EP 10
ルナハン騎士団本部、作戦司令室。
いつものように報告を行おうとしたゼノン団長の言葉を、クルーガが手で制した。
「クルーガ殿? 今、何と……?」
怪訝な顔をするゼノンの目の前に、クルーガは無言で一枚の羊皮紙を滑らせた。
そこには、流麗な文字でこう書かれていた。
『これからは、大事な話をする際は筆談でお願いします』
「!?」
ゼノンは目を丸くした。
クルーガは人差し指を唇に当て、「シーッ」というジェスチャーをする。
その黄金の瞳は、笑っていない。部屋の隅々、天井、床下までを射抜くような鋭い光を放っている。
ゼノンはゴクリと唾を飲み込み、震える手で羽ペンを取った。
カリカリ……というペン先が紙を引っ掻く音だけが、静寂な室内に響く。
『何故?』
クルーガがペンを受け取り、迷いのない筆致で返事を書く。
『ここでの話は聞かれてる可能性が高いからです。見られているかもしれない。だから、こうやって一つ一つ、情報漏洩の可能性を潰していきます』
ゼノンはその文字を見て、顔色を変えた。
まさか、騎士団の中枢であるこの部屋が?
魔法的な結界も張ってあるのに?
だが、先日のリザードマンの一件を考えれば、こちらの情報がリアルタイムで筒抜けになっているとしか思えない。
『わ、分かりました』
ゼノンが同意の言葉を書くと、クルーガは満足げに頷いた。
そして、紙を蝋燭の火にかざし、証拠を灰にした。
張り詰めた沈黙が続く。
クルーガは、やおら表情を崩し、今度は「声に出して」明るく話しかけた。
「それと……ゼノン団長。今宵は飲みに行きませんか?」
「えっ!?」
あまりの脈絡のなさに、ゼノンは素っ頓狂な声を上げた。
「私と!? 何故急に!?」
堅物の近衛騎士から、まさかの飲みの誘い。
クルーガは黒豹の尻尾を友好的に揺らしてみせた。
「いえいえ。赴任してからまだ日も浅いですし、ゼノン団長の苦労話や武勇伝を、酒を飲みながらゆっくり聞きたくてですね」
「は、はぁ……。それは構いませんが……」
ゼノンは戸惑いながらも、悪い気はしなかった。
帝国のエリートが、自分に歩み寄ろうとしてくれている。
「ありがとうございます。ゼノン団長と飲めるなんて、私は幸せ者です」
クルーガは屈託のない笑顔を見せた。
だが、その内面――「心の声」は、氷のように冷徹だった。
(……可能性は、一つ一つ潰していく)
クルーガの視線が、ゼノンの緩んだ顔に向けられる。
(情報源に近い人間から洗うのが定石。一番怪しいのは、作戦の全容を知るトップである貴方だ、ゼノン団長。……だが、表立って貴方が犯人かと疑ってしまえば、近衛騎士とはいえ、私の首が飛ぶ)
だからこそ、懐に入り込む。
酒を飲ませ、油断させ、言葉の端々からボロを出させる。
あるいは、彼が「白」なら、次はアークス副団長だ。
(逃がさないぞ。「謎の輩」。お前の耳を塞ぎ、目を潰し、必ずその正体を暴いてやる)
同時刻。子供部屋。
「……あれ?」
リアン(3歳)は、イヤホンを叩いた。
「故障か? 何も聞こえない」
先ほどまで話し声が聞こえていたのに、急に音が途切れた。
聞こえてくるのは、何かを「カリカリ」と引っ掻くような微かな音と、衣擦れの音だけ。
そして唐突に始まった、飲み会の誘い。
「……筆談、か?」
リアンの背筋に冷たいものが走った。
「あいつ……気づいたな。盗聴の可能性に」
情報の蛇口が閉められた。
クルーガの捜査網は、確実に、そして静かに、リアンの喉元へと迫りつつあった。




