タヌキたちの結婚相談所② ~余りものの雄タヌキたち~
夕暮れの町は、いつもより寒く見えた。
炭火で魚を焼く匂いが流れ、揚げ芋の油の匂いが鼻をくすぐる。
赤提灯の明かりは丸くにじみ、家路を急ぐタヌキたちの背中を照らしていた。
だが、その温かさは道の真ん中までしか届かない。
少し外れれば、もう夜の冷えが待っている。
そんな商店街の端に、『結婚相談所ポコリーヌ』はあった。
小さな木の店だ。
窓は丸く、看板は手書きで、そこにはこうある。
『真面目なご縁、探しますポコ』
その店の主、ポコリーヌは帳簿を閉じ、茶の湯気を見つめていた。
ふわりとした毛並み、柔らかな顔立ち。見た目だけなら、愛嬌のある雄タヌキでしかない。
だが、その目には、この町の婚活世界を長く見てきた者だけが持つ疲れがあった。
「……今日も似たような希望ばかりだポコ」
帳簿には、昼間やって来た雌タヌキたちの条件が並んでいた。
高学歴。
年収銀貨五百枚以上。
持ち家。
清潔感。
怒らない。
会話がうまい。
家事に協力的。
なるべく背が高い。
できれば親との同居はなし。
その最後へ、たいてい同じ一文が添えられる。
『でも妥協はしたくありません』
ポコリーヌは、その一文を見るたびに思う。
我儘な雌タヌキは目立つ。確かに目立つ。だから皆そこばかり語る。
だが、本当に暗い場所は、その手前だ。
そもそも、婚活市場へ立ち入れた段階で、ある意味幸福と言える。
この世界は最初から少しだけ雄に冷たい。
雄タヌキは、雌より一割ほど多く生まれるからだ。
十組の番が成立する村でも、最初から一匹は余る計算だ。
その一匹が、たまたま性格の悪い者ならまだ話は簡単だ。だが現実は違う。
真面目な者も、気の弱い者も、働き者も、貧しいだけで、運が悪いだけで、最初から余り物の側へ押しやられる。
「生まれた時点で、少し余る側だなんて、なかなかひどい話だポコ……」
その時、扉の鈴がからんと鳴った。
「……すみません」
入ってきたのは、若い雄タヌキだった。
着古した上着。くたびれた靴。
体つきは悪くないが、毛並みには艶がない。
目つきも、妙に疲れているようだった。
「いらっしゃいだポコ。寒かったろう、座るポコ」
「あ、ありがとうございます」
雄タヌキは遠慮がちに椅子へ腰を下ろした。
高価そうな椅子を汚さぬよう、体を縮める癖が見える。
「名前はポコ?」
「ジン、です」
「今日は、どんな相談ポコ?」
ジンは少し迷ったあと、恥じるように笑った。
「……結婚したいんです」
その声は、望みを口にするだけで申し訳なくなる者の声だった。
「うん」
「でも、僕みたいなのは、最初から無理みたいで」
ポコリーヌは急かさず、黙って聞いた。
「相談所に何件か行きました。そしたら『高卒以上』『年収銀貨三百枚以上』『非正規不可』って言われて。僕、親が早く死んで、学校を途中で出たんです。今は市場の荷運びや雑用で、仕事が切れる日もあります」
「……」
「受付の人は優しかったです。笑顔で『まずは生活を安定させてから来てくださいね』って」
ジンは膝の上で前足を握り締めた。
「丁寧に断られたんですよね。僕、その帰り道で思いました。恋をする資格じゃなくて、申し込む資格もないんだなって」
店の中が静まった。
外を通る荷車の音が、やけに遠く聞こえる。
ポコリーヌは茶碗を差し出した。
「飲むポコ」
「……はい」
ジンは受け取ったが、すぐには口をつけなかった。
立ちのぼる湯気を、ただ見ている。
「街コンは見たポコ?」
「自治体のやつだけ。雄は大卒以上、定職あり、参加費銀貨十五枚。雌は条件なしで無料って。あれを見た瞬間、紙を閉じました」
「銀貨十五枚は重いポコね」
「重いです。僕には半月分に近いです」
少し笑う。
その笑みには、自分を笑う乾いた癖があった。
「でも、参加費よりつらいのは、最初から数に入ってないって分かることでした」
ポコリーヌは、目を伏せた。
婚活世界の残酷さは、振られることだけではない。
会う前に弾かれる。
中身など比べてさえもらえない。
履歴書の数字だけで、舞台の外へ押し出される。
しかも、そもそも雄は雌より多い。
入口へたどり着けた者同士でさえ、誰かが余る。
その上で、低所得、低学歴、不安定雇用となれば、もう椅子取りゲームの椅子は最初からないに等しい。
「ジンくん」
「はい」
「厳しい話をするポコ」
「……はい」
「雌タヌキの我儘は目立つポコ。年収だの学歴だの、無茶も多いポコ。でも、それだけ見て終わるのは浅いポコ。本当に暗いのは、その前だポコ」
「前……」
「雄は雌より一割ほど多く生まれるポコ。つまり、この世界は最初から、全部の雄へ番を配る気がないポコ」
ジンは顔を上げた。
目の奥で何かが揺れた。
「十匹の雌へ、十一匹の雄。乱暴に言えば、最初から一匹は余るポコ。そこへ学歴だの年収だのの足切りが積み上がる。余る側へ追いやられるのは、何も怠け者ばかりじゃないポコ」
「……」
「真面目に働く者も、優しい者も、病弱な親を支えてきた者も、貧しい家に生まれただけの者も、まとめて余り物の群れへ押し込まれるポコ」
ジンは小さくうなずいた。
「僕、たまに思うんです。頑張ればどうにかなる話じゃないなら、何を頑張ればいいんだろうって」
「うん」
「このまま働いて、少し貯めて、老いて、誰の夫にも父にもなれずに終わるのかなって」
その言葉には、もう半分だけ覚悟が混じっていた。
希望が完全に死んだ者の声ではない。だが、希望の寿命が短いと知ってしまった者の声だった。
「……あんまりだポコね」
ポコリーヌがそう言った時、扉の鈴がまた鳴った。
「あの、新規登録お願いしたいんですけど」
入ってきたのは、身ぎれいな雌タヌキだった。
香油の匂い。整えられた尻尾。三十前後だろう。自信と焦りが半分ずつ混ざった顔だ。
「どうぞだポコ」
「条件、書いてきました」
差し出された紙を見る。
「『年収銀貨六百枚以上』『大卒』『持ち家』『長男不可』『家事に積極的』『会話がうまい』『優しい』『清潔感』『浮気しなさそうな方』……」
「でも、このくらい普通ですよね?」
「今の市場じゃ、かなり普通になってるポコ」
「ですよね。失敗したくないですし」
その言葉へ、ジンの耳がぴくりと動いた。
だが何も言わない。
自分はその『失敗したくない』の時点で切られる側だと、よく分かっているからだ。
ポコリーヌは、雌タヌキへ静かに尋ねた。
「ひとつ聞くポコ。条件から外れた雄たちが、その後どうなるか、考えたことあるポコ?」
「え?」
「市場へ入れず、静かに消えていく雄たちだポコ」
「……そこまでは」
「そうだろうね」
責める調子ではなかった。
だからこそ、言葉は重かった。
「皆、自分が損をしない話はよく考えるポコ。でも、誰が零れるかは見ないポコ」
雌タヌキは少し黙った。
「でも、私だって怖いです。変な相手は嫌ですし」
「それは当然ポコ。否定しないポコ。でも皆が上だけ見れば、下で余る者が増えるポコ」
店の中へ、沈黙が広がった。
外では、子ダヌキの笑い声がした。
それが妙に遠い。
ポコリーヌは、二匹へ茶を注ぐ。
「雌タヌキの我儘だけ笑って済ませるのは簡単ポコ。でも本当に哀しいのは、笑い話にもならない雄たちだポコ。生まれた数の時点で少し余り、成長したら学歴や年収でさらに振るい落とされる。恋愛の敗者ですらない、参加資格のない敗者が大勢いるポコ」
ジンはうつむいたまま、茶碗の縁を見つめていた。
「低所得の雄タヌキは、このままじゃ多くが家族を持てぬまま老いるポコ。子も孫も残せず、誰にも『おかえり』と言われず、寒い部屋で一匹の晩飯を食って、冬が来るたび、今年も駄目だったなって思いながら年を越す。そういう未来が、もう見えてしまってるポコ」
雌タヌキは、手元の条件表を見つめた。
そこへ並んだ文字が、少し違って見えたのかもしれない。
「……私、悪気があったわけじゃないんです」
「分かるポコ。個々の雌だけ悪い、って話でもないポコ。業界も、自治体も、世間も、皆でこの空気を作ったポコ」
「……」
「けど、想像はした方がいいポコ。上を選ぶ自由の裏で、下で静かに消える雄がいることを」
ジンが、かすれた声で言った。
「僕も、昔は普通に家族を持てると思ってたんです」
誰も遮らない。
「子どもがいて、狭くても家があって、晩に帰ったら誰かがいる。そういうの、当たり前に遠い夢じゃないと思ってました。でも今は、ああいうのって、最初から配られる札が違うんじゃないかって」
その笑みは、ひどく寂しかった。
ポコリーヌは窓の外を見た。
家族連れが歩いている。小さな子が父のしっぽへぶら下がり、母が笑っている。ありふれた景色だ。
だが、そのありふれたものへ届かぬ雄が、町には大勢いる。
「婚活って、華やかな出会いの場みたいに言われるポコ。でも実際は、誰を結ぶか以上に、誰を余らせるかがはっきり見える場所だポコ」
そして、小さく続けた。
「余った雄は、たいてい大騒ぎもしないポコ。怒鳴る元気もなく、抗議する場もなく、ただ働いて、疲れて、少しずつ諦めていくポコ。だから世間は、その静けさを残酷だと認識しないポコ」
ランプの灯りが揺れた。
「見えないまま、子を残せぬまま、静かに終わる雄が増える社会って、本当はかなり冷たいポコね」
誰も返事をしなかった。
その言葉は、否定のしようがない冬の風みたいだった。
ポコリーヌは看板の灯りをつけた。
『真面目なご縁、探しますポコ』
だが本当は、その店へ集まるのは縁だけではない。
値踏みされた末の沈黙。
余り物の側へ押しやられた者の疲れ。
生まれた時から少し不利で、努力してもなお届かぬ場所を見上げる雄たちの、冷えたため息。
「……簡単じゃないポコね」
それでも、ポコリーヌは明日も店を開けるだろう。
無茶を言う雌の話も聞く。
市場の外へ追いやられた雄の声も聞く。
少なくとも、この店の中だけでも。
札や条件だけではなく、余ってしまった側の寂しさにも、ちゃんと名前を与えるために。
◇◇資料・余談◇◇
近年の女性は、昔より経済優先にシフトしていることが見て取れます。
大きな結婚相談所は、年収400万円で足切りしているみたいですね。
グラフから見るに、適齢期の未婚男性の6割超が年収400万円未満ですが…… ><。
極めて進んだ情報化からくるデータ等も、きっと少子化の一因なのでしょうね。
テレビでもネタにされる現代の若い女性の要求水準 (;^_^A
個々に見れば違うのでしょうが、凄いインパクトですね。
現在、SF戦記「星間覇道 ――没落貴族と女海賊、銀河帝位争乱――」を連載中です~♪
良かったら是非読みに来てやってください (*´▽`*)
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