EP 4
夜の帳が下りたシンフォニア家。
いつもなら、温かな料理の香りと笑い声が溢れる時間だが、今夜は鉛のように重い空気が漂っていた。
重厚な扉が開き、アークスが帰宅した。
その足取りは、いつものような「ただいま!」という元気なものではなく、引きずるように重かった。
「お帰りなさい、貴方」
マーサが静かに出迎える。その表情には、いつもの柔らかな微笑みはなく、覚悟を決めた戦士の瞳があった。
「お帰りなさいませ、旦那様」
オニヒメもまた、深く一礼する。
「あぁ……ただいま」
アークスは兜を脱ぎ、二人を直視できずに視線を彷徨わせた。
どう切り出せばいい。
愛する妻と、家族同然のメイドに、「死地へ向かえ」と。
「……貴方。本当なの?」
沈黙を破ったのはマーサだった。
「街の人達が言っていたわ。街の外……ルナハン川の上流に、大規模な『オーガの群れ』が発生したって」
噂は疾風のように街を駆け巡っていた。
100体のオーガ。それは災害だ。
「……知っていたのか」
アークスは力なく頷いた。隠しても無駄だ。
「それで……貴方はどうするの?」
マーサの問いかけは、「貴方は騎士としてどう動くのか」そして「夫として私たちに何を望むのか」という二重の意味を含んでいた。
アークスは拳を握りしめ、意を決して顔を上げた。
「それなんだが……。すまない、マーサ。オニヒメさん」
声が震える。
「騎士団の戦力だけでは、街を守りきれないかもしれない。……すまないが、二人には防衛戦に参加して欲しいんだ」
言った。言ってしまった。
アークスは唇を噛み締めた。男として、騎士として、家族を守るべき自分が、逆に家族を盾にしようとしている。
「……死線、ですわね」
マーサが短く呟いた。
元S級冒険者だからこそ分かる。100体のオーガとの乱戦が、どれほど凄惨な泥沼になるかを。
「えぇ。……スタンピードとなれば、生半可な覚悟では生き残れません」
オニヒメが静かに同意する。
だが、二人の目に拒絶の色はなかった。この街には、守るべき日常と、愛するリアンがいるからだ。
「すまない……。リアンは、明日の朝一番で教会の地下シェルターへ預けようと思う」
アークスがベビーチェアに座るリアンを見る。
何も知らず(という体で)、スプーンを握っている小さな息子。
もし前線が崩壊すれば、自分たちも死ぬ。家に残しておくわけにはいかない。
「そうね……。明日にでも」
マーサが悲しげに頷く。
「……ふふ。『最後の晩餐』ですか? 冗談です」
オニヒメが、テーブルに置かれたホワイトシチューを見つめ、自嘲気味に微笑んだ。
冗談に聞こえないほどの緊張感。
この温かいシチューが、家族揃って食べる最後の食事になるかもしれない。そんな予感が部屋を支配する。
マーサがアークスの冷たい手を、両手で包み込んだ。
「貴方のなら、何処へでも行くわ。アークス。……私たちは家族よ。一緒に戦いましょう」
「マーサ……オニヒメさん……」
アークスの目から涙が溢れた。
彼は二人を抱きしめるように、力強く誓った。
「リアン……必ず、俺が皆を守る。俺の命に代えても!」
「貴方……」
「旦那様……」
三人の大人が互いの無事を祈り、決意を固める。
悲壮感と愛に満ちた、美しい家族の姿。
だが。
その輪の外側で、冷めた目でシチューを啜る幼児が一人。
(……やれやれ。大人はすぐに「命に代えても」とか言う)
リアンは、感動的なシーンを冷静に観察していた。
(父さん。母さんとオニヒメを戦場に連れて行く? リアンを教会に預ける? ……却下だ。そんなシナリオ、俺が認めない)
リアンはテーブルの下、小さな手で、相棒である胡桃割り人形『センチネル』を強く握りしめた。
(そんな危険な目は合わせない。誰も死なせないし、誰も殺させない。……なあ? 相棒)
センチネルの硬い感触が、リアンの殺意と決意を受け止める。
父さんが剣を抜く前に。母さんが杖を構える前に。
俺が終わらせる。
(最後の晩餐? 笑えない冗談だ。明日の朝も、明後日の夜も、俺たちはここで美味い飯を食うんだよ)
リアンは残りのシチューを一気に飲み干した。
エネルギー充填完了。
「ごちそうちゃま!」
元気よく手を合わせるリアンの声が、重い空気を切り裂く。
さあ、これより『シンフォニア小隊』による、ルナハン防衛戦(火攻め)の開幕だ。




