EP 5
深夜、シンフォニア家は静寂に包まれていた。
だが、子供部屋の空気だけは、凍てつくように冷たかった。
ベビーベッドの中で、リアン(2歳)は目を閉じ、深く呼吸を整えた。
これが、家族の平和を守るための最終防衛ラインだ。
「……じゃあ、行くか」
リアンの意識が、闇の底へとダイブする。
ガシャン。
胡桃割り人形の眼窩に、冷徹な理性の光が宿った。
センチネルとなったリアンは、周囲に控える部下たちを見回した。
『弓丸、騎士丸、竜丸。……発進準備!』
センチネルの号令一下、シンフォニア小隊が一つの塊となる。
竜丸の腹部には、致死量の可燃物を満載した魔法ポーチを抱えた騎士丸が。背中には、大量の撒菱を背負った弓丸が搭乗する。
『出撃!』
バサァッ!!
竜丸が翼を広げ、窓の隙間から夜空へと躍り出た。
風が強い。
だが、今のリアンにとって、この強風こそが最大の味方(調味料)だった。
ルナハン川、上流域。
枯草が広がる河川敷に、腐臭と獣臭が充満していた。
100体を超えるオーガの群れが、泥のように眠っている。
彼らは知恵が浅い。川を背にして陣取っているのは、水場を確保するためだろうが、それが命取りだとも知らずに。
竜丸は、風上にある高い古木の枝に音もなく着地した。
『……よし。条件は揃った』
センチネル(リアン)は、戦場の配置(盤面)を冷ややかに分析した。
・暗闇:視界ゼロ。パニックを誘発しやすい。
・川:唯一の逃げ道であり、彼らが殺到する場所。
・強風:火を一瞬で広げる送風機。
『騎士丸、弓丸。……降下』
ワイヤーが降ろされ、二体の影が地上へと滑り降りる。
弓丸は、オーガたちの背後、川へと続く岸辺を走った。
バックパックから取り出したのは、ネット通販で購入した**『ステンレス製・対人用撒菱』**。
それを惜しげもなく、逃走ルートとなる川岸一面にばら撒いていく。
一方、騎士丸は、魔法ポーチから**『オイルを染み込ませた藁束』**を取り出し、眠るオーガの群れを包囲するように設置していった。
ネット通販で買った『業務用着火剤』と『スピリタス(超高濃度アルコール)』をたっぷり吸わせた特製燃料だ。
作業は迅速かつ静謐に行われた。
オーガの鼻先数センチを、死神の人形たちが駆け抜ける。
『……包囲完了。退路封鎖完了』
センチネルが、竜丸の上から指を鳴らす(イメージ)。
『よし、仕上げだ。……派手に焼け』
地上で合図を受け取った弓丸と騎士丸が、同時に火打石を打ち合わせた。
カチッ……ボッ!!
種火が藁に落ちた瞬間、揮発性の高いアルコールが一気に反応した。
ドオオオオオッ!!
それは着火というより、爆発に近い燃焼だった。
強風に煽られた炎は、生き物のように鎌首をもたげ、瞬く間にオーガの群れを円状に取り囲んだ。
「ギャッ!? ギャオオオオ!?」
「アツッ! アツイ!!」
灼熱の業火に叩き起こされ、オーガたちが悲鳴を上げる。
周囲は火の壁。
煙と熱波が彼らを襲う。
本能に従い、彼らは唯一火の手がない方向――「川」へと殺到した。
「ミズ! ミズダ!!」
「ニゲロオオオ!!」
100体の巨体が、我先にと川岸へなだれ込む。
だが、そこはリアンが用意した「死の舞踏場」だった。
グサッ!!
「ギャアアアアッ!?」
先頭のオーガが、足裏に激痛を感じて転倒した。
撒菱だ。体重数百キロのオーガが踏めば、鋭利な棘は骨まで達する。
「ドケ! ドケェ!」
後ろから来たオーガは、前のオーガが転んだ理由など分からない。
パニック状態の群れは、転倒した同族を踏みつけ、さらに自分たちも撒菱を踏み、次々と折り重なっていく。
ズドドドドド……ッ!
凄まじい地響きと共に、将棋倒しが発生した。
川岸は、オーガの肉塊と悲鳴の山と化した。
そこへ、背後から火の壁が迫る。
だが、センチネルは冷静に、その光景を見下ろしていた。
『……炎で死ぬんじゃない。苦しまずに逝かせてやる』
炎が酸素を大量に消費し、上昇気流が発生する。
いわゆる「火災旋風」に近い現象。
中心部にいるオーガの山から、急速に酸素が奪われていく。
『酸欠で死ぬんだ』
「ガッ……ヒュー……ッ」
「ア……ガ……」
悲鳴が、喘鳴に変わる。
一酸化炭素中毒と酸素欠乏。
どれだけ強靭な肉体を持っていても、呼吸ができなければ生物は死ぬ。
それは、魔法防御も物理防御も無効化する、絶対的な死。
数分後。
あれだけ響いていた獣の咆哮は消え失せた。
パチパチと薪が爆ぜる音と、風の音だけが残る。
『……調理完了』
河川敷には、折り重なって絶命した100体のオーガの山が築かれていた。
外傷はほとんどない。ただ、静かに窒息死した肉塊があるだけだ。
(火の回りが早すぎて、遺体まで燃え広がる前に鎮火したのも計算通りだ)
センチネルたちを乗せた竜丸は、煙の匂いを振り払うように高く上昇した。
明日の朝、これを発見した騎士団はまた「謎のエルフの仕業」と頭を抱えるだろう。
『……これで、明日の朝食も家族全員で食べられるな』
リアンは満足げに頷き、闇に消えていく街へと帰投した。
100体のオーガを、指一本触れずに全滅させた2歳児の夜は、静かに更けていった。




