EP 4
数日が経過した、ある静寂な深夜。
シンフォニア家の子供部屋は、密かな祝勝会の会場となっていた。
ベビーベッドの中で、リアン(1歳)は虚空に展開したウィンドウを見つめ、ニヤリと笑った。
(えぇっと……マグナギアの大会報酬と、公園での地道な銅貨拾い、それにアッシュ君からの臨時徴収で……)
右上の残高表示は【2,300円】。
日本円にすれば小学生のお小遣い程度だが、この世界の物価と、自由にならない赤ん坊の身の上を考えれば、莫大な軍資金だ。
(そろそろ……自分へのご褒美が欲しいよな)
リアンはウィンドウをスクロールさせた。
ずっと「お気に入り」に入れていた、あの商品。
(ポチっとな)
【購入:炭焼珈琲キャンディ(1袋) 100円】
シュンッ、という音と共に、黒光りする小袋がベッドの上に具現化した。
(よっしゃあ! コーヒーキャンディだ! 夢にまで見たカフェインだ!)
リアンは興奮に震えたが、自分の小さな手では袋を開ける音でオニヒメ(隣室で待機中)を起こしてしまうリスクがある。
(頼むぜ、相棒)
ベッドの下から、漆黒の機体『弓丸』が這い出てきた。
弓丸は器用な手つきで袋を開封し、個包装を音もなく破る。
中から現れたのは、黒く輝く宝石のような飴玉。
弓丸がそれを摘み、リアンの口へと運ぶ。
リアンは口を大きく開けて、それを迎え入れた。
「んむ……っ!?」
口に入れた瞬間、強烈な刺激が脳天を突き抜けた。
(に、苦えっ!! 1歳児の舌だからか!? 味覚が敏感すぎる!)
大人の味覚を持つ脳は「芳醇な香り」と認識しているのに、未発達な舌は「劇薬」だと警報を鳴らしている。
甘さよりも、炭焼き特有の苦味がダイレクトに刺さる。
(だが……旨い!)
リアンは口の中で飴を転がした。
じわりと広がる甘みと、鼻に抜ける香ばしさ。
それはまさしく、前世の厨房で愛飲していたコーヒーの面影だった。
母乳と離乳食(薄味)だけの世界で、唯一、自分が「青田優也」であることを思い出させてくれる味。
(幸せだぜぇ……。これだよ、この刺激が欲しかったんだ)
しばらく堪能した後、リアンは窒息防止のため、まだ残っている飴を泣く泣く吐き出し、弓丸に回収させた。
(隠せ。絶対にバレない場所へ)
弓丸は残りの袋と、食べかけの飴(ティッシュに包んだ)を持って、天井裏の点検口へと駆け上がった。
あそこなら、オニヒメも掃除のルーティンに入れない「聖域」だ。
リアンは口の中に残る余韻を楽しみながら、深い眠りについた。
翌朝。
爽やかな日差しが差し込むダイニングルーム。
「おはよう、リアンちゃん。昨日はよく眠れた?」
マーサがニコニコと笑いながら、リアンをベビーチェアから抱き上げた。
朝のスキンシップ、愛のハグだ。
「おはよう、リアン。今日も元気だな」
アークスも新聞を読みながら目を細める。
平和な朝の光景。……そのはずだった。
マーサがリアンの頬に顔を寄せた、その時。
彼女の鼻がヒクついた。
「…………ん?」
マーサの動きが止まる。
元S級冒険者の鋭敏な嗅覚が、愛する息子の口元から漂う「異臭」を感知した。
ミルクの匂いではない。果物の匂いでもない。
焦げたような、それでいて芳しい、大人の嗜好品の香り。
「何で……コーヒーの匂いがするの?」
室温が急激に下がった。
マーサがゆっくりと、アークスの方へ首を回した。その瞳からハイライトが消えている。
「貴方! リアンちゃんに何を食べさせたの!?」
「へっ!?」
アークスが新聞を取り落とした。
「まさか、貴方が飲んでるドワーフ製の濃縮コーヒーを舐めさせたんじゃないでしょうね!? カフェインは赤ちゃんの脳に毒なのよ!?」
「し、知らないよ母さん! 俺は知らない! 俺だってそんな危ないことするわけないだろ!?」
アークスは必死に否定した。事実、彼は無実だ。
だが、この家には「コーヒーを飲む男」はアークスしかいない。状況証拠は真っ黒だ。
「嘘をおっしゃい! この家でコーヒーの匂いがするのは貴方だけでしょ!?」
「だ、だから俺じゃないって! なぁ、オニヒメさんからも言ってくれよ!」
アークスが助けを求めるようにオニヒメを見た。
オニヒメは静かに紅茶を淹れていたが、スッと手を挙げた。
「奥様、お待ちを」
「ほら見ろ! オニヒメさんは分かってくれてる!」
アークスが安堵したのも束の間、オニヒメは無慈悲に続けた。
「旦那様への尋問(お仕置き)は、リアン様のお食事が終わってからになさいませ。教育に悪うございます」
「そっちかよぉぉぉ!!」
「もう知らない! 今日の夕飯は抜きよ!」
「そんなぁ!?」
理不尽に詰められる最強の騎士。
激怒する最強の賢者。
そして、我関せずと紅茶を注ぐ最強のメイド。
その中心で、リアンは「あーうー」と無邪気な声を上げながら、心の中で冷や汗を流していた。
(……悪いな、父さん。まさか残り香でバレるとは思わなかった)
アークスの悲劇を目の当たりにし、リアンは固く決意した。
(コーヒーキャンディは……自分で歯磨きができるようになって、完全な証拠隠滅が可能になるまで封印だ)
屋根裏の宝物は、しばらくお預け。
リアンは父の犠牲を無駄にしないよう、出された離乳食を神妙な顔で完食するのだった。




