EP 2
生後1年と数ヶ月。
リアン・シンフォニアは、最強のメイド・オニヒメによる鉄壁の包囲網を突破するための、ある作戦を実行に移した。
(真正面から挑んでも、あの鬼メイドには勝てない。ならば、心理戦だ)
リアンはベビーベッドの中で策を練った。
赤ん坊の最大の武器、それは「睡眠」だ。「寝る子は育つ」と言うが、寝ている赤ん坊を起こすことは重罪とされる。
(俺は「よく眠る子」になれば良い。そして、「寝ている時に触ると不機嫌になる」というルールをオニヒメに刷り込むんだ)
心地よい風が吹く午後。
オニヒメは、リアンを乗せた高級乳母車を押し、いつもの公園へやってきた。
「今日も天気が良いですね、リアン様。絶好のお散歩日和です」
オニヒメが微笑みかける。
リアンはそれに応えず、スッと目を閉じた。
規則正しい寝息を演出する。
「あら? もうお休みですか? リアン様」
オニヒメは足を止め、心配そうにリアンの顔を覗き込んだ。
その手が、リアンの掛け布団を直そうと伸びてくる。
(……来たな。ここだ!)
指先が触れそうになった瞬間。
「……ッ!! おぎゃあああああああ!!(触るな! 俺の安眠を妨げる奴は敵だぁぁぁ!!)」
リアンは火がついたように絶叫した。
ただ泣くだけではない。全身をバタつかせ、拒絶の意思を明確に示す。
「ひゃっ!? ま、まぁ! 申し訳ありません! お眠りの邪魔をしましたね!?」
オニヒメは慌てて手を引っ込めた。
普段は温厚なリアンがこれほど激しく泣くことに、彼女は動揺した。
「よしよし、もう触りませんよ。ねんね、ねんね……」
オニヒメが乳母車を優しく揺らすと、リアンはすぐに泣き止み、再び「スヤァ……」と深い眠り(演技)に入った。
(……ふん。学習したか)
これを数回繰り返せば、オニヒメは「寝ているリアン様には絶対に触れてはいけない」と学習する。
パブロフの犬ならぬ、パブロフの鬼だ。
「……ふぅ。やっと落ち着かれましたか」
オニヒメは安堵の息を吐き、木陰のベンチに腰を下ろした。
リアンが寝ている以上、彼女にできることは「見守り」だけだ。
彼女は懐から、一冊の文庫本を取り出した。タイトルは『公爵令嬢と冷徹騎士の契約結婚』。
「では、起きられるまで……少しだけ、心の栄養補給を……」
数分後。オニヒメの意識は、完全にロマンスの世界へと没入した。
ページをめくる手が止まらず、頬を染めてニヤニヤしている。
(よし……作戦成功。今だ!)
リアンは薄目を開けて状況を確認すると、足元の隠しスペースに手を伸ばした。
(弓丸、起動!)
精神を肉体から切り離し、黒い機体へとダイブする。
ガシャン。
乳母車の死角から、漆黒のマグナギア『弓丸』が音もなく着地した。
カーボンシートで覆われたボディは、草むらの影に溶け込む。
(へっへっ……。じゃあ、公園に遊びに行くか)
弓丸は地面を滑るように移動し、公園の中央広場へと向かった。
そこでは、数十人の子供や大人たちが集まり、熱気のある声が響いていた。
円形のフィールドの中で、複数の人形が入り乱れる「バトルロイヤル」が開催されている。
(おぅおぅ、盛況だな。……これだけ人がいたら、誰が俺を操ってるかなんて分かりゃしない)
通常、マグナギアは操縦者が近くでグローブを構えているものだ。
しかし、これだけの人混みだ。「遠くのベンチに座っている誰か」や「人垣の後ろにいる誰か」が操縦者だと、誰もが勝手に錯覚してくれる。
まさか、遠く離れた乳母車の中の赤ん坊が操っているとは夢にも思うまい。
弓丸は、堂々と受付のテーブルへと歩み寄った。
「ん? なんだこの黒い人形は?」
「また自律型か?」
審判役の男が怪訝な顔をする前で、弓丸はポケットから銅貨一枚を取り出した。
チャリン。
参加料の皿に、いい音をさせてコインを弾き入れる。
そして、無言のままフィールドの端に立ち、腕を組んだ。
「……参加希望か。いい度胸だ」
審判はニヤリと笑い、開始のホイッスルを口にくわえた。
フィールドには、重装甲の騎士型、棘だらけの獣型、そして魔法使い型など、自慢のカスタム機体がひしめき合っている。
それらを見回す弓丸の視界には、食材の鮮度を見極めるシェフのような分析データが走っていた。
(あの騎士型は関節が甘い。あの獣型は重心が高すぎる。……ふん、下拵えもなってない素材ばかりだ)
弓丸は背中のバックパックに手を回し、凶悪な「調理器具(武器)」の感触を確かめた。
(さて……狩りの始まりだ)
ピーッ!!
ホイッスルの音と共に、黒い悪魔が解き放たれた。




