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EP 14

とある日の夜。

シンフォニア家のリビングには、夕食後の穏やかな時間が流れていたが、主人の帰りが遅いことが少しだけ空気を重くしていた。

「パパ、遅いわねぇ……」

マーサが時計を見上げながら、編み物の手を止める。

「そうですね。今日は『少し飲んでくる』とは仰っていましたが」

オニヒメが紅茶を淹れ直そうとした、その時だった。

ガチャリ。

玄関の扉が勢いよく開いた。

「おぉーい! 帰ったぞぉ! ヒックッ!」

赤ら顔のアークスが、千鳥足で入ってくる。

その肩を支えるように、もう一人の男が立っていた。

漆黒の髪に、黒豹の耳。近衛騎士クルーガだ。

「貴方ったら! ……それに、クルーガさん?」

マーサが慌てて駆け寄る。

「申し訳ありません、マーサさん。アークス殿と飲んでいたのですが、どうしても『家で飲み直そう』と仰って聞かなくて……」

クルーガは申し訳無さそうに眉を下げる。

だが、その黄金の瞳は、酔いなど微塵も感じさせない冷徹さで、瞬時に玄関からリビングまでの動線をスキャンしていた。

(……ふむ。掃除が行き届いている。模範的な家庭だ)

クルーガの鼻が、ピクリと動く。

(……だが。この家からは『エルフ』の匂いがしている。それも、ただのエルフではない。世界樹の森の最奥にしか存在しない、濃密な『聖なる樹木』の香気だ。……つい最近、ここに来たな?)

「だははは! クルーガ殿は良い奴でさぁ! 妻自慢を聞いてくれるんだよ! さぁ、入って入って!」

アークスがクルーガの背中を叩く。

「まぁまぁ……。たいしたお構いも出来ませんが、どうぞ上がってくださいな」

マーサが苦笑しながら招き入れる。

「そんな、悪いです……と言いたいところですが、アークス殿のご好意に甘えさせていただきます」

クルーガは礼儀正しく靴を脱ぎながら、脳内で情報を修正していた。

(……先日の『謎のエルフ事件』。あれはエルフの仕業ではないと確信していたが、この家に『本物のエルフ』が出入りしているとなると話は別だ)

クルーガは、その香りの主が誰であるかのアタリをつけていた。

世界樹の森の次期女王候補、ルナ・リリセシア。

あの気難しい種族の中で、唯一外界に興味を持つ特異点。

(アークス殿の息子が、あのルナ君と仲良くなったのか……? だとすれば、これはルナミス帝国にとっては目出度い事だ。中立を貫く世界樹の森との架け橋として、この家は利用できる。陛下にご報告すれば、外交ルート確立の為に画策されるだろうな)

クルーガは「謎の暗殺者探し」という刑事の目から、「国益を守る近衛騎士」の目へと切り替わりつつあった。

二階の階段の踊り場。

柱の影から、リアン(3歳)がその様子を冷ややかに見下ろしていた。

(……クルーガじゃん。家に上げるとか、親父も余計なことを)

リアンはクルーガの立ち振る舞いを観察する。

足元はふらついているが、体幹はブレていない。視線も鋭いままだ。

(……いや、あれは演技だね。酔ったフリをして家の中を探るための常套句だわ。油断ならねぇ)

その時。

クルーガがふと顔を上げ、二階の暗がりを見た。

黄金の瞳と、リアンの目がカチリとかち合う。

(ッ!?)

見つかった。

シンフォニア家全体を観察する、捕食者の目だ。

ここで下手に動揺したり、鋭い視線を返せば、「ただの子供ではない」と勘づかれる。

リアンは瞬時に「幼児モード」に切り替えた。

「ママぁぁ……」

リアンはトテトテと階段を駆け下り、マーサのスカートの後ろに隠れた。

怯えた小動物のように、クルーガを怖がって見せる。

「おやおや。……怖がらせてしまったかな?」

クルーガが優しげな(しかし目は笑っていない)表情でしゃがみ込む。

(すぐに母親の後に隠れる……。自然な反応だ。警戒心というよりは、人見知りか)

「こら! リアン! お客様だぞ、きちんと挨拶しなさい!」

酔っ払ったアークスが、教育パパぶって声を荒らげる。

これ幸いと、リアンは「泣き落とし」にかかった。

「ああん! ああーん!!」

「えぇん」と可愛く泣くのではない。

「ギャーッ!」という、大人の鼓膜を破壊する本気の夜泣きモードだ。

「貴方! いきなり怒鳴らないでよ! ビックリしたじゃない!」

マーサがアークスを睨みつける。

「は、はい! すみません!」

アークスは一瞬で酔いが覚めたように直立不動になった。

その様子を見て、クルーガは苦笑しながら立ち上がった。

「ははは。元気なお子さんだ。……アークス殿、あまり叱らないであげてください」

クルーガは泣きじゃくるリアンを一瞥し、興味を削いだように視線を外した。

(やれやれ……。この子が『謎の輩』である可能性もゼロではないと疑っていたが、この様子では違うな。ただの甘えん坊だ)

だが、クルーガは別の収穫に満足していた。

リビングのソファに残る微かな「世界樹の香り」。そして、この「平凡な幼児」が、エルフの姫君のお気に入りであるという事実。

(『謎の暗殺者』の尻尾は掴めなかったが、リアン君とルナ君の関係は、ルナミス帝国にとっての『天啓』だ。……アークス殿には悪いが、この子は将来、重要な外交カード(人質)として育て上げさせてもらおう)

クルーガはアークスとグラスを合わせながら、昏い政治的野心を燃やす。

リアンは母の背中で嘘泣きを続けながら、別の意味での危機――「帝国の政治利用」というフラグが立ったことに、まだ気づいていなかった。


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