空を自由に飛ぶ方法
「頭につけるタイプのプロペラは?」
「SFワールドのあれか? そのまま再現しても、首がもげるだけらしいな」
「背中に翼をつけてみるとか……」
「太陽に近づいたら墜落死しそうだからなあ。」
「うう~~~~。」
石を削って作った黒板に由梨がアイディアを書き込むが、理久が片っ端から雑巾で消していく。筆記に使うチョークは町の居酒屋に譲ってもらった貝殻を砕いた粉で作ったもので、理久的に最近の最高傑作だ。
「お嬢もお嬢だがお前も真に受けるな、実践しようとするな。錬金術は万能ってワケじゃないって師匠も言ってたろ」
「わかってるよ。でも不可能に挑戦するのが錬金術の定義でしょ」
口を尖らせて由梨が言い募ると、どうやら痛いところを突かれたのか黙り込む。気が乗らない研究から逃げる為のいいわけだったらしい。
「ただでさえ師匠に命令された酒の研究で忙しいってのに……」
「でもさ、やっぱり人間にとってはロマンだと思わない?」
由梨は芝居がかった仕草で両手を広げながら立ち上がった。
「空を飛ぶ、なんてさ」
発端はサラ嬢からの手紙だった。『リカルド・ヴィンター』への愛の言葉に夢見がちな少女らしい表現があったのだ。『もしも空が飛べたなら、すぐにでも貴方の元へ参りますのに』これに乙女心を刺激された由梨がノリノリで研究を始めようと言い出したわけだ。
「研究は分担って言っても、理論構築は結局私だろ? ったく、気楽に無理難題ふっかけやがって…。」
「じいさまに心当たりないか聞いてみる?」
「やなこった! 頼んだら対価を吹っかけられるだろが。この上さらに師匠の無茶振りなんて、想像するだに怖ろしい」
「じゃあ、まずは書庫だね」
「書庫で資料を探すのは私だろ? 古代語をろくに読めないからって気楽だよな、お前」
恨めしげな理久のぼやきは聞こえないフリをする、基本的にちゃっかり末っ子属性の由梨だった。
そもそも人間は飛行に向いていない。離陸する為に助走するにしても、人間の脚力では地面を駆けるだけで精一杯だ。翼の代用品を背負って走れば数瞬程度は『浮く』くらいなら可能だろうが。よしんば飛行できるだけの力を手に入れても、肺の問題がある。空高く飛べば飛ぶほど空気は薄くなる。そして人間の肺は鳥ほど効率よく酸素を取り入れるようにできていない。
「つまり、飛ぶ方法以外にも課題が多いってこと?」
理久が知る限りの知識(一度読んだ本の内容は忘れないという特技を持っている)を語ると、そこで由梨が手を挙げて質問した。その通りだと頷いて続ける。
「まあ飛ぶ方法はともかくとして、あとは風圧な。映画でみたことあるだろ、車の屋根に張り付くアクションヒーロー」
「あるある。ふっ飛ばされちゃいそうだったよね」
アクション映画は理久の長兄の趣味だ。由梨も付き合って(付き合わされる理久に巻き込まれる形で)いくつか見ている。
道具を使って飛ぶにしても課題は残されているようだった。
「方法自体はなんとなく浮かんじゃいるんだが……たぶん、尋常じゃなく魔力が必要なんだよな。調合のとき魔力使う部分はお前の担当だからな」
「ん、わかった。準備ができたら教えてねー」
そうして研究はさらに続いていった。
研究が始まってから半月後、ようやく飛行アイテムの基礎理論が完成したようだ。設計図を見た由梨は目を丸くした。
「……じゅうたん?」
「そ。昔、海斗兄貴がやってたゲーム思い出してな。飛ぶっつーか浮き上がるだけならたぶん行ける」
海斗とは理久の三人目の兄だ。上の兄二人と同じく由梨を溺愛し、理久は半ば弟扱いしていた。余談だが想い人にゲイだと誤解されて落ち込んでいた次兄は颯、長兄は昴と言う。覚えなくてもいい。たぶんこれ以降でてくることはないだろうから。
「浮き上がる……ねえ?」
「飛ぶ為には推進力と方向転換も必要だろ。試作段階でそこまで詰め込んでられないからな」
「飛ぶって、意外と複雑なんだね。ただ浮けばどうにかなると思ってた。」
材料は東方から渡ってきた厚地の布(由梨が元々は冬服に使う予定だったと嘆いた)に空気の渦を作り出す装置、それを結びつける為の魔法陣。理久の想定ではホバリングするじゅうたんが出来上がる予定だった。
《告げる。我は理を知る者、真理の僕。森羅万象を司る精霊よ、我が声に応え来たれ》
呪文が調合の始まりを告げる。
本来、錬金術士は一人で魔力を流し込み、素材を混ぜ合わせ、原質から任意の要素を取り出すことで調合する。しかし由梨は原質を扱うための能力が不安定、理久は魔力がほぼゼロ。二人がかりで調合するしかない。
一見すると出来損ない二人がどうにか協力しているように思える。しかし、実は二人で調合するのはかなりの高等技術だった。綿密な打ち合わせと、何よりも術者の相性が重要だ。一人でする調合よりもはるかに高度なものができるとされる一方で、王家に仕える錬金術師でもなかなか成功しないといわれている――――が、本人達はそれを知らない。『師匠』は気づいていながら教えるつもりは無いようだ。
「風精霊に魔力を……そう。ちょっと強い、弱めろ」
「うう、面倒くさいなー。これでいい?」
「そうだ。《望むは風の力。くびきを解き放ち、空へ駆け出す力》」
古代語でつむがれる願いによって、混沌へ却った物質が望みの姿へと変化していく。草を薬に、鉄くずを武器に、土くれを命あるものへと変化させる力。これこそが錬金術だ。
ぼんやりと素材が変化していく。やがて曖昧だったシルエットがはっきりと浮かんできて――――。
「オッケー。たぶん出来上がりだ。お疲れ」
「……っは~~~、つかれた!」
そこでようやく張り詰めていた緊張が解けた。調合は体力も精神力もかなり使う。慣れた調合ならそれほどでもないのだが研究としての調合の後は立ち上がるのも面倒になる。
「さすがにすぐ実験ってワケにもいかなそうだな。昼になったらやるか」
「そだね。まずは寝よ。あたしもう限界……」
それでも簡単な片付けだけはして、寝室で泥のように眠った。
そして、昼。森の中の少しだけ開けた場所にじゅうたんを運んで実験することにした。
「ところで理久。これ、どのくらいの重さまでいけるの?」
「重量制限はちょっとわからんが……人間の重さはまだ無理だと思う。ためしに木の枝でも……っておい」
猫の姿で考え込む理久を問答無用で持ち上げ、じゅうたんの真ん中に載せる。
「風圧を避けられるかどうかはやっぱり自分で体験したほうがよくない?」
「それはまだその段階じゃ……」
「大丈夫、ヤバそうだったらすぐに助けてあげるから!」
にっこりと、イイ笑顔で由梨はじゅうたんの隅につけられた機動装置を動かす。するとふわりとじゅうたんが浮き始めた。魔力の制御は由梨の担当。こうなっては不用意に降りるのも危険だ。
「おいこら、目的を吐け!」
「空飛ぶにゃんこなんて萌えるじゃん」
ゆるゆるとじゅうたんの四隅が高度を上げていき……
「てめえっ、覚えてろよ!」
「中身が理久なのがちょっと残念だけどねー」
やがて袋状になってふよふよと風に流され始めた。
「……うっわー」
「おいっ、感心してないで助けろ! なんか絡み付いてくるぞこれ!」
「あ、いっけなーい。ちょっと待ってて、今止めるからっ」
軽く飛び上がってじゅうたん……というか袋を捕まえると魔力を強制的に遮断。ようやくじゅうたんはただの布キレへと戻った。
「で、結局なんでああなっちゃったのかな?」
「密度の問題だな。たぶんだが」
中央に物を置くと、その分重心が中央に寄ってしまう。理久が作った魔法陣ではその部分のフォローがなされていなかった為に四隅だけが浮き上がって袋状になってしまったのだろう。
「まさか兄貴がやってたゲームそのままの展開になるなんてな」
疲れきったため息が理久の感情全てを物語っていた。
結局『空飛ぶじゅうたんプロジェクト』は理久の何かに引っかかったらしく、媚薬に並んで『二度と研究しないものリスト』の上位にあげられることになった。しかし由梨は空飛ぶ袋がツボにはまったらしくこっそり研究しているらしい。……理久の平穏が再び破られる日も近いかもしれない。
ゲームが元ネタ第三段でした。