EP 16
オニヒメがシンフォニア家にやってきて数日。
リアン(中身25歳)の生活環境は劇的に向上した……はずだった。
「坊ちゃま、オムツが少し濡れていますね。すぐに交換いたします」
「坊ちゃま、お顔にミルクが。拭きますね」
「坊ちゃま、退屈ですか? いないいないばあ、しましょうか?」
完璧だ。あまりにも完璧すぎる。
元A級冒険者の母・マーサですら家事と育児には「抜け」があったが、メイド検定1級のオニヒメには一切の隙がない。
(うん、オニヒメは可愛いよ。紅茶も美味いし、抱っこも心地いい……。だが……)
ベビーベッドの中で、リアンは天井を見つめて溜息をついた。
(四六時中、この完璧な監視体制下じゃ、センチネルと遊ぶことができねぇ……! これじゃあ、夜中にこっそり公園に行って銅貨拾いも、ネット通販で買い物を楽しむことも不可能だ)
かつての「放置されていた時間(自由時間)」が恋しい。これは嬉しい悲鳴というより、飼い殺しに近い状況だ。
そんなある日の昼下がり。
「坊ちゃま、今日はいいお天気ですね。公園へお散歩に参りましょうか」
オニヒメは慣れた手つきでリアンを高級乳母車に乗せた。
その足元には、リアンの「お気に入りの人形」として、胡桃割り人形の『センチネル』もしっかりと積まれている。
(はぁ……。今日もオニヒメの「甲斐甲斐しいお世話」コースか。隙がなさすぎて、センチネルを起動するタイミングがねぇな)
リアンは揺れる乳母車の中で、死んだ魚のような目で空を見ていた。
公園に到着すると、オニヒメは優雅に乳母車を押しながら園路を進む。
すれ違う人々が、可愛らしいメイド姿の彼女と、立派な乳母車を見て微笑ましそうに道を譲る。平和な光景だ。
だが、その平和は突如として破られた。
「あ! 待てよ! その人形!」
前方から、一人の少年が血相を変えて走ってきた。
見覚えのある顔。そして、マグナギア特有のコントローラーグローブを嵌めた手。
(やべぇ! あの時のガキ……アッシュだ!)
リアンは心の中で舌打ちした。
以前、野良マグナギア戦でセンチネル(リアン操作)がボコボコにして、銅貨を巻き上げた少年だ。
アッシュは乳母車の中のセンチネルを指差し、目を吊り上げた。
「間違いない! その胡桃割り人形! ……おい、オバサン! これはアンタの人形か!?」
時が、止まった。
公園の空気が一瞬で氷点下まで下がった気がした。
オニヒメが、乳母車を押す手を止めた。
彼女はゆっくりと首を傾げ、極上の営業スマイルを浮かべた。
「……なんですって? 今、なんと?」
「あぁ!? 聞こえなかったのかよオバサン! 答えろよ!」
アッシュは気づいていない。自分が虎の尾……いや、鬼のツノを踏んだことに。
「オバサン……? 私はピチピチの20歳ですけど?」
オニヒメのこめかみに、青筋がピキリと浮かぶ。
「婚活中」で「出会いがない」ことに悩む彼女にとって、年齢絡みの侮辱は禁句中の禁句だ。
「ちっ、うっせーな! 返せよ! 俺の銅貨!」
オニヒメは深呼吸を一つすると、無視を決め込んだ。
「行きましょうか、坊ちゃま。教育のなっていない野良犬が吠えているようですから」
「あ! 待て! クソッ! 負けっぱなしでいられるかよ!」
アッシュが懐から何かを取り出した。
それは、以前の戦士型より高価な、背中に翼を持った『グリフィン型(コスト2)』のマグナギアだった。
「行けぇ! 俺の小遣い3ヶ月分! リベンジだ!」
アッシュが魔力を込めると、グリフィン型が空へと舞い上がり、乳母車めがけて急降下を開始した。
狙いはセンチネルではない。乳母車そのものへの無差別攻撃だ。
(おいバカ! 中には俺(赤ん坊)がいるんだぞ!?)
リアンが焦った瞬間。
「……害虫駆除、開始」
オニヒメの目が据わった。
彼女の手が、腰の可愛らしい花柄ポーチへと伸びる。
ズオンッ!!
空間が歪むような重低音と共に、ポーチの口からあり得ない質量の物体が引き抜かれた。
全長2メートル。黒光りする棘鉄球のついた、凶悪極まりない金棒『粉砕丸』だ。
「なっ……!?」
アッシュが目を剥く。
「お客様、お掃除の邪魔です」
オニヒメは金棒を、まるで指揮棒のように軽く振った。
ゴガァッ!!!!
空中のグリフィン型が、金棒の側面で叩かれた。
「斬る」でも「突く」でもない。「粉砕」だ。
高価なドワーフ製の魔導模型は、一瞬にして鉄屑と木片の粒子となり、公園の風に乗ってキラキラと散っていった。
「あ……あぁ……! 俺の……小遣い貯めて買ったグリフィンが……!?」
アッシュがへなへなと膝をつく。
だが、オニヒメの「教育」はまだ終わっていなかった。
「人に向けて物を投げてはいけません。それに……」
オニヒメは金棒を肩に担ぎ、アッシュを見下ろした。
その背後には、般若の幻影が見えるようだ。
「レディに向かって『オバサン』とは、万死に値します」
ゴツンッ!!!
「ひぎゃああああ!?」
金棒の先端(棘のない部分)による、愛の拳骨。
アッシュの頭頂部に、見る見るうちに鏡餅のような巨大なたんこぶが隆起する。
「ひいいい! ごめんなさぁぁぁい!!」
アッシュは涙と鼻水を垂れ流し、脱兎の如く逃げ出した。
その背中は、二度とこの公園には近づかないであろう恐怖に満ちていた。
「ふぅ……」
オニヒメは金棒を一振りして埃を払うと、再び魔法ポーチへと収納した。
そして、髪の乱れを整え、何事もなかったかのように乳母車のハンドルを握った。
「大きな虫でしたねぇ。何だったのでしょう? さ、行きましょうか坊ちゃま」
ニコリと笑いかけるその笑顔は、聖母のように優しい。
(……オニヒメ、つええ……)
リアンは乳母車の中で震えた。
頼もしい。確かに頼もしい。
だが、同時に致命的な問題が発生した。
(あのアッシュのせいで、センチネルの存在が目立っちまった。それに、オニヒメがこんなに強いと、俺がセンチネルでコソコソ戦う余地がねぇ……!)
「あら? お人形が少しズレていますね」
オニヒメはセンチネルの位置を優しく直してくれた。
(くそっ……。これでセンチネルは、ますます「出し難い」存在になっちまったぞ)
最強のメイドに守られながら、リアンは自由への道が遠のいたことを悟り、遠い目をするのだった。




