EP 2
謁見の間、再び
ルナハンから帝都ルナミスへ向かう街道。
最高級の馬車(王宮からの迎え)の中で、一人の男が死にかけていた。
「ど、どどど、どうしよう……。陛下も御前だぞ……。粗相があったら打ち首……いや、一族郎党処刑……」
新興男爵、アークス・シンフォニア(30歳)である。
彼は借りてきた猫のように小さくなり、ガタガタと震えていた。元S級冒険者の度胸はどこへやら、貴族の正装である窮屈な礼服に押し込まれ、顔色は土気色だ。
「貴方、しっかりしてくださいな。貴方は英雄なんですから、堂々としていれば良いのです」
隣で妻のマーサが背中をさするが、彼女の手も少し震えている。平民出身の彼らにとって、皇帝への謁見は恐怖の対象でしかない。
対照的に、向かいの席に座るメイドのオニヒメは、涼しい顔で窓の外を眺めていた。
「旦那様。深呼吸です。……最悪、何かあれば私が陛下を人質にとって逃げ道を作りますので」
「やめてオニヒメさん!? それが一番の処刑理由になるから!」
アークスが悲鳴を上げる。
その横で、リアン(5歳)は頬杖をつき、死んだ魚のような目で揺られていた。
(はぁ……。ドナドナされる牛の気分だ)
リアンにとって、この移動時間は苦痛だった。
馬車のサスペンションはお粗末で、尻が痛い。
何より、これから始まる「茶番(叙爵式)」への憂鬱が勝っていた。
(貴族になるってことは、戸籍が管理されるってことだ。もう夜逃げもできない。……腹をくくるしかないか)
数時間後。帝都ルナミス城。
そびえ立つ白亜の巨塔と、威圧感たっぷりの城門が一行を出迎えた。
「うわぁ……大きい……」
マーサが口元を押さえる。
案内された城内は、贅の限りを尽くした空間だった。
廊下には名画が飾られ、床は大理石、柱には金箔が施されている。
アークスは緊張でロボットのような歩き方になっていたが、リアンの視点は違った。
(……あの壺、推定300万。あの絵画は贋作だな。……おっ、あの柱の装飾、純金か? 削り取って持ち帰れば金貨20枚にはなるな)
5歳児の瞳孔が、完全に「査定モード」に入っていた。
この城にある資産を現金化したらいくらになるか。それだけが、この退屈な城歩きの楽しみだった。
「――アークス・シンフォニア男爵。前へ」
重厚な扉が開き、謁見の間へと通される。
数百人の貴族たちが整列し、好奇と値踏みの視線を向ける中、アークス一家は赤い絨毯の上を進んだ。
正面の玉座には、この国の支配者、アウラ皇帝が頬杖をついて座っている。
その横には、近衛騎士団長ゼルガルの姿もあった。
「は、ははーーっ!!」
アークスはその場にひれ伏した。勢い余って額を床にぶつけたが、気にする余裕もない。
マーサ、オニヒメ、そしてリアンも倣って膝をつく。
「面を上げよ」
アウラの低い声が響く。
アークスが恐る恐る顔を上げる。
「アークスよ。此度の働き、見事であった。余は、貴様のような武人を好む」
「あ、ありがたき幸せに……ご、ございまするぅ……!」
声が裏返っているが、アウラは機嫌良さそうに頷いた。
「ルナハン領は、帝国の物流の要所。そこを貴様に任せる。励むがよい」
「はっ! 粉骨砕身、努めさせていただきます!」
叙爵の儀式は滞りなく進んだ。
これで終わりか、とリアンが安堵した瞬間だった。
「……して、そこの童が、息子か?」
アウラの視線が、アークスの横にいるリアンに向けられた。
リアンは心臓が止まりかけたが、すぐに「無垢な子供」の仮面を被った。
「はっ! 愚息のリアンでございます!」
「ほう……」
アウラが玉座から身を乗り出した。
鋭い眼光が、リアンを射抜く。
(……目が合った。ヤバい、この皇帝、野生の勘が鋭いタイプだ)
リアンは冷や汗をかきながらも、背筋を伸ばして皇帝を見返した。
ここで怯えれば「臆病者の息子」と父が笑われる。かといって、賢すぎれば警戒される。
絶妙なラインが必要だ。
「お初にお目にかかります、陛下。リアン・シンフォニアです」
リアンは立ち上がり、完璧な角度の礼を披露した。
オニヒメから叩き込まれた、王族級の礼儀作法だ。
5歳児とは思えぬ所作の美しさに、周囲の貴族たちが「おぉ……」とどよめく。
「……なるほど」
アウラは口元を歪め、ニヤリと笑った。
「目は口ほどに物を言う、か。……父よりも肝が座っておるわ」
「へ、陛下……?」
アークスが困惑する。
「よい。……リアンとやら。貴様、この城を見てどう思った?」
試すような問い。
リアンは一瞬考え、そして満面の笑みで答えた。
「はい! 天井のシャンデリアが、とってもキラキラしていて……『お高そう』だと思いました!」
子供らしい感想と、守銭奴の本音のミックス。
広間が静まり返る。不敬とも取れる発言だ。
アークスが泡を吹いて倒れそうになる中、アウラは大声で笑った。
「ガハハハハ!! 違いねぇ! あれはクリスタルガラスの特注品よ! 欲しければくれてやるぞ?」
「えっ、本当ですか!?」
「リアン!?」
マーサが慌ててリアンの口を塞ぐ。
アウラは涙が出るほど笑っていた。
「よいよい、愉快な童だ。……ゼルガルよ。ルナミス学園への入学は、再来年であったな?」
「ハッ。その通りでございます」
「楽しみだ。この国には、面白い『芽』が育っておるようだからな」
アウラは意味深にリアンを見つめた。
「下がってよい」
謁見の間を出た瞬間、アークスはその場にへたり込んだ。
「し、死ぬかと思った……。リアン、お前、なんてことを……」
「ごめんね父さん。つい本音が」
リアンはケロリとしている。
だが、内心では冷や汗が止まらなかった。
(……危なかった。ただの子供を演じきれたか? いや、少し目立ちすぎたか……?)
背後の扉を見つめる。
あの皇帝、ただの武闘派ではない。
「男爵」という首輪をつけられ、さらに皇帝に顔を覚えられた。
スローライフへの道は、ますます遠のくばかりだった。
「さぁ、帰ろうリアン。……これからは、ルナハン領の経営が待っているわよ」
オニヒメが静かに告げる。
その言葉は、リアンにとって死刑宣告にも等しい「労働の始まり」を意味していた。




