ホムンクルス誕生?
「ホムンクルスって作れないかな。」
店で売るための薬を作っている最中、ふと由梨がそんなことを言い出した。
「錬金術といえば賢者の石にホムンクルスでしょ!」
「まあ、確かにな。」
作業の手は止めないまま、ほとんど生返事と言えるトーンで理久は相槌を打つ。賢者の石にホムンクルス。某アニメーションに限らず、錬金術を扱う作品ではかなりの頻度で出てくるアイテムだ。錬金術のだいご味と言ってもいいだろう。
「ねえ、作り方と材料調べてやってみない?」
「……一応、どちらも知ってるが。やりたくないからやらない。」
薬を瓶に移し換えながらも理久は断言した。だが由梨はあきらめない。理由もなしにあきらめろというのは無茶な話だ。
「知ってるなら教えてよ。一人でやってみるからさ。」
「……材料集めも一人でやるんだな?それでよければ教えてやる。」
理久の冷たい視線もなんのその。由梨は知的好奇心で目を輝かせて続きを待った。しばらくためらった後、ようやく嫌そうに声を絞り出した。
「蒸留器に人間の精子を入れて四十日間発酵させる。それから」
「ごめんなさい。あたしが悪かったからもうそれ以上言わないで。」
要らぬ知識で大人の階段を一つのぼってしまった初夏であった。
由梨のホムンクルス発言を忘れかけた頃、事件は起きた。
「ねえ、何か音がしない?」
「……多分、倉庫だな。何か倒れたような音だが師匠は寝てるはずだよな。」
「うん。一度寝たら朝まで起きないし、じい様じゃないと思う。なんだろ。見に行こうか?」
「だな。薬品がこぼれて爆発しないとも限らん。」
ここで由梨たちの住居について少し解説しておく。住居は三つの小屋が集まっている状態で、由梨と理久の居住区と書庫を兼ねた小屋、師匠の居住区と倉庫を兼ねた小屋がある。その二つの小屋の間に石造りの家があり、地上は薬品やアクセサリを作る研究室を兼ねた工房、地下は金属加工用の炉を設置した作業場になっている。三つの建物は渡り廊下でつなげられていた。
渡り廊下を通って倉庫へ。そこで確かに異変は起きていた。何かがこぼれたり倒れたりする被害はでていない。だが、ある意味それ以上ではあった。
「樽が、揺れてる?」
「っていうか、ダンスしてる感じ? あれって、漬物用の樽だったよね。」
なんとなく入ることがためらわれて、わずかに開けたドアからこっそり倉庫の中を覗いてみた。確かに漬物用の樽が揺れている、というよりも踊っている。くるくる回り、ステップを踏むかのように跳ね回っている。
「……疲れてるのかな。今日はもう寝よう。」
「現実逃避するな。私も見えている以上、高い確率で現実だ。」
「漬物の管理は理久の担当だったよね。後は任せるね。」
「逃げるな。」
逃げ出そうとする由梨の後ろ襟を捕らえ、意を決して倉庫に入る。すると機嫌よく踊っていた樽が振り返った。どうやら扉に背を向けていたらしい。どちらが前かはよくわからないが。
『あ、父ちゃんと母ちゃんや。』
「……は?」
あっけに取られる二人のそばに、樽は駆け寄る……もとい、跳ね寄る。悪い夢ではなく現実として、何故か漬物樽が動き、喋っているようだ。理久は叩き込まれた習性から由梨をかばうようにして立った。
ぬか漬けの魅力であるその味は、酵母と乳酸菌の力によるものだ。長い間使い込んだぬか床の熟成された味は、酵母や菌がぬか床で培養された結果によるもの。ある意味、ぬか床――――目の前の樽に使っているのは小麦のふすまなのでふすま床だが――――はそれ自体が生き物と言える。
『それだけやったらウチも母ちゃんに世話されるだけの、ただの静かな漬物床やったんやけどな? 父ちゃんがウチに命を吹き込んでくれたわけやっ!』
「つまり、あたしがお父さんで理久がお母さん?」
『せや。父ちゃんがウチに黄色い粉をかけたその瞬間! ウチはこうして命をゲットしたんや! 』
樽はさらに勢いよく飛び跳ねる。ドスドスと。元は酒場で譲ってもらったウイスキー樽だ。外見は大きくゴツい。しかも中にはたっぷりと野菜やらふすまやらが詰め込まれている。多分中身は数十キロではすまないだろう。
そのクセに声は愛らしい。表現するならば萌え系だろうか。
そのギャップは一種の暴力だった。
襲い来る頭痛にどうにか耐えながら聞いていると、理久は樽の言葉に気になる点を見つけた。
「由梨が、何をかけたって?」
「もしかしたら、この間の大掃除! ほら、あたしがうっかりサフランの瓶を落としちゃったじゃん。」
そういえば、そんなこともあった。由梨はきれい好きだし、理久は効率を求める。調合用の素材を大量に仕入れたときは棚の整理をかねて大掃除をするのが常だった。
そして、先日の大掃除のときに由梨はうっかりサフランをつめた瓶を落としていた。中身はほとんどこぼれなかったはずではあるが。
「そのときに花粉でもついていたってこと、か、な?」
由梨はなんとも引きつった笑みを浮かべた。
父ちゃん、である。まだ結婚してないのに。その前に彼氏すら出来たこともないのに。しかも女なのに!
「樽の子供を持った覚えは私も由梨もないが……これも一種のホムンクルスか?」
理久は何かを耐えるような顔で眉間を揉み解しながら呻いた。
そう、ホムンクルスである。人間を植物に例えたとき、ホムンクルスを作るのに必須の材料・精子は花粉になる。花粉が蒸留器代わりの樽で熟成され、やがて命を得たのだとしたら。
『せや。ウチ、ホムンクルスや。』
「あ、ありえない……。」
由梨が呆然と呟くが、現に樽は動いているし話している。ホムンクルスの定義に照らし合わせるならば樽は入れ物に過ぎず本体は中身のふすま床のはずだが、そのあたりはどうでもいい。
「問題はこのまま食ってて害がないかっつうことだろ。師匠のつまみにもしてるし、市場でも主力商品の一つだし。」
「それはそう……かな?正直、日本なら喋る漬物なんてリコール物だよね。」
『大丈夫や。ウチは喋るだけの漬物床やで。これからも皆様のご健康をお守りします~ってなもんや。』
「それが大問題なんだ、樽。」
気楽なのは樽一人(?)である。漬物を売っている立場である以上、胡散臭い噂はごめんだ。「あの錬金術士は怪しいものを作って売っている」なんて噂が立った日には色々と洒落にならない。
ただでさえ、身分詐称やらなにやらで後ろ暗い身分なのだ。これ以上のトラブル要素はどうにかして避けたいところだ。
しばらく考えて、理久は思いついたように手を叩いた。
「よし、学者馬鹿に送ろう。何か送りたいものがあるときは名義を貸してくれるって領主も言ってたろ。」
「アーロンさんに?」
「ああ。錬金術で作り出された生命体とでも言えば喜んで受け入れるだろうよ。」
『母ちゃんひどいっ! わが子を売る気かいな!』
樽に言われても理久の良心はいたまない。むしろ名案だとばかりに考えを進めていく。
まずは手紙を書いたほうがいいだろう。樽が動くようになった経緯を説明して、ついでに世話の仕方も書き加えたほうがいいかもしれない。アーロンは知的好奇心が暴走しやすいが、基本的に悪人ではない。丁重に扱ってくれることだろう
理久は樽の肩……がなかったので蓋に手を載せた。
「いいか、樽。私の故郷には『可愛い子には旅をさせよ』という格言がある。」
『なんやの、それ。』
「わが子が本当に可愛ければ、あえて試練を課して立派な人物にさせるのが親の務めという意味だ。」
もっともらしい顔をして樽を諭す。もちろん、理久は樽を子供だとは思っていない。
「私たちの知り合いで、王都で働いている男がいる。その男のもとで世間を見て立派な漬物樽になれ。それが私が親としてできる責務だ。」
『母ちゃん……。』
「王都には珍しい野菜もあるらしい。それらを漬物にしてやればいっそう立派になれるはずだ。」
樽に目があれば潤んでいるだろう。樽にとってその言葉はそのくらい説得力があるようだった。無論、厄介ごとを避ける為の方便だが。
『わかった。ウチ、頑張って世界一の漬物床になってみせる!』
「よし。私たちは遠くから樽を応援するからな。頑張れ。」
すっかり騙された樽は意気揚々と王都に運ばれていった。
後日、アーロンから手紙が来た。どうやらあの樽は理久が推測したとおりの理由で意思を得たらしい。伝説と同じくさまざまな知識を生まれながらに持っており、アーロンの研究を手助けしているとか。
「……しかも、あの樽はアーロンに一目ぼれしたものだからラブコールに戸惑っている、か。」
読み終えた手紙をテーブルに放り投げる。漬物床は新しく作り直した。今のところ喋りだす気配は無いが、念のため普段は布で覆っている。うっかり上に瓶を落としても大丈夫だろう。
「なんていうか、よかったのかなあ……?」
「いいんじゃないか?新しく作った漬物床もなかなかの出来栄え。アーロンもいいデータベースを得た。八方丸く収まったろ。」
「キレイゴト言ってアーロンさんに押し付けただけじゃん。」
「結果オーライだ。」
すました顔で香草茶をすする理久を、由梨はじとりとにらんだ。
「そもそも、漬物樽が喋るような非常識な世界に引きずり込まれたんだ。この程度のことはフォローしてもらって当然だろ。」
「それ、絶対アーロンさんの責任とか関係無いと思う。」
相棒の悪辣さにため息が漏れてしまう由梨であった。