EP 6
生後一ヶ月と一週間。
深夜のシンフォニア家の子供部屋は、静寂に包まれていた。
だが、ベビーベッドの中だけは、熱い特訓の場と化していた。
(名前は……そうだな。『センチネル(歩哨)』だ。俺の眠りを守り、俺の手足となる人形に相応しい)
リアンは、アークスから貰った胡桃割り人形にそう名付けた。
しかし、いざ動かそうとすると、枯葉とは訳が違った。
(ぐぬぬ……重い。枯葉が羽毛なら、こいつは鉄アレイだ)
魔力を糸のように伸ばし、センチネルの全身に絡ませるが、ピクリとも動かない。
構造が複雑すぎるのだ。関節の摩擦、重心のバランス、木の密度。それらを全て計算して魔力を出力しなければならない。
(やはり、いきなり全体を動かすには厳しいか……。料理と一緒だ。いきなりフルコースは作れない。まずは下拵えからだ)
リアンは方針を転換した。
(ターゲット、右腕。上腕二頭筋にあたる部分と、肘の関節のみに集中しろ)
彼は魔力の出力を絞り、一点に集中させた。
カタッ……
センチネルの右腕が、ぎこちなく持ち上がった。
(よし……! まずは腕一本だ。これを無意識レベルで動かせるまで反復練習だ!)
それからのリアンは、執念の塊だった。
アークスやマーサが部屋にいる時は、センチネルを抱きしめて「あーうー」と可愛い赤ん坊を演じる。
だが、二人が部屋を出て扉が閉まった瞬間、リアンの目は職人のそれに戻る。
「……(行け、右腕。次は左脚。重心移動)」
深夜、暗闇の中でガシャン、ガシャンと小さな音が響く。
もし両親が見たら「ポルターガイストだ!」と教会へ駆け込むであろう光景が、一週間続いた。
そして、一週間後。
(……起動)
リアンが念じると同時、ベッドの足元に転がっていたセンチネルが、スッ……と音もなく起き上がった。
その動きに、かつてのぎこちなさは微塵もない。
まるで中に小人が入っているかのような、滑らかで有機的な動作。
センチネルはリアンに向かって、ビシッと軍隊式の敬礼をした。
(完璧だ。三つ星の厨房で培った並列思考と、今の俺の魔力操作が噛み合った)
リアンは満足げに頷くと、次なるステップへと移行した。
これこそが、彼がセンチネルを動かせるようになりたかった最大の理由。
(出ろ! ネット通販!)
フォン……
虚空に半透明のタッチパネルが出現する。
相変わらず、リアンの短い手では届かない位置だ。
だが、今の彼には「手」がある。
(行け、センチネル)
センチネルは音もなくベッドの柵をよじ登ると、器用なバランス感覚で柵の上に立った。
そして、その木製の指先を、画面へと伸ばす。
タップ。
反応した。
画面がスクロールし、トップページから商品一覧へと遷移する。
(よし……成功だ!)
リアンは心の中でガッツポーズをした。
センチネルを通せば、画面操作が可能だ。これで、俺は地球と繋がることができる。
センチネルの指が、リアンの思考に合わせて次々と画面をフリックしていく。
『今週のグルメ特集:最高級キリマンジャロブレンド』
『新商品:全自動エスプレッソマシン』
『業務用:カレーフレーク 1kg』
美しい商品写真。魅力的な煽り文句。そして、容赦ない価格表示。
(……はぁ。やっぱり、見るだけか)
右上の残高表示は【0円】のままだ。
購入ボタンはグレーアウトしていて押せない。
コーヒーの香りも、カレーのスパイシーな刺激も、ここからは届かない。
だが、リアンは画面を見つめながら、ニヤリと笑った。
(だが、情報はある。今の地球で何が流行っているか、どんな新素材が出ているか、相場はどうなっているか……全部わかる)
それは、牢獄に差し込まれた一筋の光であり、退屈な赤ん坊生活を彩る最高の娯楽だった。
(ふむふむ……。最近のフライパンはダイヤモンドコートが主流か。……おっ、この新型のキャンプ用品、冒険者に売れそうだな)
センチネルが器用にページを捲る。
赤ん坊のリアンは、その画面を食い入るように見つめる。
(見てろよ……。今はウィンドウショッピング(冷やかし)だけだが、いつか絶対に、この「カートに入れる」ボタンを押してやるからな)
深夜の子供部屋。
木製の人形がタブレットを操作し、赤ん坊がそれを熟読する。
奇妙な共犯関係が、ここに成立したのだった。




