錬金術士と『使い魔』の日常
大幅改稿です。
日が傾き始めると、市場の人の流れが少し変わる。経験上、これから客が入ることは無いだろう。
「そろそろ店じまいしようか?」
店番をしていた少女は傍らの猫に話しかける。見事に黒い猫だ。短毛でスマートな体つきはエボニーという猫に似ているが、一つ決定的な違いがある。――――瞳だ。瞳までも闇を詰め込んだかのように黒い。ともすれば魔物として狩られかねない姿だが、この猫が無害だということは誰もが知っている。猫の名前はリック。街外れの森で錬金術の工房を構える少女ユーリの使い魔として知られている。
【アトリエ・ユーリ】といえば、この国でも数少ない錬金術士の店だ。店番の少女はれっきとした店主で、異国風でどこか幼い顔つきが特徴だった。ふわふわと癖のある茶色の髪を三つ編みにまとめ、風変わりな服(ゴシックロリータだと本人は言っている)は『店に客を呼び込むためにはまず客の目を引かないと』という彼女なりの心意気なのだと言う。
残った品物と帳簿をまとめると、いつの間にか目を覚ましたリックが帳簿の上にどっかりと座り込んでいた。運べと言わんばかりのその様子を見て、ユーリが呆れたようにため息をついた。
「あのねー、リック。いくら小さくたって重さが増えることに変わりは無いんだけど」
「猫が寝てばっかりなのはしょうがないじゃん」
「リュリュまでそうやって甘やかすし」
「いいじゃん。それにリックの客寄せ効果は確かでしょ? だったらこのくらいしてやってもいいんじゃない、ご主人様?」
からかうような口調でリックを擁護したのは隣のスペースに店を構えるリュリュだ。リックの顔を覗き込むと、トレードマークのポニーテールがくるりと揺れた。
「それよりさ、ユーリ。うちのばあちゃんの常備薬がそろそろ心もとないんだ。頼める?」
「あれ、もう?」
リュリュの祖母は神経痛持ちでお得意様だ。季節の変わり目だからだろうか、思っていたよりも減るのが早かったらしい。ユーリが首をかしげると、リックが済ました顔で「にゃお」と鳴いた。
「わかった。そろそろできてるはずだから、明日おばあちゃんに届けるって伝えて」
「ありがと。前金代わりに好きなのひとつ持ってって」
リュリュが売るのはワインやジャムなど果物を使った食品だ。ユーリは目を輝かせてブルーベリージャムの瓶を取る。ロシアンティーはユーリの好物の一つだ。
街からかなり離れた森の中。そこでユーリは黒猫と二人で暮らしてる。一般的に考えれば女と猫だけで人気の無いところに暮らすのは危ない。しかしユーリとリックにはそれなりに事情があって危険は少ない。
この世界には【マレビトに危害を加えたものには災いが訪れる】という言い伝えがある。【マレビト】とは、異世界から墜ちてきた人や動物のことだ。
そしてこれは公然の秘密なのだが――――ユーリとリックは【マレビト】だった。
ユーリの本名は春国由梨。この世界に墜ちてくるまでは日本で高校生をやっていた。
森の中にあるユーリ達の小屋に着くと、リックは荷物から飛び降りて奥の部屋に駆け込む。日が落ちると、リックも本来の姿に戻る。奥の部屋でごそごそと音がして、出てきたのは猫じゃなく、長身の少女だった。短く大雑把に切った髪と鋭い瞳は黒。ここだけが名残だ。
冬沢理久。由梨と共に異世界に落とされるまでは女子高生だった、昼の間は猫に変身してしまう難儀な体質の持ち主だ。
「リック、リュリュのおばあさんの薬は?」
「薬棚の中。上から三つ目右から七つ目の引き出し。それと家の中までリック言うな」
「まあまあ、あとでロシアンティ淹れてあげるからさ」
リュリュからもらったジャムの瓶を見せると、リック……もとい理久の機嫌がさらに悪くなる。
「それは宣戦布告と受け取っていいんだな?」
理久はベリー類全般を苦手としている。……由梨はそれうっかり忘れていたらしかった。