけれど。
そもそも罠にかかった間抜けの私が笑える事じゃない。
そのことに気付いてさり気なく落ち込んだ。
『この娘は本当に違うのか?』
どうやら現実を認めたくない様子の、兵士A。
『違う。髪色を見てわからないか? あの獣人共はみんな薄っぺらい髪色だって話だ』
『そうそう。獣の姿を見ても白とか、薄いクリーム色だし』
どうやら現実を見据えつつ、それでも兵士Aと同じくらい困惑中の兵士Bと兵士C。
兵士Aはよほど現実を受け入れたくないのか、反論に一所懸命だ。
『だが、全部のカーバンクル共が似たような髪色しかいないとは限らないだろ』
『そういう種族特性だと、上官殿は言ってたじゃん』
『口喧嘩は止せよ、もめるまでもない。この娘の額を見れば一目瞭然だ』
もめながらも、兵士Bが私の額を露出させる。
そのことで一応の納得を見せながらも、兵士Aは不満げだ。
そんな兵士Aのことを、他2名は呆れたように見ていた。
そうですね。
カーバンクル(人姿)は透き通るような淡い色合いの髪の人以外いませんからね。
比べて私の髪は淡いとはとても言えません。
どう見てもどう考えても、カーバンクルとは別生物です。
にしてもこの物言い…
彼らは、カーバンクルのことを獣人だと思っている派閥なのかな?
残念、彼らは魔族です。
謎めいた種族の秘密のベールは、中々外側からは捲りづらい様子。
魔族だと知っていたら、もう少し対応も違っただろうにね。
しつこく検分を重ねて、3人はようやっと私が人間だと納得しました。
もう本当にしつこくて、セクハラって叫ぼうかと思った。
でも兵士さん達にしてみれば切実なんでしょう。
手つきに嫌らしさがないから勘弁してあげたけど…
……嫁入り前の娘に何をすると、怒りが顔を出しそうになった。
怒って相手を刺激しても、ろくな事になりそうにないから我慢したけど。
今の私は囚われの身。抵抗しても立場を悪くするだけ。
………でもこの暴挙をまぁちゃんが知ったら、どうなるだろうか。
私は鬱憤晴らしも兼ね、想像の中だけで怒髪天のまぁちゃんを想像して楽しんだ。
だけど、そう。
一番執念深く私の正体を疑った兵士Aには、何時か報復したい。
暗く邪悪な願望は、どうやったらすっきりするかな。
…助かった暁には、まぁちゃんに告げ口してやろ。特に兵士Aについて。
納得で落ち着いた兵士達が、私にも口があることを思い出したのは、30分後。
だけど私はまだ逆さ吊りだった。
いい加減降ろしてくれないと、頭が大変なことになる。
「あなた、わたしの、言葉…わかりますか」
話しかけてきたのは、兵士B。
だけどすっごい片言だった。
これは共通語だと意思の疎通に時間がかかるなー…。
大変な労力が予想されます。
ここは私が合わせてあげた方が良さそうですね。
『言葉でしたらわかりますよ?』
「「「っ!」」」
相手の言葉で返してあげたら、3人同時に驚かれた。
どうやら言葉がわからないと思われていたみたいですね。
そんな、見るからに分かりやすく「やべっ」って顔しなくても。
…先程までの会話には言及しないであげます。
有難く思ってくれても良いと思いました。
『警戒なさっているのか、それとも何か私にはわからない理由があるのか知りませんけれど、いい加減に降ろしてもらえませんか?』
『あ、ああ』
相手からの反応が芳しくないので要求を突きつけてみたら、割合あっさりと願いが叶ってしまう。
これは、もっと早く要求するべきでした…。
ようやっとこんにちは、地面。
草の香りと冷たい感触。
そして湿った土の吸い付くような温もりが懐かしい。
頭に血が上りすぎていて、足はふらふら。むしろびりびり。
痺れが完全に抜けるのは何時のことか、果てしなく思える。
頭がぐわんぐわんして、気持ち悪い。
立っているのは無理そうだったから、許可もらって座り込んだ………ら。
一気に反動が来て、頭の中がふらついた。
自覚もないまま意識がぼやけ、私は気絶してしまう。
ぼんやりと、薬草積み直さないと…なんて思いながら。
この時の私は、本当に思い至らなかった。
この場に放置してくれた方が有難いなーなんて思いつつも。
良識ある大人が、どうするか。
人間と判明した娘を、彼らが危険だと思う場所に放置するはずがないだなんてこと。
そもそも過失で気絶させてしまった女の子を放置するのは余程の外道だってこと。
それら一切、考える事もできないくらいに。
私の頭には、血が上っていたのです(比喩ではない)。
そして、目覚めた時。
私は何故か、医務室っぽい場所にいました。
そこが紛れもなく医務室。だけど何処の医務室かは分からない。
自分が気を失う前にいた場所――緋赤盛りから遠く離れた場所に来たこと。
そのことを知った時の、途方に暮れた感覚を味わうのはすぐでした。
魔境と端を接する辺境の、人間の国シェードラント。
小さな小さなその国の、お城の隅にある兵舎の中。
何故そんなところにいるのか理由も知らず。
気を失っている間に運ばれて。
私は高い塀の中に、厄介ながらも保護されてしまったのです。
血の気が引く。
恐ろしさに身が震える。
脳裏に浮かぶのは、せっちゃんが誘拐されたと知った時のまぁちゃんの顔。
+、そんな魔王を前に私に対処を押しつけて止めることのできなかった仲間達という、悲しくも頼りにならない思いをした記憶。
私だって、まぁちゃんに溺愛されている自覚はあります。
ああ、このままじゃあの時の二の舞に…なる?
私は人間、彼らも人間。
あんまり苦慮すべき事態にはならないと信じたいんですが…
誘拐は、誘拐です。
どう考えても、このままじゃまぁちゃんの逆鱗に触れます。
想像の中…
助けに来てくれたまぁちゃんの顔は、世界を蹂躙し破壊し尽くす鬼神の顔をしていた。
どうかその想像が現実になんてならないように。
残された良識…勇者様の力に期待するしかありません。
もしもまぁちゃんが暴走するのなら、頑張って止めてほしいと。
そう思いつつも。
勇者様じゃ抑止力にならないかも知れない。
そんな予想と共に、シェードラントの絶望と滅亡とを予感の中に垣間見た気がした。




