9.逆さ吊りキャンペーン実施中
今回は途中で勇者様の視点が差し挟まれます。
私も身に覚えがありますが、子供って本当にじっとしていません。
そう、それはこんな非常時の、危機が身に迫っている時にすら。
格好の良い遊び相手と認定されてしまった勇者様。
ちびっ子モンスター達は、そんな勇者様を私に負けず劣らず振り回した。
その皺寄せというか被害が、私にまで及ぶなんて。
きっと勇者様も、思っていない事だったのでしょう。
勇者様を悔やませる事態に陥るまで、あと10分。
今日は何事もなく終わる、私達にとっては平和な1日だと思っていました。
若干、勇者様が魔族の向かった先を気にしてか、憂い顔ではありましたけど。
子供達がそんな元気のない勇者様を気にする素振りはあったけど。
そこで励まして元気にしようと画策し、そうして的外れな方向に走るとは。
元気にする=落ち込む余裕もないくらい慌てさせる。
そんな発想が出るなんて。
まさか誰も予想もしていませんでした。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「ひゃーあっ」
子供の悲鳴。何事か。
すわ一大事かと顔を上げれば…
「…は?」
何故か、本当に何故だ。
子供の1人が、ロープで逆さ吊りになっていた。
「おうじさま、助けてっ」
潤んだ目で救いを求める子供。
その瞳の奥に、鋭く光る何か。
ぎらりと光るそれは、かつて何度も向けられたものに似ている。
………子供は、女の子だった。
ふと、過去の忌まわしくも悲惨な記憶が蘇りそうに………
「たすけてーぇ」
「あ、ああ…今行く」
いや、そんな訳はないな。
相手はこんな子供だし、魔族だ。
人間よりもずっと魅了耐性の強い、魔族だ。
神の加護という忌まわしい恩恵の副産物、魅了効果。
それにやられた女性には散々酷い目に遭わされてきたが…
相手は子供で、魔族。
その事実に胸の奥で騒ぐものを宥める。
そもそも相手はそれどころじゃないと、自分に必死に言い聞かせて。
不吉な予感を伝える、俺の第六感。
今まではそれに大変お世話になってきた。
だけど今この時。
長く安穏とした平和の中で、多分俺は警戒心を鈍らせていた。
忘れていたんだ。
獲物として狙われた時の、油断できない緊張感を。
魔境に来て以来、俺が誰かに狙われる事なんて、今まで無かったから。
そんなことぐらいで忘れ去れるほど、過去は薄い記憶でも無かったのに。
俺は油断と不用心のツケを、すぐに支払う羽目となった。
他ならぬ、助けに向かった女の子によって。
そもそも、なんで女の子が逆さ吊りに?
そんな当然の疑問にも行き着けないほど、俺は動揺していた。
俺は慎重に近づき、女の子の足にかかったロープに手をかけて…
「きゃぁぁぁあんっ」
「うぐ…っ」
鳩尾に、どぎつい一発を食らった。
完全に、無防備だったそこ。
手はロープにかかり、防御する猶予もなく。
助けに近づいたはずの、女の子。
下手人と化したその子供。
ロープに、次いで女の子の上げた悲鳴にと意識の逸れていた俺の腹に…っ
腹にめり込んだのは、女の子の鋭い拳だった。
思わぬ打撃が、腹筋を突き破りそうな衝撃で突き刺さる。
外見からは完全に予想外の怪力。
巨熊を思わせるそれに、大打撃を受ける。
どんなにか弱く細く見えても、やはり魔族か…
そんな感想と共に、俺の意識は完全に刈り取られた。
目が覚めると、其処は何故か穴の中。
何故に?
どうやら調べてみると、涸れた古井戸らしいということはわかった。
だが、それでどうしろと?
「……何とか出られそうだ。上で何が待ち受けているのかわからないが」
脱出を試みながら思い浮かぶのは、意識を失う直前の出来事。
もしや、子供達にはめられた?
そう思い浮かぶのに、時間はかからない。
問題なのは、あの女の子の単独行動かそれとも4人の子供の総意なのか。
それで身に迫る危機感が変わってくる。
もしもコレがかつて腐るほどに受けた女性被害と同じ性質のモノなら…
………相手が子供でも、油断できないと過去の経験が告げる。
久々に感じた身の危険に、ぞわっと背筋が粟だった。
あの汚れなき(ように見えた)子供達はまだ純真であってくれと、切実に思う。
ただの悪戯であってくれることを願いながら、古井戸を脱出した俺は…
何故か4方から一斉に、赤い衝撃の被害を受けた。
トマトだった。
トマトが矢継ぎ早に、途切れることなく顔面狙いだ。
余程、息のあった者達が組んでいるのか。
絶妙のコンビネーション。
此方が避けにくいタイミングを合わせて同時に剛速球を見舞ってくる。
飛んでくる球はトマトだが。
誰が投げつけてきているのか…考えるまでもないな。
そう思いながら、4方から同時に投げつけられることでホッとした。
少なくとも、4人全員での犯行ならこれは多分ただの悪戯だ。
その事実に、細かいことはどうでも良くなるくらいに安堵した。
俺が大事なことに…
リアンカを1人切りにしてしまったことに、思い至ったのは………
………子供達を全員捕獲した、その後だった。
カーバンクルの族長の怒りと、まぁ殿の怒り。
どちらがより恐ろしく、被害が大きいか。
そんなこと考えるまでもなかったが。
それでも目の前の子供を保護することを優先してしまった。
危ない行事が行われている真っ最中。
注意し、目を離してはいけないこと。
それは誰に対しても怠ってはいけなかったのに。
そのことに関する非は、完全に俺1人のものだ。
大急ぎでリアンカのいたはずの場所へ、駆け戻る。
だが戻った俺が見たものは…
落ちて壊れたリアンカの篭と、散らばった薬草。
踏み荒らされて土の捲れ上がった地面。
俺が見付けることができたのは、リアンカの連れ去られた痕跡だけだった。
子供達の血の気が引いて、狼狽えるけど。
それを宥める余裕もない。
弱々しい謝罪の言葉は、耳に滑って頭に入らない。
一刻も早く探すこと、取り戻すこと。
頭の中はその為に取るべき方策しか巡らない。
それでも理性を総動員して、冷静さを引き寄せる。
子供達を預け、まぁ殿に連絡を取る為に。
俺は子供達を抱えて、大急ぎで森の中心に隠された里へと足を速めた。
何となく、俺は殺されるかも知れないと思った。
…まぁ殿に。
困りましたね。族長殿がそう言って、まぁ殿に連絡を取る。
何を置いても取り直さず、神速で駆けつけたまぁ殿。
彼の怒りに晒されて、死ぬかと思った。
そんな避けられない怒りを食らう、30分前の出来事。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「…何故にこうなった」
呟いても、状況って変わらないね。悲しくなるね。
気づいたら、知らぬ間に勇者様達とはぐれていた。
みんな、何処に行ったんだろう。
心配半分、不安半分。
だって今は、狩り祭りの真っ最中。
そんな現場近くで、戦う手段もないのに1人切り。
それで平然としていられる程、馬鹿なつもりはない。
離れないように気をつけていたつもりなのに。
薬草を摘んでいるうちについつい周囲への注意力が低下していたのか。
私は完全に、勇者様達の姿を見失っていた。
それでも摘んだ薬草を入れた篭だけは手放さず。
私は僅かな草地の乱れ、誰かの歩いた痕跡を頼りに勇者様達の後を追う。
まさか追っている痕跡が、勇者様のものじゃないなんて。
緋赤森の端っこに、侵入者がいたなんて。
そんなこと、思いも寄らずに。
そして私は、罠にはまる。
あっと思った時には、視線の端っこで走るもの。
いきなりすぎて、何か一瞬わからなかった。
蛇?とも思ったけれど、走ったのは隠されていたロープ。
反応なんてできる時間もなかった。
何時の間にそうなったのかもわからないくらい。
私は異変を察知するのとほぼ同時に、逆さ吊りの憂き目にあっていた。
「何の因果だろ、これ…」
なんだか、深い業を感じる。
観光旅行とかいって、勇者様を散々な目に見せた報いかな。
いやいや、それなら勇者様本人から受けないと意味ないし。
これって普段の行いが悪いのかな…
逆さにされて1時間近く経つ頃には、悲しくて堪らなくなっていた。
というか、頭に血が上って…
たいへん、きけんです。
クラックラきて、私の目は今にも回りそう。
それを根性でぐっと堪えつつ。
こんなけったいな罠を仕掛けた誰かが、助けに来てくれるのを待った。
だってこの森には、悪戯の好きなカーバンクルが巣くっている。
これもそんな彼らの悪戯の一環だと、私は思っていたのです。
それが全くの勘違いだと、思い知らされるその時まで。
そして私は、思い知らされる。
この罠が、人間の作った物だと言うことを。
近くに潜んでいたんでしょうか。
罠を仕掛けた人は、私が思うよりも早く現れました。
私としては日暮れまでかかることを覚悟していたんですが…
逆さになって、1時間と30分。
それくらいの時間で、彼らは現れたのです。
――人間でした。
揃いのマントに、揃いの鎧を着けた人達。
お揃いなんて、彼等は余程の仲良しさん?
…いえ、違いますよね。分かっています。逃避してみただけです。
彼らの服装は、彼らが同じ組織に所属しているのだと言うことを示しています。
そして今この時期にこんな格好で、近辺をうろついている人間といえば…
もう、考えなくても答えは1つで。
しかも私のいる方向へ真っ直ぐ目指してくる。
それを見るに、罠の仕掛け人は多分、彼らと言うことで…
どうしましょう。
私、魔族さん達のターゲット(の、一部)に接触してしまいました。
…彼らの運命を知る身としては、後味悪いなー…。
この時、私の抱いた感想はそれくらいの物でした。
私が人間なのは見ただけでも明らかだから。
私は人間だとわかればすぐに解放してもらえると。
そんな風に軽く見てたから、私は困ることになった。
もっと焦って必死になって、自力で脱出してれば良かった。
先に立たない後悔は、予見できないから後悔なんですね。
時に人の善意は悪意を上回って厄介さを増す。
私は時を置かず、そのことを知ることになりました。
私は人間で、小娘で、戦う術もなくて。
そんな私を危険な場所で発見した良識ある大人が、どうするか。
どんな行動に出るかなんて、意識もして無くて。
だって、此処は私にとっては危険でも何でもないんだから。
相手の立場で発想を得ることができなかった。
とても不本意なことながら。
私は彼らに、人間の兵士達に保護されてしまったのです。
お願い。
そういうことは、保護者に許可を取ってからにしてください…。
一番近くにいる私の保護者、魔王だけど。
勇者様ごめんなさい。
私がいなくなったことで大目玉食らうんだろーなあと。
まぁちゃんに殴られる光景と共に、それくらいは鮮明に予想が付きました。
だから、声が届かないと知ってはいますが。
遠い場所から、心の中でだけ謝罪を何回も唱えたのです。
迎えに来てくれるだろうまぁちゃん。
彼が私可愛さに心配へと陥り、どんな暴走をするだろうかという不安と共に。




