EP 8
深夜の子供部屋。
月明かりすら届かない布団の中で、青白い光だけが漏れていた。
リアン(1歳)は、震える手で『ネット通販』のウィンドウを展開していた。
その傍らでは、マグナギアの『弓丸』と『騎士丸』が、まるで神への捧げ物でも扱うかのように、恭しく一枚のコインを掲げている。
森で助けた猫耳族の商人、ニャングルから受け取った礼金――白金貨だ。
(頼む……桁が間違っていてくれ……!)
リアンが念じながら、「チャージ」のボタンを押す。
弓丸たちがコインを画面に投入すると、シュンッと光の粒子となって吸い込まれた。
【チャージ完了】
【現在残高:1,002,300円】
「ぶふっ!?」
リアンは思わずむせ返った。
イチ、ジュウ、ヒャク、セン……間違いない。百万だ。
銅貨拾いでコツコツ数百円を貯めていたのが馬鹿らしくなるほどの金額。
(ざ、残高100万超え……!? マジかよ、あの猫のおっさん!)
リアンは冷や汗をかいた。
白金貨は、庶民が一生で一度拝めるかどうかの代物だ。
(金貨と白金貨を間違えてないか!? もしかして夜分だったから、暗くて色が分からなかったんじゃ……?)
もし間違いなら、後で「返せ」と言われるかもしれない。
いや、それ以上に、「なぜ赤ん坊がそれを持っている?」と追求されたら終わりだ。
(……いや、あいつは商人だ。金の手触りを間違えるわけがない。ということは、あれは正当な報酬? 命の値段? ……怖えぇよ、金持ちの感覚!)
100万円という巨万の富(ベビー基準)を手に入れたものの、それが逆に重荷となり、リアンはその夜、ガタガタと震えながら眠りについた。
翌朝。
明るい陽射しが差し込むダイニングルーム。
「はい、リアン様。あーん」
オニヒメが銀のスプーンで、トロトロに煮込まれた離乳食を差し出す。
リアンはそれをパクリと口にした。
(ふむふむ……。林檎をベースに、濃厚なドラゴンミルクで仕上げたペーストか。砂糖は控えめで素材の甘みを活かしている。温度管理も完璧。美味いな)
元シェフの舌も唸る出来栄えだ。
リアンが満足げにモグモグしていると、オニヒメが手を動かしながら口を開いた。
「奥様、聞かれましたか? 今朝の新聞屋さんの話」
「なぁに? オニヒメ」
マーサが紅茶を飲みながら聞き返す。
「ゴルド商店の支店長、ニャングルさんが昨夜、森でゴブリンの群れに襲われたらしいんですの」
「えぇっ!?」
マーサが驚きの声を上げる。
リアンは心の中で「(やっぱりニュースになってるか)」と身構えた。
「なんでも、通りすがりの『黒い精霊』のような不思議な人形たちに助けられたとかで……興奮して街中で言いふらしているそうですわ」
(精霊扱いか……。正体がバレてないなら良かった)
リアンがホッとしていると、アークスが新聞を広げながら頷いた。
「そうなのか? まぁ、街の外は夜になるとルナハン騎士団の目も届き難いからな。商人が護衛もなしに歩くのは感心しないが……無事で何よりだ」
「えぇ、本当に。ニャングルさんには、この前この家の防犯グッズを揃えてもらったばかりだし……」
マーサは心配そうに眉を下げた。
彼女は元S級冒険者だが、義理堅く、慈愛に満ちた女性だ。
「ニャングルさん、大変な目に遭われたんですね。怪我はなかったのかしら……。私、お見舞いに伺うわ」
「うむ、そうしてくれマーサ。俺も騎士団の方で周辺の巡回を強化しておこう」
アークスが同意する。
ここまでは良かった。
だが、オニヒメがニッコリと微笑んで、爆弾を投下した。
「では、私もお付き合いしますわ。――ねぇ、リアン様?」
「!?(は?)」
リアンが動きを止める。
マーサもポンと手を打った。
「そうね! じゃあ、一緒に行きましょうね。リアンちゃんも、ずっと家の中じゃ退屈でしょうし」
「だぁ!?(え? 待て待て!)」
リアンは焦った。
ニャングルの所に行く? この俺(赤ん坊)を連れて?
(ま、まずい! それだけは絶対に不味い!)
リアンの外出には、必ず「お気に入りの玩具」として『センチネル(胡桃割り人形)』がセットで付いてくる。
さらに、乳母車の下には『弓丸』や『騎士丸』も隠されているのが常だ。
もし、ニャングルに会えば……。
「黒い精霊」を見た直後のニャングルが、リアンの持っている「胡桃割り人形」を見たら?
しかも、昨夜渡したはずの「白金貨」を持った赤ん坊(の家の者)だと知れたら?
『あれ? その人形、昨日の……?』
『それに、その乳母車に乗ってるの、あの時の弓を持った人形に似てまへんか?』
(――特定される! 100%バレる!)
「さぁ、リアン様。お着替えしましょうね。センチネルちゃんも一緒に連れて行ってあげましょう」
オニヒメは何も知らず、リアンを抱き上げ、センチネルを乳母車に乗せようとする。
「あー! あー!!(嫌だ! 行きたくない! 今日は引き籠もるんだぁぁぁ!)」
リアンは必死に抵抗したが、最強のメイドと母親の「善意の連係プレー」には敵わない。
数分後、綺麗なお出かけ用の服を着せられたリアンは、死刑台に向かうような顔で乳母車に乗せられていた。
(終わった……。どうかあの猫商人が、昨日の記憶を恐怖で忘れていますように……!)
懐の100万円の残高と、背中の冷や汗を感じながら、リアンはゴルド商店への道をドナドナされていくのだった。




