EP 2
ルナハンのメインストリート。
オニヒメが押す乳母車に揺られながら、リアン(2歳)は鼻をヒクつかせた。
(……来たな。この香りだ)
風に乗って漂ってきたのは、焦げた醤油と肉汁、そして炒めた玉ねぎの甘美な香り。
道行く人々が足を止め、香りの元へと吸い寄せられていく。
「あら……いい匂いね。何かしら?」
マーサもまた、その暴力的なまでの飯テロの香りに鼻をくすぐられたようだ。
「本当ですね、奥様。香ばしい……お肉の焼ける匂いですわ」
オニヒメが同意する。
リアンは心の中でガッツポーズをした。
(計画通りだ。行こうぜ、母さん。そこには親父の筋肉を救う「魔法の肉」がある)
一行が匂いの元へ向かうと、そこはゴルド商会の店先だった。
特設された屋台の前で、派手な服を着た猫耳族の男が、汗だくになって声を張り上げている。
「へい! いらっしゃい、いらっしゃい! 寄ってってや! ルナハンの食卓に革命を起こす、噂の『ニャングル・ハンバーグ』でっせー!」
鉄板の上では、小判型の肉塊がジュウジュウと音を立てて焼かれている。
「まぁまぁ、ハンバーグ? 聞いたことない料理ね。……あら、ニャングルさん?」
「おや、マーサ奥さん! それにオニヒメはんとリアン坊ちゃん! まいど!」
ニャングルはマーサたちに気づくと、猫耳をピンと立てて愛想笑いを浮かべた。
「どうでっか!? 今日は実演販売してまんねん! 騙されたと思って、一口試食してみまへんか!?」
ニャングルが爪楊枝に刺した焼きたての一切れを差し出す。
マーサは上品にそれを受け取り、口に運んだ。
「……ん!」
咀嚼した瞬間、マーサの目が大きく見開かれた。
カリッと焼かれた表面を破ると、中から熱々の肉汁が溢れ出す。赤身肉の旨味とスパイスの香りが口いっぱいに広がった。
「まぁ、美味しい! お肉が柔らかくて、でも食べごたえがあって……これ、本当にあのお安い赤身肉なの?」
「そうでっしゃろ! 独自の配合と『空気抜き』の技で、極上の食感に仕上げてまんねん!」
ニャングルは得意げに鼻を鳴らした。
そして、店の奥にある魔導冷凍庫(氷の魔石を使ったクーラーボックス)を指差した。
「しかもこれ、画期的な『冷凍保存』タイプでしてな! 焼くだけで、いつでもこの味が楽しめまっせ! 忙しい奥様の味方! 今なら発売記念、4人前で銅貨5枚! 勉強させて頂きます!」
「まぁ、お安い! 保存も効くなんて素敵ね」
元S級冒険者とはいえ、今は主婦。
「簡単」「美味しい」「安い」の三拍子には抗えない。
「では、4人前を頂くわ」
「はい、奥様」
オニヒメが財布から銅貨5枚を取り出し、ニャングルに渡す。
「おおきに! まいどありー!」
商品を手渡しながら、ニャングルはチラリと店の屋根――先日、黒い人形たちが侵入してきた天窓――を見上げた。
(くぅ~! あの『人形様』のお陰で、ワイは出世出来るわぁ……! ハンバーグ様々やでぇ!)
この新商品は既に飛ぶように売れており、ゴルド商会の新たなドル箱になりつつあった。
その日の夕食。
シンフォニア家の食卓には、こんがりと焼かれたハンバーグが並んだ。
「ただいまぁ……腹減ったぁ……」
アークスが帰宅し、鼻をヒクつかせる。
「おっ! なんだこの美味そうな匂いは!」
「おかえりなさい、貴方。今日は『ハンバーグ』よ。街で評判なんですって」
家族揃って、「いただきます」。
アークスがナイフを入れると、透明な肉汁がジュワリと溢れ出した。
「ほう……! では、一口」
アークスが大きな一口を頬張る。
「…………ッ!!」
咀嚼するたびに、筋肉が喜ぶ音が聞こえるようだ。
疲れた体に、タンパク質と脂質が染み渡る。
「こりゃあ……美味いな!! 肉を食ってるって感じがするのに、いくらでも入るぞ!」
「えぇ、本当に美味しいですわ。ご飯が進みますね」
オニヒメも優雅に、しかしハイペースで食べている。
作戦は大成功だ。これでアークスのタンパク質摂取量は劇的に改善される。
「はい、リアンちゃんも。フーフーしたからね」
マーサが小さく切ったハンバーグを、リアンの口に運んでくれた。
「あーん、おいち!」
リアンは満面の笑みで咀嚼した。
脳内では、元三つ星シェフの厳しい審査が行われる。
(……うっま! ……まあまあだな)
味は合格点だ。
しかし、冷凍したことで肉の繊維がわずかに壊れ、ドリップ(解凍液)と共に旨味が少し逃げている。
焼きたての実演販売に比べると、家庭での再現度は80点といったところか。
(冷凍にしたから質は落ちたが、家庭料理としては十分だ。だが、毎日これじゃあ飽きられるな)
リアンは、ガツガツと食べる父の姿を見ながら、次なる一手を考えた。
(煮込みハンバーグ用の『デミグラスソース』、黒胡椒を効かせた『ペッパーハンバーグ』、それに『和風おろしソース』……。バリエーションは無限にある)
リアンはニヤリと笑った。
(あの猫のおっさんに、小出しにレシピを教えてやるとしよう。ルナハンの食卓は、俺が支配する)
「おかわり!」
アークスの元気な声が響く。
その健康な姿を見守りながら、リアンは「おいちー!」と声を上げ、自らプロデュースした肉料理を堪能するのだった。




