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EP 3

ルナハン領、改革の夜明け

爵位授与から数日後。

シンフォニア家は、ルナハンの街を見下ろす丘の上に建つ、元・領主の館(空き家だった古城を改装したもの)に引っ越していた。

「あ、あわわわ……! む、無理だ……! 字が……数字が私を襲ってくる……!」

執務室から、悲痛な叫び声が響く。

新領主、アークス・シンフォニア男爵(30)は、山積みになった書類の塔に埋もれ、白目を剥いていた。

「貴方! しっかりして! 今日の決済が終わらないと、道路工事が止まってしまいます!」

「マーサぁ……。俺は剣を振るうことしか教わってないんだ……。税収の計算とか、治水工事の予算とか、呪文にしか見えないよぉ……」

元冒険者夫婦にとって、「領地経営」というデスクワークは、ドラゴン退治よりも遥かに高難度なクエストだった。

就任早々、ルナハン領政は崩壊の危機に瀕していた。

その様子を、執務室のドアの隙間から見つめる小さな影があった。

リアン(5歳)である。

(……やれやれ。予想はしていたが、ここまでポンコツとは)

リアンはため息をついた。

父アークスは善人だし、腕も立つ。だが、行政能力は皆無だ。

このままでは領地は破綻し、貧困化し、治安が悪化する。そうなれば、リアンの夢見る「優雅な貴族のスローライフ」など夢のまた夢だ。

(仕方ない。……俺がやるか)

リアンは決意を固め、パタンとドアを開けた。

「父上~! 遊ぼうよ~!」

満面の笑みで部屋に飛び込む。

「り、リアン! ごめんな、父さんは今、この紙の化け物と戦っていて……」

「え~? つまんないの。……ねぇ父上、これ『ハンコ遊び』しようよ!」

「ハンコ遊び?」

「うん! 僕がこの書類を読んで、『OK』なやつと『ダメ』なやつに分けるから、父上は『OK』の方に、このカッコいいハンコをポンって押す係!」

「えっ……? そ、そんなのでいいのか?」

「いいの! 僕、オニヒメに字を習ったから読めるもん!」

リアンは机によじ登ると、恐るべき速度で書類をスキャンし始めた。

前世の経営者スキルと、現世のチート頭脳が火を吹く。

(……道路補修費、見積もりが高い。業者が水増ししてるな。却下)

(……新規開墾の申請。これは『太陽芋』の増産に繋がる。承認)

(……隣町との関税交渉。こちらの取り分が少ない。却下、再交渉)

「はい、これ押して! ポン!」

「お、おう! ポン!」

「次! ポン!」

「ポン!」

リアンの的確な仕分けと、アークスの高速スタンプ。

山のような書類は、またたく間に処理されていった。

「す、すごいぞリアン! お前は天才か!」

「えへへ~! ハンコ遊び楽しいね!」

笑顔で答えながら、リアンの目は笑っていなかった。

(……これが毎日続くのか。自動化(システム化)しないと俺が過労死するな)

その夜。

領主の館の地下ワインセラー。

リアンは、またしても「悪友」を呼び出していた。

「へへっ……。呼び出しとは光栄でっせ、影の領主様」

闇に紛れて現れたのは、ゴルド商会のニャングルだ。

「茶化すな。……緊急事態だ、ニャングル。領地の財政基盤を、一ヶ月以内に盤石にする」

リアンはワイン樽をテーブル代わりに、一枚の地図を広げた。

『ルナハン領・都市改造計画書』と書かれている。

「アークス男爵は人が良すぎる。放っておけば、領民に減税しすぎて財政赤字だ。……だから、俺たちが裏で金を回す」

「金を回す、といいますと?」

「『太陽芋』だ」

リアンは不敵に笑った。

「太陽芋の売り上げは爆発的に伸びている。その利益を、ルナハン領の『インフラ整備』に全額突っ込む」

「ぜ、全額!? 勿体ない!」

「馬鹿言え。道が綺麗になれば、馬車が早く走れる。馬車が早くなれば、太陽芋を新鮮なまま遠くへ運べる。……結果、もっと儲かる」

「……!」

「下水道を整備しろ。衛生環境が良くなれば、疫病が減る。労働者が健康なら、生産効率が上がる。……結果、もっと儲かる」

リアンは次々と指示を飛ばした。

公共事業という名の投資。

それは全て、巡り巡ってリアン(とゴルド商会)の懐を温め、ついでに領民の生活レベルを爆上げする策だった。

「ひぇ~……。坊っちゃん、あんたほんまに5歳でっか? 悪魔でもそこまで考えまへんで」

「俺はただ、快適なトイレと柔らかいベッドが欲しいだけさ」

それから数ヶ月。

ルナハン領は、奇跡的な発展を遂げていた。

街道は石畳で舗装され、物流が活性化。

上下水道が完備され、街から悪臭が消えた。

特産品『太陽芋』の加工工場が建ち、失業者がいなくなった。

領民たちは口々に讃えた。

「アークス様はすげぇ!」

「冒険者上がりだと思ってたが、とんでもない名君だ!」

「俺たちの生活がこんなに良くなるなんて!」

執務室で、アークスは領民からの感謝状を読み、涙ぐんでいた。

「ううっ……。何もしてないのに……皆が喜んでくれている……」

「よかったですね、貴方」

「あぁ……。俺は、良いハンコ押し係になれて幸せだ……」

その横で、リアンは野菜ジュースを飲みながら、帳簿(黒字)を確認していた。

(よしよし。これで領地経営はオートメーション化できた。父さんの名声も上がったし、俺の将来の資産も安泰だ)

リアンは深々とソファに沈み込んだ。

「これにて一件落着。……あとは、悠々自適に6歳を迎えるだけだな」

そう。彼は忘れていたのだ。

この国には、貴族の子弟に課せられた「逃れられない義務」が存在することを。

その知らせは、平和ボケしたリアンの元へ、突然の雷鳴のように届くことになる。


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