引っ越しの行方
「俺、あと二ヶ月で引っ越すから」
その言葉を聞いたのは、太陽のぬくもりを感じる教室の前の廊下だった。
五月の天気は、その日の空の機嫌によって、平気で変化していく。
昨日寒いかと思えば、今日は暑い。そんな天候の変化で、風邪をひく生徒も多いようだ。
その日は随分と暖かい日で、衣替えで夏服を着る生徒が大多数だった。
特に自転車で登校した生徒は、汗をかく人もいるくらいである。
「なあシンヤ、今日は暇?」
教室に向かう廊下で、どこにでもいるような男子高生のヘイシロウは、高身長のイケメン男子高生である、幼馴染のシンヤに尋ねた。
「ん、なんだ、またラーメンか? お前好きだな」
かばんを肩にかけ、シンヤはだるそうに答える。
「いいじゃん、別に、今日は暇なんだろ?」
「まあ、テスト前で部活もないし。って、お前勉強はどうすんだよ」
「勉強? もちろん、シンヤのを写す」
「それじゃ勉強にならんだろ。まったく」
はぁ、とため息をつきながら、シンヤは間もなく到着する教室まで足を運ぶ。
廊下には同級生が、始業前の時間を思うままに過ごしている。
外を見ている生徒に、友達とゲームの話をしているクラスメイト。
時々友達を見つけては、「おはよう」と声をかけた。
「シンヤ、なんかあんまり元気なさそうだけど、どうかしたか?」
ヘイシロウが、シンヤの顔色をうかがう。
「ん、そうか?」
「おとといも病院行ったって言ってたし、まだ体調が悪いのか?」
ヘイシロウが言い終わるかどうかのタイミングで、シンヤは教室の扉の前で突然立ち止った。
「ヘイ、お前には、言っておかないといけないな」
「え?」
シンヤにつられてヘイシロウも立ち止ると、シンヤは振り返ってヘイシロウを見つめた。
「俺、あと二ヶ月で引っ越すから」
あまりに真剣な顔をして話すので、思わずヘイシロウは吹き出した。
「ちょ、突然なんだよ。どうせ引っ越すったって……」
直後、ヘイシロウの後ろでどさりという音が聞こえた。
振り返ると、そこには茶髪のロングヘアの女生徒が立っていた。
足元には、女生徒のものと思われるかばんが落ちている。さっきの音は、このかばんが落ちる音だろう。
「ひ、引っ越すって……」
先ほどの話を聞いていたのか、女生徒はおろおろしながら半分涙目になっていた。
「なんだアユミ、聞いてたのか」
シンヤがその女生徒、アユミに声をかけると、アユミはふらふらしながらシンヤの前にやってきた。
「ねえ、シンヤ君、引っ越すって本当?」
「え、うん、まあ」
シンヤが頷くと、アユミはがくっとうなだれた。
ほとんど同時に、教室の扉が開き、バナナを加えた別の女生徒が顔を出した。
「んー、どうしたのだ? もうすぐホームルーム始まるぞぉ?」
もごもごと、まるでしゃぶっているような口つきでバナナを食べている女生徒は、シンヤとアユミを交互に見ながら何があったのかを詮索していた。
「スイコ、聞いてよ」
アユミはバナナの女生徒、スイコに近寄ると、バナナを持っていないスイコの右手をぎゅっとつかんだ。
「シンヤ君、あと二ヶ月で引っ越すんだって!」
「え、えぇ?」
スイコは思わず持っているバナナを落としそうになった。
「え、シンちゃん、引っ越すの? どこ? どこに引っ越すの?」
スイコは怒涛のラッシュでシンヤに迫り、質問を繰り返す。
「ん、あー、大阪」
「ちょ、大阪って、シンヤ」
呆けたように答えるシンヤに対して、ヘイシロウは右手で突っ込みを入れる。
それに対して、にやにやと笑って返すシンヤだったが、どうも女子二人はそういう気分ではなさそうだ。
「え、何? 転校するの? 私、シンちゃんに何すればいい? 今から毎日シンちゃんの写真を撮ればいいの?」
「スイちゃん落ち着きなよ。ここ教室前だよ?」
あたふたどころではない動揺を見せるスイコを、ヘイシロウは必死になだめる。
その様子を、何事かと廊下にいた生徒数名が見ているが、声をかける様子はない。
「えっと、あの、シンヤ君、私、まだ渡してない絵とかいっぱいあるから、あと二ヶ月でもっと描いて、渡すから!」
「あ、うん、ありがとう」
アユミがシンヤを見上げながら言うと、シンヤはそっけなく返事を返した。
シンヤがふとアユミの顔をを見ると、今にも泣き出しそうなほど目に涙を溜めている様子がわかった。
「あーあ、シンヤ、女の子を泣かしたな」
ヘイシロウがシンヤとアユミの顔を比べながら、シンヤを茶化す。
「え、いや、そんなつもりじゃないんだが」
「んん……っ! シンちゃん、アユちゃん泣かした? それはもう謝るしかないでしょ」
「何で謝らないといけないんだよ」
整った顔立ちのイケメンがブスリとすると、なんともいえない意地悪さがにじみ出る。
「まあ、でもあれだ。二ヶ月したら引っ越すけど、引っ越してもたまには遊びに来てくれよな」
そういうと、シンヤはスイコの隣をすり抜けて教室に入ろうとする。
「隣町にね」
シンヤが言い終わると、ヘイシロウを覗く二人はきょとんとした顔をしてシンヤを見つめた。
「え、ちょっと、隣町って、どういうこと? ねえ、シンちゃん?」
慌ててスイコがシンヤの後を追う。それにつられるように、アユミもついていく。
「引っ越しはするよ。でも大阪じゃなくて、隣町」
ゆっくりと自分の席に座りながらシンヤは言った。
「いやあ、姉さんが住んでるところが隣町で、こっちはじいちゃん死んで住んでる意味もなくなったから、売り払おうっていう話が出て、それで引っ越すんだよ」
ははっ、と手を頭にくんで笑うシンヤの一方で、シンヤの机の前にいたアユミは一気に力が抜けたように教室の床にへたり込んだ。
「……かった」
「え?」
何かをつぶやいたアユミが気になり、シンヤはアユミの顔を覗き込もうとした。その時。
「よかったよぉ! シンヤ君が急にいなくなるって言うから、私、私、うええん!」
急にせきを切ったようにアユミが泣き出した。その声は教室中に響き渡り、教室中の生徒が注目することになった。
「ああ、やっぱりそういうことだったか」
後ろからヘイシロウが顔を出した。
「シンヤのことだから、どうせそんなことだろうと思ったよ。遠くに行くなら、もっと前から言うだろう」
「嫁、知ってたのか」
スイコがヘイシロウをにらみつけながら言う。
ちなみに、この二人は別に付き合ってるわけではなく、スイコがヘイシロウのことをそう呼んでいるだけだ。
「こいつの性格からしたらわかるだろ。まったく、俺はシンヤと何年付き合ってると思ってるんだ」
「まったく、ヘイは冷めてるねぇ。もう少し心配してくれてもいいのに」
そういうと、シンヤはアユミの頭をなでた。
「ま、そういうわけだから、別に転校とかはしないよ。もっとも、アユミの描いた絵はもらうけどな」
その時、朝のホームルームを告げるチャイムが鳴った。シンヤの周りにいた生徒たちは慌てて自分の席に着く。
アユミもなんとか立ち上がって、自分の席に向かった。途中、「よかった、本当に」と何度もつぶやいていた。
「まったく、変な冗談で女の子泣かすなよ」
シンヤの隣に座るヘイシロウは、担任の教師が今日の予定を告げているそばで、こっそりシンヤにつぶやいた。
「あれはたまたまアユミが聞いてただけだろ。まあ、今回の件で、自分がいなくなったら寂しがる人がいるっていうのがわかってよかった」
「いなかったらどうするのさ」
「その時は、その時さ」
ふと教師がシンヤの方を見た気がしたので、シンヤとヘイシロウは慌てて前を向いた。
やっぱり、自分がいないと寂しがる人って言うのはいるんだな。
別にいなくてもいいと思ってたけど、そうでもないみたいだ。
しかし、これで言いにくくなってしまったじゃないか。
「俺の命が、あと三ヶ月しかないなんてな」
ツイッターのやり取りからできた話。
若干ノンフィクション入ってます。