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EP 2

転生初日。

銀座の三つ星レストランの厨房という戦場から、シンフォニア家の子供部屋という平和な場所へ。

環境の激変もさることながら、元・青田優也にとって最大の問題は、その肉体にあった。

(参ったなぁ……体が、鉛みたいに重い。いや、動かないんだ)

ベビーベッドの柵越しに見える天井。自分の意思で動かせるのは、視線と、せいぜい手足をバタつかせるところまで。

これが「赤ちゃん転生」というやつか。ラノベならチート能力で無双するところだが、現状の俺はただの無力な乳児だ。

冷静に状況分析をしようとして、ふと気まずい沈黙に気づく。

父、アークスが不思議そうに顔を覗き込んできた。

「おや? リアンは泣かないぞ? さっき産声を上げたきり、随分と静かだな」

母、マーサが不安げに眉を寄せる。

「本当ね……変ね。普通、赤ちゃんはずっと泣いているものよ。もしかして、どこか具合が悪いのかしら……病気?」

二人の顔に焦りの色が浮かぶ。

元・賢者であるマーサの手の平に、淡い治癒魔法の光が灯りかけた。

(まずい! 大人の思考のままだからって黙り込んでたら、逆に心配されるのか! 赤子は泣くのが仕事、泣くのが普通だ!)

俺は慌てて肺に空気を吸い込んだ。

プライド? 知ったことか。今は俺はリアン・シンフォニア、生後0日目だ!

「……ふっ、……ふぎゃあああああ!! あー! うあー!!」

渾身の力を込めて泣き叫ぶ。

三つ星レストランの厨房で「ウィ!(Yes)」と叫び続けて鍛えた腹式呼吸は、赤ん坊の体でも健在だった。部屋中に轟音が響き渡る。

「まぁ! 急に泣き出したわ! 貴方が余計な事を言うからよ、リアンちゃんがビックリしちゃったじゃないの!」

マーサが柳眉を逆立ててアークスを睨みつけた。

「す、すまないマーサ! 俺が悪かった! 泣くな、泣くなリアン、父さんはここにいるぞー」

アークスがオロオロと両手を振る。歴戦の騎士も、妻と我が子の前では形無しだ。

マーサは慣れた手つきで俺を抱き上げると、優しく背中をトントンと叩いた。温かい。そして、いい匂いがする。これが母のぬくもりというやつか。

「よしよし……どうしたのリアン。急に泣いて。……あら? もしかして」

マーサの手が、俺の腰回りに伸びた。

「お漏らしかしら?」

(っ!? 待て、やめろ! 確認するな!)

25歳の成人男性の理性が警報を鳴らす。

いくら体が赤ん坊でも、中身は簿記1級持ちのシェフだ。他人に、しかも母親(初対面)に下の世話をされる屈辱。

だが、抵抗しようにも手足はフニフニと空を切るだけだ。

「……あら、濡れてないわね。オムツは綺麗よ」

布オムツの中身を確認され、俺は心の中で顔を覆った。

(こんな屈辱があるかよ……。俺の尊厳はどこへ行った)

「じゃあ……お腹が空いたのね。おっぱいが欲しいのね」

マーサは微笑むと、服の胸元を寛げ始めた。

柔らかな膨らみが目の前に現れる。

(ちょっ、ま、……いや、赤ちゃんだから! これは食事! 栄養摂取だ!)

自分に必死に言い聞かせるが、抵抗する術はない。

それに、抗いがたい本能的な空腹感が、理性を凌駕していく。

俺は観念して、差し出された命の源に吸い付いた。

「んぐ……ちゅっ……」

口の中に広がる、温かく甘い液体。

と同時に、俺の中の「シェフ・優也」の分析回路が勝手に作動する。

(……ふむ。温度は体温と同等の36.5度前後。成分はタンパク質と脂質、糖質のバランスが完璧だ。コクがあるのに後味はスッキリしている。これが母乳……究極の完全栄養食か)

ち、畜生……。

悔しいが、今の俺にはこれしか摂取できない。そして、本能レベルで美味いと感じてしまう。

「あらあら、凄い勢いで飲むわねぇ。よっぽどお腹が空いていたのね」

マーサは慈愛に満ちた瞳で俺を見つめ、頭を撫でる。

その横で、アークスがニカッと白い歯を見せて笑った。

「ははは! いいぞリアン! いっぱい飲んで大きくなるんだぞ! そして俺と一緒に大剣を振り回そうなぁ!」

(……親父、気が早いよ)

俺は心の中でツッコミを入れつつ、栄養摂取を続けた。

屈辱も恥ずかしさも飲み込んで、まずは生き延びる。そして成長した暁には……。

(絶対、美味いコーヒーを飲んでやる……!)

俺、リアン・シンフォニアの異世界生活は、母の愛と父の親バカ、そして俺自身の葛藤と共に幕を開けたのだった。

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