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タヌキたちの結婚相談所② ~余りものの雄タヌキたち~

掲載日:2026/04/16

 夕暮れの町は、いつもより寒く見えた。

 炭火で魚を焼く匂いが流れ、揚げ芋の油の匂いが鼻をくすぐる。

 赤提灯の明かりは丸くにじみ、家路を急ぐタヌキたちの背中を照らしていた。


 だが、その温かさは道の真ん中までしか届かない。

 少し外れれば、もう夜の冷えが待っている。


 そんな商店街の端に、『結婚相談所ポコリーヌ』はあった。


 小さな木の店だ。

 窓は丸く、看板は手書きで、そこにはこうある。


『真面目なご縁、探しますポコ』


 その店の主、ポコリーヌは帳簿を閉じ、茶の湯気を見つめていた。

 ふわりとした毛並み、柔らかな顔立ち。見た目だけなら、愛嬌のある雄タヌキでしかない。

 だが、その目には、この町の婚活世界を長く見てきた者だけが持つ疲れがあった。


「……今日も似たような希望ばかりだポコ」


 帳簿には、昼間やって来た雌タヌキたちの条件が並んでいた。


 高学歴。

 年収銀貨五百枚以上。

 持ち家。

 清潔感。

 怒らない。

 会話がうまい。

 家事に協力的。

 なるべく背が高い。

 できれば親との同居はなし。


 その最後へ、たいてい同じ一文が添えられる。


『でも妥協はしたくありません』


 ポコリーヌは、その一文を見るたびに思う。

 我儘な雌タヌキは目立つ。確かに目立つ。だから皆そこばかり語る。

 だが、本当に暗い場所は、その手前だ。


 そもそも、婚活市場へ立ち入れた段階で、ある意味幸福と言える。


 この世界は最初から少しだけ雄に冷たい。

 雄タヌキは、雌より一割ほど多く生まれるからだ。

 十組の番が成立する村でも、最初から一匹は余る計算だ。


 その一匹が、たまたま性格の悪い者ならまだ話は簡単だ。だが現実は違う。

 真面目な者も、気の弱い者も、働き者も、貧しいだけで、運が悪いだけで、最初から余り物の側へ押しやられる。



「生まれた時点で、少し余る側だなんて、なかなかひどい話だポコ……」


 その時、扉の鈴がからんと鳴った。


「……すみません」


 入ってきたのは、若い雄タヌキだった。


 着古した上着。くたびれた靴。

 体つきは悪くないが、毛並みには艶がない。

 目つきも、妙に疲れているようだった。


「いらっしゃいだポコ。寒かったろう、座るポコ」


「あ、ありがとうございます」


 雄タヌキは遠慮がちに椅子へ腰を下ろした。

 高価そうな椅子を汚さぬよう、体を縮める癖が見える。


「名前はポコ?」


「ジン、です」


「今日は、どんな相談ポコ?」


 ジンは少し迷ったあと、恥じるように笑った。


「……結婚したいんです」


 その声は、望みを口にするだけで申し訳なくなる者の声だった。


「うん」


「でも、僕みたいなのは、最初から無理みたいで」


 ポコリーヌは急かさず、黙って聞いた。


「相談所に何件か行きました。そしたら『高卒以上』『年収銀貨三百枚以上』『非正規不可』って言われて。僕、親が早く死んで、学校を途中で出たんです。今は市場の荷運びや雑用で、仕事が切れる日もあります」


「……」


「受付の人は優しかったです。笑顔で『まずは生活を安定させてから来てくださいね』って」


 ジンは膝の上で前足を握り締めた。


「丁寧に断られたんですよね。僕、その帰り道で思いました。恋をする資格じゃなくて、申し込む資格もないんだなって」


 店の中が静まった。

 外を通る荷車の音が、やけに遠く聞こえる。


 ポコリーヌは茶碗を差し出した。


「飲むポコ」


「……はい」


 ジンは受け取ったが、すぐには口をつけなかった。

 立ちのぼる湯気を、ただ見ている。


「街コンは見たポコ?」


「自治体のやつだけ。雄は大卒以上、定職あり、参加費銀貨十五枚。雌は条件なしで無料って。あれを見た瞬間、紙を閉じました」


「銀貨十五枚は重いポコね」


「重いです。僕には半月分に近いです」


 少し笑う。

 その笑みには、自分を笑う乾いた癖があった。


「でも、参加費よりつらいのは、最初から数に入ってないって分かることでした」


 ポコリーヌは、目を伏せた。


 婚活世界の残酷さは、振られることだけではない。

 会う前に弾かれる。


 中身など比べてさえもらえない。

 履歴書の数字だけで、舞台の外へ押し出される。


 しかも、そもそも雄は雌より多い。

 入口へたどり着けた者同士でさえ、誰かが余る。

 その上で、低所得、低学歴、不安定雇用となれば、もう椅子取りゲームの椅子は最初からないに等しい。


「ジンくん」


「はい」


「厳しい話をするポコ」


「……はい」


「雌タヌキの我儘は目立つポコ。年収だの学歴だの、無茶も多いポコ。でも、それだけ見て終わるのは浅いポコ。本当に暗いのは、その前だポコ」


「前……」


「雄は雌より一割ほど多く生まれるポコ。つまり、この世界は最初から、全部の雄へ番を配る気がないポコ」


 ジンは顔を上げた。

 目の奥で何かが揺れた。


「十匹の雌へ、十一匹の雄。乱暴に言えば、最初から一匹は余るポコ。そこへ学歴だの年収だのの足切りが積み上がる。余る側へ追いやられるのは、何も怠け者ばかりじゃないポコ」


「……」


「真面目に働く者も、優しい者も、病弱な親を支えてきた者も、貧しい家に生まれただけの者も、まとめて余り物の群れへ押し込まれるポコ」


 ジンは小さくうなずいた。


「僕、たまに思うんです。頑張ればどうにかなる話じゃないなら、何を頑張ればいいんだろうって」


「うん」


「このまま働いて、少し貯めて、老いて、誰の夫にも父にもなれずに終わるのかなって」


 その言葉には、もう半分だけ覚悟が混じっていた。

 希望が完全に死んだ者の声ではない。だが、希望の寿命が短いと知ってしまった者の声だった。


「……あんまりだポコね」


 ポコリーヌがそう言った時、扉の鈴がまた鳴った。


「あの、新規登録お願いしたいんですけど」


 入ってきたのは、身ぎれいな雌タヌキだった。

 香油の匂い。整えられた尻尾。三十前後だろう。自信と焦りが半分ずつ混ざった顔だ。


「どうぞだポコ」


「条件、書いてきました」


 差し出された紙を見る。


「『年収銀貨六百枚以上』『大卒』『持ち家』『長男不可』『家事に積極的』『会話がうまい』『優しい』『清潔感』『浮気しなさそうな方』……」


「でも、このくらい普通ですよね?」


「今の市場じゃ、かなり普通になってるポコ」


「ですよね。失敗したくないですし」


 その言葉へ、ジンの耳がぴくりと動いた。

 だが何も言わない。

 自分はその『失敗したくない』の時点で切られる側だと、よく分かっているからだ。


 ポコリーヌは、雌タヌキへ静かに尋ねた。


「ひとつ聞くポコ。条件から外れた雄たちが、その後どうなるか、考えたことあるポコ?」


「え?」


「市場へ入れず、静かに消えていく雄たちだポコ」


「……そこまでは」


「そうだろうね」


 責める調子ではなかった。

 だからこそ、言葉は重かった。


「皆、自分が損をしない話はよく考えるポコ。でも、誰が零れるかは見ないポコ」


 雌タヌキは少し黙った。


「でも、私だって怖いです。変な相手は嫌ですし」


「それは当然ポコ。否定しないポコ。でも皆が上だけ見れば、下で余る者が増えるポコ」


 店の中へ、沈黙が広がった。

 外では、子ダヌキの笑い声がした。

 それが妙に遠い。


 ポコリーヌは、二匹へ茶を注ぐ。


「雌タヌキの我儘だけ笑って済ませるのは簡単ポコ。でも本当に哀しいのは、笑い話にもならない雄たちだポコ。生まれた数の時点で少し余り、成長したら学歴や年収でさらに振るい落とされる。恋愛の敗者ですらない、参加資格のない敗者が大勢いるポコ」


 ジンはうつむいたまま、茶碗の縁を見つめていた。


「低所得の雄タヌキは、このままじゃ多くが家族を持てぬまま老いるポコ。子も孫も残せず、誰にも『おかえり』と言われず、寒い部屋で一匹の晩飯を食って、冬が来るたび、今年も駄目だったなって思いながら年を越す。そういう未来が、もう見えてしまってるポコ」


 雌タヌキは、手元の条件表を見つめた。

 そこへ並んだ文字が、少し違って見えたのかもしれない。


「……私、悪気があったわけじゃないんです」


「分かるポコ。個々の雌だけ悪い、って話でもないポコ。業界も、自治体も、世間も、皆でこの空気を作ったポコ」


「……」


「けど、想像はした方がいいポコ。上を選ぶ自由の裏で、下で静かに消える雄がいることを」


 ジンが、かすれた声で言った。


「僕も、昔は普通に家族を持てると思ってたんです」


 誰も遮らない。


「子どもがいて、狭くても家があって、晩に帰ったら誰かがいる。そういうの、当たり前に遠い夢じゃないと思ってました。でも今は、ああいうのって、最初から配られる札が違うんじゃないかって」


 その笑みは、ひどく寂しかった。


 ポコリーヌは窓の外を見た。

 家族連れが歩いている。小さな子が父のしっぽへぶら下がり、母が笑っている。ありふれた景色だ。

 だが、そのありふれたものへ届かぬ雄が、町には大勢いる。


「婚活って、華やかな出会いの場みたいに言われるポコ。でも実際は、誰を結ぶか以上に、誰を余らせるかがはっきり見える場所だポコ」


 そして、小さく続けた。


「余った雄は、たいてい大騒ぎもしないポコ。怒鳴る元気もなく、抗議する場もなく、ただ働いて、疲れて、少しずつ諦めていくポコ。だから世間は、その静けさを残酷だと認識しないポコ」


 ランプの灯りが揺れた。


「見えないまま、子を残せぬまま、静かに終わる雄が増える社会って、本当はかなり冷たいポコね」


 誰も返事をしなかった。

 その言葉は、否定のしようがない冬の風みたいだった。


 ポコリーヌは看板の灯りをつけた。


『真面目なご縁、探しますポコ』


 だが本当は、その店へ集まるのは縁だけではない。

 値踏みされた末の沈黙。


 余り物の側へ押しやられた者の疲れ。

 生まれた時から少し不利で、努力してもなお届かぬ場所を見上げる雄たちの、冷えたため息。


「……簡単じゃないポコね」


 それでも、ポコリーヌは明日も店を開けるだろう。

 無茶を言う雌の話も聞く。

 市場の外へ追いやられた雄の声も聞く。


 少なくとも、この店の中だけでも。

 札や条件だけではなく、余ってしまった側の寂しさにも、ちゃんと名前を与えるために。




◇◇資料・余談◇◇


挿絵(By みてみん)

 近年の女性は、昔より経済優先にシフトしていることが見て取れます。




挿絵(By みてみん)

 大きな結婚相談所は、年収400万円で足切りしているみたいですね。

 グラフから見るに、適齢期の未婚男性の6割超が年収400万円未満ですが…… ><。

 極めて進んだ情報化からくるデータ等も、きっと少子化の一因なのでしょうね。




挿絵(By みてみん)

 テレビでもネタにされる現代の若い女性の要求水準 (;^_^A

 個々に見れば違うのでしょうが、凄いインパクトですね。

現在、SF戦記「星間覇道  ――没落貴族と女海賊、銀河帝位争乱――」を連載中です~♪

良かったら是非読みに来てやってください (*´▽`*)

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― 新着の感想 ―
作中の雄タヌキさん、無資格でもできる女性の多い業界に転職すれば人柄とかでのワンチャンもあるような気がしました。それこそ介護業界とかどうなんでしょうか?とか読んでて思っていました。 どうしても婚活の場…
これもまた現実。 なんだか世の中失敗を極端に恐れる人と 失敗から何も学ばない人ばかりな気がしてきました。
昔は「いつまでも独身だと恥ずかしい」みたいな風潮でしたけど、最近はそんなことはなくなりましたからね。 結婚が必然ではなくなった結果、みんなが慎重になり、今のような世の中になったのかもしれませんね。
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