EP 7
深夜の森。
木々の間を縫うように、一人の男が疾走していた。
「助けておくんなましぃ~!! アカン、もうアカンでぇ~!!」
派手な商人の服を泥だらけにし、猫耳をペタンと伏せて逃げるのは、ゴルド商会ルナハン支店長、ニャングルだ。
彼の背後には、松明を持った数匹の小鬼――ゴブリンの集団が迫っていた。
「ギャギャ! カネ! ダセ! 人間、ウマそう!」
「追エ! 追エ!」
「何を言うとんのか!? ゴブリンが金なんぞ必要ないやろ!? 貯金して家でも建てるんかワレェ!?」
ニャングルは走りながら、足元の石を拾って投げつけた。
だが、石はゴブリンの硬い皮膚に当たってカーンと弾かれるだけ。逆に彼らの怒りを買う結果となった。
「ギャオオオン!!」
「ひぃぃぃ! すんまへん! 石投げたんは手が滑っただけやねん!」
ニャングルの特技『神速の逃走』をもってしても、夜の森という悪路では徐々に距離を詰められていく。
絶体絶命。
彼が死を覚悟したその時、頭上から風切り音が聞こえた。
上空を旋回する『竜丸』の背から、センチネル(リアン)は眼下の惨状を見下ろしていた。
『……ゴブリンか。数は5匹』
リアンは冷静に戦力分析を行う。
ゴブリンは最弱の魔物と言われるが、それは「武装した人間」にとっての話だ。
対してこちらは、全長30センチの人形。質量差、筋力差は歴然。まともに殴り合えば、一撃で粉砕される。
『だが……助けないわけにはいかないな』
逃げているのが猫耳族の男だというのもあるが、何より「魔物に襲われている人を無視する」のは、元A級冒険者の息子として、そして元シェフとしての矜持が許さない。
『作戦開始。……弓丸、降下準備』
竜丸が高度を下げる。
背中に乗っていた『弓丸』が、素早く『騎士丸』の背中にフック付きロープを連結し、自身は木の枝にロープを巻き付けた。
シュルルルッ……!
滑車を利用し、闇に紛れて二体の人形が地上へと降下していく。
「あぁ……ワイの命もコレまでなんやなぁ……」
ニャングルはついに木の根に躓き、転倒してしまった。
迫りくるゴブリンたちの涎まみれの顔。錆びたナイフ。
「もっと……もっと金貨の匂いを嗅いでみたかった……。あと、あそこの店の限定定食も食べたかった……」
走馬灯が駆け巡る。
ゴブリンがナイフを振り上げた、その瞬間。
ヒュンッ!
闇の中から何かが飛来し、ゴブリンの足元にバラバラと散らばった。
『……金貨の匂い? よく分からんが、こいつはどうだ?』
木陰から現れた弓丸が、バックパックの中身をぶちまけたのだ。
ネット通販で購入した事務用画鋲と、砕いたガラス片。
凶悪な**『撒菱フィールド』**の完成だ。
同時に、重装甲の『騎士丸』が茂みから飛び出した。
「!?」
騎士丸は恐れを知らぬ特攻で、先頭のゴブリンの足首に肉薄する。
その手には、チタン製の中華包丁型ブレード。
ザシュッ!!
「ギャギャッ!?」
アキレス腱を正確に切り裂かれたゴブリンが悲鳴を上げた。
騎士丸は追撃せず、即座にバックステップで距離を取る。
「ナンダ!? チビ! コロセ!」
怒り狂ったゴブリンたちが、チョロチョロと動く騎士丸を追って踏み出した。
「ギャッ!? ギャアアアア!!」
次々と上がる悲鳴。
彼らが踏み込んだ先は、弓丸が展開した撒菱エリアだった。
裸足同然のゴブリンの足裏に、鋭利な画鋲とガラスが容赦なく食い込む。
「イタイ! アシ! イタイ!」
ゴブリンたちが足を抱えて踊り狂う。
騎士丸はその隙間を、軽いジャンプで華麗に回避していく。自分の足場(安全地帯)を完全に把握している動きだ。
『よし! 制圧完了! 行け、竜丸!』
上空からセンチネルを乗せた竜丸が急降下してきた。
騎士丸と弓丸を磁石でカシャン! と回収すると、そのまま呆然としているニャングルの背中へと回り込む。
「え? え? な、何が起きとるんや?」
状況が理解できないニャングルの背中を、竜丸がグイグイと頭突きで押した。
『(何をボサッとしてやがる! 今のうちに逃げるんだよ、この猫商人が!)』
センチネルがペシペシとニャングルの尻を叩く。
「ひ、ひぇ~! わ、分かった! 逃げるでぇ!」
ニャングルは正気を取り戻した。
足の痛みで悶絶するゴブリンたちを尻目に、彼は再び『神速の逃走』を発動させた。
ルナハンの街の灯りが見える、街道の入り口。
ここまで来れば、衛兵もいるため安全だ。
ニャングルは膝に手をつき、荒い息を整えた。
「はぁ……はぁ……助かった……ホンマに死ぬか思うたわ……」
彼は振り返り、宙に浮く異様な集団を見た。
ドラゴンの模型に乗った、騎士と弓兵、そして指揮官らしき胡桃割り人形。
「に、人形……? お化けか、それとも精霊様の使いか?」
センチネル(リアン)は、無言で彼を一瞥した。
正体がバレるわけにはいかない。
『(よし、じゃあな)』
センチネルが竜丸の手綱を引き、森の方へ帰ろうとした。
「あっ! 待ち! 人形様! 待っておくんなまし!」
ニャングルが慌てて呼び止めた。
センチネルがピタリと止まる。
「ワイはゴルド商会のニャングルいいます! 命の恩人をタダで帰すわけにはいきまへん! これ、とってオクレヤス!」
ニャングルは懐の隠しポケット――最も厳重に守っていた場所――から、一枚の硬貨を取り出した。
月明かりの下で、それは白く、神々しい輝きを放っていた。
白金貨。
金貨100枚分。日本円にして約100万円相当の価値を持つ、超高額通貨だ。
センチネル(リアン)の目が点になった(ように見えた)。
『(ま、まじかよ!? は、白金貨!? ひゃ、100万円!?)』
リアンの脳内計算機が爆速で回転する。
銅貨拾い(100円)や、マグナギア賭博(数千円)とは次元が違う。
これがあれば、ネット通販で「アレ」も「コレ」も買える。何なら業務用のエスプレッソマシンすら射程圏内だ。
『(い、良いのかよ……? いや、商人が命の対価として出すんだ。受け取らないのは失礼だな!)』
センチネルは竜丸を旋回させ、ニャングルの手からスッと白金貨を受け取った。
その手つきは、少しだけ震えていたかもしれない。
「ありがとうございました! 人形様! この御恩は一生忘れまへんでぇ!」
ニャングルが深々と頭を下げる。
センチネルは、最後にビシッと敬礼を返すと、竜丸の推力を上げて夜空へと飛び去った。
闇に消えていく「黒い悪魔」の背中を見送りながら、ニャングルは呟いた。
「……あんな精巧な動き、ただのゴーレムやないで。それに、あの受け取り時の手つき……只者やない。『金を知っとる』奴の動きや」
ニャングルの猫耳がピクリと動く。
「フフ……ルナハンには、面白いモンが住んどるみたいやな。これは、商売の匂いがしよるでぇ」
100万円を手に入れたリアンと、強力なコネクション(と勘違い)を得たニャングル。
この夜の出会いが、後にルナハンの経済を揺るがす「最強の裏同盟」の始まりとなるのだった。




