EP 16
ルナハンの街に、穏やかな昼下がりの陽射しが降り注ぐ。
アークスの負傷という一家の危機を(誰にも知られずに)救ったリアンは、今日も今日とて、最強のメイド・オニヒメが押す高級乳母車に揺られていた。
「今日は良い風が吹いていますね、リアン様」
オニヒメの微笑みに、リアンは「あーうー」と無邪気に返す。
だが、その心中は冷めた大人のものだった。
(……平和だ。親父もリハビリという名目で家でゴロゴロしてるし、魔獣の脅威も去った)
乳母車が街の広場、井戸のある共用スペースに差し掛かった時だった。
数人の主婦たちが、野菜の籠を片手に、何やら熱っぽく話し込んでいるのが耳に入った。
「ねぇ聞いた? 奥様。うちの旦那がね、騎士団の噂話を小耳に挟んだらしいのよ」
「まぁ、何ですの? オーク退治の話?」
「そうなのよ! なんでも、あの凶悪なオーク達を一瞬で全滅させた『謎のエルフ』が居るらしいって!」
ピクリ、とリアンの眉が動いた。
乳母車の幌の影で聞き耳を立てる。
「えぇっ!? エルフって、あの森の賢者!? しかも、姿を見せずに悪を討つ『影の守護者』ざますか!?」
「きゃあああ! 素敵ぃ!! エルフと言えば、金髪碧眼の美男美女と相場が決まってますわよねぇ!」
おばさん達の妄想列車が暴走を始めた。
「はぁ……是非、私をさらって欲しいですわ……。退屈な日常から連れ出して……」
「まぁ!? 奥様ったら大胆! でも分かりますわ! 私も、白馬に乗った麗しのエルフ様に『君を迎えに来た』なんて言われたら……きゃああああ!!」
頬を赤らめ、身をよじるオバサンたち。
その光景を冷ややかな目で見つめる1歳児(中身おっさん)が一人。
(……夢見がちなことで)
リアンは心の中で盛大にツッコミを入れた。
(残念だったな、オバサン達。その正体は、金髪の美青年じゃなくて、乳母車に乗った1歳児(俺)だ)
白馬?
ないない。あるのは、「竜のオモチャ」と、100均素材で改造した「人形」だけだ。
(それに……誰がオバサンを攫うんだよ。食費の無駄だ)
元経営者のシビアな視点で切り捨てる。
だが、リアンはふと考え直した。
(……待てよ? これは好都合じゃないか?)
「正体不明の暗殺者」や「不気味な人形使い」として噂になるより、「森の番人エルフ」の仕業だと思わせておけば、捜査の手は絶対に及ばない。
人間は、自分たちの理解を超える現象を「神」や「精霊」のせいにする癖がある。
(よし……。これからの俺の仕事は、全てその架空の『イケメンエルフ様』のせいにしよう。俺はただの、可愛い赤ん坊でいればいい)
完璧なスケープゴート(身代わり)を見つけたリアンは、とたんに気分が良くなった。
安心したら、腹が減った。いや、脳が糖分を欲している。
「あまっ! あまっ!」
リアンはオニヒメの袖を引っ張り、愛らしくねだった。
翻訳すると「甘いものが食いたい、連れて行け」である。
「はい、お坊ちゃま。……『あまっ』、つまり甘味をご所望ですね?」
さすがオニヒメ。1歳児の語彙から正確に意図を汲み取る。
「ふふ、丁度良いお店を知っておりますわ。参りましょう」
オニヒメは乳母車の方向を転換し、大通り沿いにある一軒の甘味処へと向かった。
甘味処『ハニー・ポット』
店内は甘い香りで満たされていた。
オニヒメはテラス席を選び、リアンを膝の上に乗せた。
「すみません、この『とろけるミルクプリン』を一つ。カラメルは別添えでお願いします」
「はいよー!」
運ばれてきたのは、ルナハン近郊の牧場のミルクをふんだんに使った、真っ白なプリン。
オニヒメがスプーンで掬い、リアンの口元へ運ぶ。
「はい、あーん」
パクッ。
(……!!)
リアンの目が輝いた。
濃厚なミルクのコク、それを邪魔しない絶妙な甘さの蜂蜜。そして、舌の上で解けるような滑らかな食感。
(美味い……! 卵の凝固温度を完璧に見切っている。ここのパティシエ、いい腕だ)
リアンは足をバタつかせ、「もっとくれ」と催促する。
その横を、先程の主婦たちが通り過ぎていった。
「やっぱりエルフ様は、霞を食べて生きてらっしゃるのかしら?」
「いいえ、きっと花の蜜と朝露ですわ……」
そんな会話を聞きながら、リアンは心の中で呟いた。
(残念。エルフ様(俺)の主食は、この濃厚ミルクプリンだ)
リアンは甘美なプリンを堪能しながら、この街での「二重生活」をさらに強固なものにしていくのだった。




