『残響鑑定で死者の3分間を視る調査官、底辺配信者と国を動かす』
『残響鑑定で死者の3分間を視る調査官、底辺配信者と国を動かす』
また、死んでいた。
B級ダンジョン『静謐の洞穴』第七層。崩落した天井の下敷きになった男性探索者が一人。遺体は上半身だけが露出しており、右腕が不自然な角度で岩盤の外に投げ出されていた。その手はまだスマートフォンを握っている。画面には妻からのメッセージ通知が三件、点灯したまま残っていた。
享年三十一歳。妻と、生まれたばかりの娘がいる。
——そういう情報は事前に頭に入れてこない。入れると、手が震えるから。
手袋を嵌め直した。革手袋の下の指先はいつも冷たい。夏でも冬でも、現場に立つと体温が末端から逃げていく。三年前に気づいた。これは寒さではなく体の防衛反応だ。感情が指先に届く前に、身体が勝手に遮断している。
私、天宮そらの職業はダンジョン安全委員会——通称ダン安委の事故調査官。ダンジョンで人が死んだら現場に行き、原因を調べ、報告書を書く。それだけの仕事だ。
報告書は毎回五十ページ前後になる。事故の状況、ダンジョンの構造分析、魔素濃度の測定値、推定される死因、再発防止策。主語はすべて受動態。「探索者は死亡した」。「天井は崩落した」。能動態で書くと感情が混じる。感情は報告書を汚す。
探索者たちは私をこう呼ぶ。「死体漁り」と。
「天宮調査官、お願いします」
護衛の自衛隊員が言った。二等陸曹の若い男で、初めての護衛任務らしく遺体から目を逸らしている。気持ちは分かる。私も最初の一年はまともに見られなかった。
いつもの手順。頷いて、遺体の傍の岩肌に右手の素手を当てた。残留魔素に直接触れるために手袋は外す。岩は冷たい。ダンジョンの岩はいつも冷たいが、人が死んだ場所の岩はもう少しだけ冷たい気がする。科学的根拠はない。報告書には書かない。
——【残響鑑定】。
視界が白く塗り潰される。網膜の奥で冷たい光が弾け、次の瞬間、空中に半透明の映像が浮かんだ。
ダンジョンの壁に染み込んだ魔素の残留痕から、その場所で直近に死亡した人物が最後に見た世界を再構成する。これが私だけの固有能力。戦闘には一切使えない。剣にも盾にも攻撃魔法にもならない。死者の目を借りて、最後の三分間を見届けるだけの力。
映像が始まった。
男の一人称視点。第七層の狭い通路を歩いている。ヘッドライトの光が壁を這う。足を止めた。天井を見上げる。亀裂が走る音。微かだが、男は聞き逃さなかった。振り返る。走り出す。亀裂の音が加速する。視界が激しく揺れ、天井の岩盤が頭上から崩れ落ちてくる——。
岩盤は男より速かった。
映像が暗転する直前の最後の一コマ。男の右手がスマートフォンに伸びていた。妻への通知に、最後に返信しようとしていた。
映像が消えた。三分間。いつも三分間。
「……自然崩落。第七層天井部の経年劣化。岩盤強度の低下により支持力が限界を超過。鉄柱支保工の設置、もしくは当該区間の立入制限と安全等級の見直しを推奨」
端末に打ち込む。淡々と。受動態で。スマートフォンに手を伸ばしていたことは書かない。書けば主観になる。それがこの仕事のルールだ。私が自分に課した。
護衛の隊員が帰り道に言った。
「天宮調査官。この仕事、よく続けられますね」
「好きでやってるわけじゃないです」
いつもの答え。嘘ではない。ただ私の能力がこの仕事にしか使えない。残響鑑定は死者がいなければ発動しない。誰かが死に続ける限り、私の仕事はなくならない。皮肉な適職だ。
いつもの帰り道。いつものコンビニ。缶コーヒーを一本、ブラック。事務所に戻ると、上司の倉橋課長が入口に立っていた。体重九十キロの巨体を椅子から引き剥がすこと自体が非常事態を意味する。
「天宮、緊急だ。S級ダンジョン『久遠の坑道』でA級パーティ六名が全滅した」
缶コーヒーを机に置いた。蓋はまだ開けていない。
A級パーティの全滅。この五年で初めてだ。A級探索者は単独でC級ダンジョンを踏破できる実力者で、それが六人揃って全滅するのはダンジョン側によほどの異常がなければ起こり得ない。
「生存者は」
「ゼロ。六名全員」
「情報の出所は」
「ダンジョン庁の緊急発表。そしてここからが問題だ」
倉橋課長の小さな目が鋭くなった。この人は普段は地味で小心者で、予算の話になると胃を押さえる。だが二十年この仕事をしている。
「ダンジョン庁はもう原因を発表してる。パーティリーダーの判断ミスだと」
「……事故からまだ六時間ですよ」
「そうだ。遺体の搬出にすら通常二日かかるS級ダンジョンで、六時間で原因を確定させた」
倉橋課長が胃を押さえた。いつもより強く。
「だから行ってこい、天宮。お前の目で見てこい」
「早すぎる発表」が何を意味するか。二十年の経験が告げている。私にも分かる。誰かが、真実を埋めようとしている。
「行ってきます」
「護衛は手配済みだ。特殊ダンジョン部隊、四名。……天宮」
「はい」
「無理はするな。だが——手は抜くな」
「課長がそれを言うんですか」
「二十年で初めて言った。胃が痛い」
引き出しから胃薬を出す音が聞こえた。
* * *
S級ダンジョン『久遠の坑道』。入口は長野県北部の山中にある。
ゲートの前には規制線が張られ、ダンジョン庁の職員が三人立っていた。スーツ姿に革靴。ダンジョンに入る格好ではない。入口で止める役だ。
身分証を見せた。
「ダンジョン安全委員会、天宮そら調査官です」
年嵩の男が露骨に嫌な顔をした。
「ダン安委? もう庁で調査は完了してますが」
「安全委員会設置法第九条に基づく独立調査権を行使します。妨害は同法第四十二条の罰則対象です」
条文を暗唱するとだいたい通してもらえる。官僚は法律に逆らった記録が残ることを嫌がるから。
門が開いた。護衛四名と共に坑道に入る。第十八層まで約四時間。
広い空洞だった。天井が高く、壁面に埋まった燐光石が青白く洞窟全体を照らしている。美しい場所だ。人が六人死んだ場所には見えない。だが床には血の跡が残っていた。六人分。
壁に触れた。右手を当てる。
——【残響鑑定】。
映像が浮かぶ。リーダーの視点。名は神代光一郎。三十五歳。A級探索者として十二年のキャリア。映像の中の彼は、第十八層に足を踏み入れた瞬間に異変を察していた。
空気が重い。重すぎる。
後衛の女性魔法士が声を上げる。「リーダー、魔素濃度がおかしい。計器が振り切れてます」
神代が叫んだ。「——等級が違う! ここはA級じゃない、S級だ!」
パーティ全員が凍りついた。装備も戦術もA級準拠。だがこの層の魔素濃度はS級の基準値を超えている。魔法士が防御結界を展開しようとしたが魔素濃度が高すぎて詠唱が暴発した。衝撃波がパーティを襲い、前衛二人が被弾。フォーメーションが連鎖的に崩壊していく。
最後に残った神代が通信機に手を伸ばした。口が動いている。だが残響鑑定は視覚情報のみで音声は再生できない。血で顔が覆われていて読唇もできない。
映像が暗転した。三分間。
全員がここをA級だと信じて入っていた。何も間違っていない。間違っていたのは等級の方だ。
端末に打ち込む手が初めて震えた。いつもは冷たい指先が熱い。これは恐怖ではない。怒りだ。
「誰がやった……?」
答えは壁にない。残響鑑定は死者の視点しか映さない。外側の証拠が要る。
そのとき背後から声がした。
「——あの、すみません」
護衛が即座に銃を構えた。
「ひゃっ! 探索者です、D級です! 撃たないでください!」
振り返ると、小柄な少女がスマートフォンを両手で抱えて立っていた。セーラー服。首から下げた探索者ライセンスにはD級とある。
「た、小鳥遊ちかです。高二です。あの——私、配信者で。昨日、隣の第十七層で配信してたんです。十七層まではC級区画なのでD級でも入れて……事故の音が聞こえて、カメラがそっちを向いてて。映っちゃってるかもしれません」
少女のスマホには配信アーカイブの再生画面が表示されていた。チャンネル名は「ちかちかダンジョン探検隊!」。登録者数三十八人。
再生した。画面には第十七層の通路。少女が「今日は魔石いっぱい拾うぞー」と言っているところに隣のフロアから轟音。カメラが揺れ、壁の向こうから魔素の異常放出が光として漏れ出す。画面隅の魔素濃度計がレッドゾーンに振り切れている。A級では絶対にあり得ない数値。タイムスタンプ付き。サーバーログ付き。改竄不可能な電子記録。
「……小鳥遊さん。この映像、お借りできますか」
「はい。でも登録者三十八人の底辺配信者の映像ですよ? 何かの役に立つんですか?」
立つ。残響鑑定は「内側」の映像で、主観的で法的証拠能力がない。だがこの配信アーカイブは「外側」の映像だ。二つを重ねれば、残響鑑定が虚偽でないことの傍証になる。
「役に立ちます。……とても」
* * *
三日後。ダン安委の会議室。蛍光灯が一本切れかけて明滅する。椅子はパイプ椅子、テーブルは折りたたみ式。予算がない。
私の前にいるのは三人。倉橋課長。胃薬を飲んでいる。小鳥遊ちか。制服のまま。そして全滅パーティの元メンバーを名乗る男、氷室蓮。
「俺は事故当日、パーティから外されていた」
氷室は言った。端正な顔に無表情を貼り付けた二十九歳。黒髪を後ろに流し、座り方に隙がない。戦い慣れた人間の所作だ。
「リーダーの神代さんに朝、連絡があった。『今日は来なくていい。理由は後で話す』と。それだけだった。そのまま六人は坑道に入って——全員死んだ」
「外された理由に心当たりは?」
「……神代さんは数ヶ月前から坑道の等級に疑問を持っていた。第十八層の魔素濃度が定期報告より高いんじゃないかと。庁に問い合わせたが『基準値内です、問題ありません』と返された。それでも納得せず、自分たちの身体で確かめに行った」
「あなたを外して」
氷室が初めて声を詰まらせた。無表情の下で顎の筋肉が強張る。
「——万が一のときに、外に真実を伝える人間を残すためだ」
沈黙が落ちた。蛍光灯が明滅した。神代は知っていた。等級がおかしいことを。確かめに行けば命に関わることを。だから七人のうち最も若い氷室を外した。生き残る役を託した。
残響鑑定の映像が蘇る。最後に通信機に手を伸ばした神代。口が動いていた。あれは氷室に向けた言葉だったのだろう。
私は二つの映像をモニターに映した。残響鑑定——内側の映像。配信アーカイブ——外側の映像。タイムスタンプを同期させる。
内側:神代が叫ぶ。「等級が違う!」 外側:同時刻、轟音。カメラが揺れ、魔素の異常放出。
内側:詠唱暴発。衝撃波。 外側:魔素濃度計がレッドゾーン。A級基準値の四倍。
内側:フォーメーション崩壊。 外側:第十七層の壁面にひび。
完全に一致した。秒単位で。
「二つの映像が、等級の改竄を証明しています」
倉橋課長が胃を押さえた。
「天宮……相手はダンジョン庁だぞ」
「知ってます」
「残響鑑定は法的証拠能力がない。五年前の判例で確定してる」
「はい。でも——」
小鳥遊ちかが手を挙げた。
「あの。私の配信アーカイブは映像記録です。タイムスタンプもサーバーログもハッシュ値も残ってます。これ、証拠になりませんか?」
倉橋課長が固まった。なる。配信アーカイブは電子記録として法的証拠になり得る。客観的な配信記録と完全に一致すれば、残響鑑定が虚偽でないことの傍証になる。そして配信アーカイブ単独でも等級異常を示す客観的証拠になる。
「小鳥遊さん。あなたの配信アーカイブを公聴会に提出する許可をいただけますか。映像は国会で再生されます。ダンジョン庁を敵に回すことになるかもしれません」
ちかは三秒考えた。
「いいですよ。登録者三十八人の底辺配信者の映像が国を動かすなんて、面白いじゃないですか」
十七歳の怖いもの知らずの笑顔だった。氷室が初めて表情を動かした。口の端がほんの僅かに持ち上がった。
* * *
二週間後。国会の特別公聴会。傍聴席は満席。ネット中継の同時視聴者は八十万を超えていた。
ダンジョン庁安全管理局長・黒崎統悟が証人席に座っている。六十二歳。官僚四十年のキャリア。額の汗を拭いているが表情は落ち着いている。この手の場を何度もくぐり抜けてきた人間の顔だ。
私は証人として壇上に立った。手は震えていない。報告書を読み上げるのと同じだ。事実だけを述べればいい。
「天宮調査官。あなたの『残響鑑定』とは、どのような能力ですか」
「ダンジョンの壁面に残留した魔素から、その場所で直近に死亡した人物の最後の三分間の視覚情報を再構成する能力です」
「この能力で事故の瞬間を映像として再生できると」
「はい。ただし鑑定者の主観を介しており、そのままでは法的証拠能力がありません」
議場がざわついた。自分で限界を認めた。黒崎局長の表情が僅かに緩む。これで終わりだと思ったのだろう。
「しかし」
議場の二つの大型スクリーンを同時に起動した。
「左が残響鑑定の映像、右が事故当時に隣接フロアで配信されていた映像です。タイムスタンプとハッシュ値は第三者機関が真正性を確認済みです」
黒崎局長の表情が変わった。配信アーカイブの存在を知らなかった。
再生ボタンを押す。左——神代の叫び。「等級が違う!」 右——轟音。魔素濃度計がレッドゾーンに振り切れる。二つの映像が秒単位で一致していく。議場の空気が変わった。
「残響鑑定は主観的映像です。しかし客観的な配信記録と完全に同期する。私の鑑定が虚偽でないことを意味します。そして二つの映像が共通して示しているのは、第十八層の魔素濃度がA級基準を大幅に超過していたという事実です。A級パーティの全滅は判断ミスではありません。彼らはA級と表示されたS級ダンジョンに送り込まれたのです」
黒崎局長の顔から血の気が引いた。
「異議あり! その配信映像なるものの——」
「黒崎局長。異議は法廷でどうぞ。ここは公聴会です。そして公聴会の議事録は消せません」
一つだけ、報告書に書かなかったことを付け加えた。
「……神代光一郎氏は最後の瞬間に通信機に手を伸ばしていました。何を伝えようとしたかは分かりません。ですが彼は事前にメンバーの一人を外していました。万が一のとき真実を外に伝える人間を残すために」
傍聴席で氷室蓮が目を伏せた。
「神代氏の判断は最初から最後まで正しかった。間違っていたのは等級です。等級を管理するのは——ダンジョン庁です」
議事録に刻まれた。消せない記録として。
* * *
公聴会の翌日。黒崎局長は更迭された。ダンジョン庁と大手探索企業の癒着が明るみに出て特別捜査の対象となり、久遠の坑道は即日閉鎖。全国のダンジョンの安全等級再調査が決定した。
ダン安委の事務所に花束が届いていた。差出人は遺族六家族の連名。カードには一行。「真実を届けてくださり、ありがとうございました」
報告書には書けない言葉だ。受動態にできない。
缶コーヒーを開けて窓の外を見る。ビルの壁しか見えない。予算がないので日当たりの悪い部屋だ。
「天宮さん」
氷室蓮が事務所のドアに立っていた。公聴会と同じスーツ。手にコンビニの袋。
「差し入れです」
「……ありがとうございます」
中身を見た。プリンアラモードだった。コンビニのデザートコーナーの、いちばん華やかなやつ。
「……調査現場にプリンアラモードを持ってくる人、初めて見ました」
「嫌いですか」
「嫌いじゃないですけど、缶コーヒーの方が嬉しかったです」
「ブラックですか」
「ブラックです」
「じゃあ明日はブラックにします」
少し間があった。
「……明日も、来ていいですか」
唐突な問いだった。だが唐突には聞こえなかった。神代に託された役を果たした男が、このまま一人で帰る顔ではなかった。
私は少し迷って、それから少しだけ笑った。多分、この仕事を始めてからいちばんちゃんと笑った。
「私の仕事、地味ですよ」
「知ってます」
「死体漁りって呼ばれますよ」
「聞いてます」
「報告書、毎回五十ページあります」
「……それは長いですね」
「来るなら、缶コーヒーはブラックで」
氷室が笑った。端正な無表情が崩れて、二十九歳の不器用な笑顔になった。
翌朝。事務所に出勤すると、机の上に缶コーヒーが二本とプリンアラモードが一個置いてあった。付箋が貼ってある。
『ブラック×2。プリンは俺のぶんです。——氷室』
スマホを確認した。小鳥遊ちかのSNSに投稿があった。
『【ご報告】なんか登録者が47万人になってました。え? なんで? 私何もしてないんだけど?? とりあえず次の配信はダンジョンの安全な歩き方やります。あと天宮調査官かっこよかったです。以上!!』
缶コーヒーを開けた。ブラック。苦い。
好きでやってるわけじゃない。——そう言おうとして、やめた。
今日も死者の三分間を見届けに行く。報告書を五十ページ書く。受動態で。でも——今度は、「好きだから」と言えるかもしれない。
プリンアラモードのフィルムを剥がした。甘かった。悪くない。
〈了〉
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