第七章 6歳児の勇者
栄光と絶望の報酬
ルナミス帝国とガルーダ獣人国との間に結ばれた停戦条約。
のちに「ルナミスの奇跡」と呼ばれる短期決戦は、帝国側の圧倒的な勝利という形で幕を閉じた。
季節は巡り、秋。
ルナハンの街には、平和な日常が戻ってきていた。
「ふぅ……。やっぱり平和が一番だな」
シンフォニア家の庭先。
5歳になったリアンは、縁側で日向ぼっこをしながら、特製の『野菜ジュース(果汁入り)』をストローで啜っていた。
父アークスは無事に帰還した。
母マーサの笑顔も戻った。
裏で糸を引いた「ゴルド商会」の『太陽芋』ビジネスも順調で、懐には毎月とんでもない額のロイヤリティが入ってくる。
(父さんは「運が良かった」と騎士団で英雄扱い。俺は正体不明のまま、金と平穏を手に入れた。……完璧だ。これこそが俺の求めていたスローライフの基盤だよ)
リアンは満足げに空を見上げた。
このまま、金持ちの一般市民として、適度に発明をして、適度に遊んで暮らす。
それがリアンの描いた人生設計だった。
だが。
その青写真は、一台の豪華な馬車の到着によって、音を立てて崩れ去ることになる。
ガラガラガラ……!!
シンフォニア家の前に止まったのは、ルナハン騎士団の紋章が刻まれた重厚な馬車だった。
「おーい! アークス! 居るかぁ!!」
馬車から降りてきたのは、巨漢の髭面。
ゼノン騎士団長その人だった。
「だ、団長!? どうされたんですか、こんな朝から!」
非番だったアークスが、慌てて玄関から飛び出してくる。
マーサとオニヒメも、何事かと後ろに続く。
リアンも嫌な予感を抱きつつ、チョコチョコと父の足元へ隠れた。
「ガハハハ! 良い知らせを持ってきたぞ、アークス! いや、シンフォニア一家よ!」
ゼノンは満面の笑みで、一通の羊皮紙を取り出した。
そこには、皇帝の印璽が押されている。
「本国からの通達だ。心して聞け!」
アークスとマーサが慌ててその場に跪く。リアンも真似をして頭を下げた。
「アークス・シンフォニア。此度のガルーダ戦における貴殿の活躍……敵補給線の破壊、指揮系統の無力化、そして何より、一人の死者も出さずに敵を撤退させた『奇跡的な指揮』。これらは帝国騎士の模範であり、救国の英雄に値する!」
(……全部俺と下剤のおかげだけどな)
リアンは心の中で毒づいたが、父が褒められるのは悪い気はしない。
精々、金一封と特別休暇くらいだろう。そう思っていた。
「よって、アウラ皇帝陛下より、以下の褒賞を授ける!」
ゼノンが高らかに宣言する。
「金貨……1000枚!」
「せ、1000枚!?」
アークスが素っ頓狂な声を上げる。日本円にして約1000万円。退職金どころの騒ぎではない。
(おお、気前がいいな皇帝。これで設備投資ができる)
リアンがニヤリとした、その直後だった。
「そして――!! 貴殿に対し、**『男爵』**の爵位を授与する!!」
「……は?」
リアンの思考が停止した。
アークスも口をポカンと開けている。
「だ、だんしゃく……? 私が、貴族に……?」
「うむ! それだけではないぞ! 今回の功績を鑑み、現在、直轄地となっているこの**『ルナハンの街』および周辺地域を、シンフォニア男爵家の『領土』として与える**との仰せだ!!」
ゼノンの言葉が、爆弾のように庭に落ちた。
「おめでとう! アークス男爵! 今日から貴様は、一国一城の主だ!!」
「あ、あなたが……貴族様……!?」
「まぁ! 旦那様! 凄いですわ!」
マーサが感極まってアークスに抱きつき、オニヒメが涙を拭う。
アークス自身も、震える手で羊皮紙を受け取り、男泣きしている。
ハッピーエンド。誰もがそう思う光景だった。
ただ一人、5歳児を除いて。
(……は? 爵位? 領土?)
リアンの顔から、急速に血の気が引いていく。
前世の知識と、今の世界の常識が警鐘を鳴らす。
貴族になるということ。
それは、「平民」という気楽な身分を失うということだ。
領土を持つということ。
それは、下水の管理、税の徴収、治安維持、住民トラブルの仲裁、道路整備……無限に湧いて出る**「行政・経営責任」**を負うということだ。
さらに、男爵ともなれば、貴族社会への付き合いが発生する。
夜会、派閥争い、マナー講座、政略結婚の打診……。
(ま、待て……待ってくれ……)
リアンはプルプルと震えだした。
(俺は……俺はただ、金持ちの一般人として、ダラダラとスローライフを送りたかっただけなんだ……!)
貴族になれば、目立つ。
目立てば、狙われる。
そして何より――「働かされる」。
(いらん……! 返してこいそんなもん!! 金貨だけでいいんだよぉぉぉ!!)
「良かったな、リアン! お前は今日から男爵家の御曹司だぞ!」
ゼノンが豪快にリアンを高い高いした。
「あ、あう……あうぅ……」
リアンは引きつった笑顔を浮かべるしかなかった。
視界が回る。
それと同時に、彼が夢見ていた「平穏な隠居生活」が、音を立てて崩れ去っていくのが見えた気がした。
「……オワッタ」
青空に吸い込まれるようなリアンの小さな呟きは、大人たちの歓喜の声にかき消されたのだった。




