EP 17
シンフォニア家のダイニングは、温かなオレンジ色の光に包まれていた。
テーブルにはご馳走が並び、中央には「5」のロウソクが立てられた特製のバースデーケーキが、主役の帰りを待ちわびていた。
しかし、時計の針は既に夜の深い時間を指している。
「お父さん、遅いわねぇ……。今日はリアンの5歳の誕生日なのに」
マーサが窓の外を見つめ、溜息をついた。
いつもなら、息子の誕生日とあれば仕事を放り出してでも飛んで帰ってくる親バカな夫だ。それが、何の連絡もなくここまで遅れるのは異常だった。
「そうですねぇ……。騎士団の人達と、お祝いのお酒でも飲んでいるのでしょうか」
オニヒメが紅茶を淹れ直しながら、努めて明るく振る舞う。
だが、リアン(5歳)は敏感に感じ取っていた。
オニヒメの眼鏡の奥の瞳が、いつになく鋭く玄関の方を警戒していることを。
「困った人ね……。ケーキのロウソクが溶けちゃうわ。先に食べましょうか」
「……うん」
リアンは頷いたが、胸騒ぎが消えない。
(父さん、どうしたかな。ただの飲み会ならいいんだが……)
その時だった。
ガチャリ……。
玄関の扉が開く音。しかし、いつものような「ただいまー! リアンー!」という陽気な声はない。
重い、鉛のような足音が廊下を近づいてくる。
「まぁ、やっと帰って来た」
マーサが席を立ち、玄関ホールへ向かう。オニヒメも続く。
「お帰りなさいませ、旦那様」
出迎えた家族の前に現れたアークスは、泥のように疲弊していた。
顔色は青白く、いつもの覇気がない。その手は微かに震えているように見えた。
「……戦争が」
アークスが掠れた声で呟いた。
「戦争が……始まる」
その言葉は、シンフォニア家の暖かな空気を一瞬にして凍りつかせた。
「え? ……戦争?」
マーサが夫の顔を覗き込む。
元S級冒険者として修羅場を潜ってきた彼女だからこそ、その言葉の重みが誰よりも理解できてしまう。
「今日、ゼノン騎士団長から聞いた……。帝国は、『ガルーダ獣人国』との全面戦争に突入する」
アークスは重い口を開き、決定的な事実を告げた。
「総動員令が出た。……俺も、徴兵される」
「そんな!?」
マーサが悲鳴を上げ、口元を覆った。
「貴方はもう退役して、地方の騎士団付きの身でしょう!? それに、私たちにはまだ小さいリアンが……!」
「……総力戦だそうだ。予備役も含め、戦える者は全員駆り出される」
アークスは拳を握りしめた。
国境付近での小競り合いではない。国と国が存亡を賭けて殺し合う、本物の戦争。
(……父さんが、徴兵!?)
リアンの背筋に冷たいものが走った。
(戦争って……歴史の教科書やゲームの中の話じゃない。リアルな殺し合いだ。ガルーダ獣人国……身体能力に優れた戦闘種族の国。……死ぬぞ。普通に)
「貴方! 嫌よ! 嫌嫌! 戦争なんて……貴方が死ぬなんて!」
マーサがアークスの胸に飛び込み、子供のように泣きじゃくった。
かつて戦場で多くの仲間を失ってきた彼女にとって、「行ってらっしゃい」は「二度と会えないかもしれない別れ」と同義だ。
アークスは泣き崩れる妻を強く抱きしめた。
「心配するな、マーサ。……俺は死なん」
アークスは、不安げに見上げているリアンの方を見た。
その目は、いつもの優しい父の目ではなく、一人の戦士の目だった。
「俺は絶対に生きて帰る。……リアンが、立派な騎士になる日を見るまではな」
それは、あまりにも典型的な「死亡フラグ」のような言葉だった。
だが、アークスの声には、運命さえもねじ伏せるような強い意志が込められていた。
「父さん……」
リアンは言葉を失った。
自分には、前世の知識がある。チート級の魔道具を作れる技術がある。
だが、国家間の戦争という巨大なうねりの前では、5歳の子供はあまりにも無力だった。
(戦争……。死ぬ……。父さんが、死ぬ……?)
バースデーケーキの上の「5」のロウソクが、音もなく燃え尽き、消えた。
薄暗くなった部屋で、リアンは初めて「死」という現実的な恐怖を、身近なものとして感じていた。
最強の4歳児としての平穏な日々は終わりを告げた。
5歳になったリアンを待っていたのは、戦乱の足音と、家族を守るための本当の戦いだった。
第五章 「4歳児の勇者」 完




