EP 35
疑心暗鬼の夜
深夜の『第3演習場』。
冷たい風が吹きすさぶ岩山エリアで、Bチームの陣地は重苦しい沈黙に包まれていた。
ルナとキャルルの「捕虜(という名の生物兵器)」を抱え込んだ代償は、演習3日目にして最悪の形で表れていた。
食料は完全に底を突き、モブ生徒たちは水だけで飢えと寒さを凌いでいる。極限のストレスが、彼らの理性を少しずつ削り取っていた。
そこへ、闇の中からガサガサと足音が聞こえた。
「誰だ! 敵か!?」
見張りの生徒が、ふらつく足で剣を抜く。
「ま、待ってくれ! 俺だ、テオだ!」
両手を挙げて陣地に姿を現したのは、先ほど単独で偵察(泥棒)に向かった男爵令息のテオだった。
怪我一つない、無傷の姿で。
そしてその手には、布で包まれた「何か」が握られていた。
「テオ!? お前、今までどこに……って、その手にあるのはなんだ?」
「これか? これは……Aチームの陣地で、リアンから『もらってきた』んだ」
テオが布を開くと、中から現れたのは、硬い保存パンと、少しのチーズだった。
飢餓状態のモブ生徒たちの目が、ギラリと獣のように光った。
「く、食い物だ!!」
「おい! 俺にもよこせ!」
数人の生徒がテオに群がり、パンとチーズを奪い合うように貪り始めた。
「こら、君たち! 落ち着きたまえ!」
騒ぎを聞きつけたクラウスがテントから飛び出してきて、浅ましく食料を奪い合う生徒たちを制止した。
「クラウス様! テオが食い物を持って帰ってきました!」
「これで少しは腹の足しに……」
だが、咀嚼して少し冷静さを取り戻した生徒の一人――子爵令息のモブAが、ふとテオを睨みつけた。
「……おい、テオ。おかしくないか?」
「えっ……?」
「お前、『リアンからもらってきた』と言ったな。あの底意地の悪い効率厨の男爵が、敵である俺たちにタダで食料を恵むわけがない」
モブAの目が、猜疑心に濁っていく。
「それに、お前は敵陣に忍び込んだはずなのに、何故そんなに『無傷』なんだ? 服すら汚れていない。……まさか、お前」
周囲の生徒たちの動きがピタリと止まり、全員の冷たい視線がテオに突き刺さった。
「ち、違う! 誤解だ!」
テオは慌てて首を横に振った。
「俺は、Aチームの陣地で罠にかかって、リアンに捕まったんだ! そしたらあいつが、『実家の借金を肩代わりするから寝返れ』って……」
「借金の肩代わりだと!?」
「あぁ! でも俺は絶対に断った! そしたら、あいつは急に俺を解放して、これを持たせて帰したんだ! 本当だ、信じてくれ!」
テオは必死に弁明したが、それは飢えた人間に対して、あまりにも「都合が良すぎる」作り話に聞こえた。
「はっ! 借金の肩代わりを条件に出されて、断る貴族がいるかよ!」
モブAがテオの胸ぐらを掴んだ。
「お前、本当はリアンに寝返ったんだろ!? 俺たちの陣形や作戦を売った見返りに、その食料をもらったんじゃないのか!?」
「違う! 俺は……!」
「嘘をつけ! お前だけ向こうで、温かいスープでも腹いっぱい飲んできたんじゃないのか!? 俺たちがこんなに苦しんでるのによぉッ!!」
モブAの怒号に、他の生徒たちも同調し始めた。
「裏切り者!」「スパイめ!」「俺たちを見殺しにする気か!」
極限の飢餓状態が、彼らから「仲間を信じる」という余裕を完全に奪い去っていた。
「やめないか、君たち!!」
クラウスが間に割って入り、モブAをテオから引き剥がした。
「クラウス様! ですがこいつは……!」
「テオは、私の前で『騎士道に憧れている』と言ってくれた男だ! 彼は誇りを捨てて寝返るような真似は絶対にしない! 私は彼を信じる!」
クラウスの言葉は、真っ直ぐで、力強く、そして高潔だった。
テオは「クラウス様……!」と涙ぐんだ。
だが――。
(……綺麗事ばかり言いやがって)
モブ生徒たちの心の中には、冷たい不満が渦巻いていた。
クラウスは立派だ。だが、その立派さのせいで、ルナとキャルルという大食らいを保護し、結果としてチーム全員を飢餓地獄に突き落とした張本人でもある。
「腹が減っている」という絶対的な現実の前では、騎士道も信頼も、何の価値も持たなかった。
「……ふん。総大将がそう仰るなら、信じますよ。……表面上はな」
モブAは吐き捨てるように言い、他の生徒たちもテオから距離を置いた。
陣地の空気は、完全に冷え切っていた。
テオは孤立し、他の生徒たちも「他にも裏切り者がいるのでは?」と互いを疑いの目で見るようになった。
そこへ、騒ぎで目を覚ました二つの影が、テントからのっそりと現れた。
「ん〜? なんかチーズの匂いがする〜!★」
「あ、チーズ。もぐもぐ」
ルナとキャルルが、テオが持ち帰ったチーズの残りを、一瞬で口に放り込んだ。
「あ……俺たちの、最後の食料が……」
モブ生徒たちが絶望で膝から崩れ落ちる。
「……リアン。これが君の『戦い』なのか……!」
クラウスは夜空を仰ぎ、見えない敵に向かってギリッと歯を食いしばった。
肉体を傷つけることなく、たった数個のパンとチーズで、敵陣を内部から完全に破壊する。
リアンの放った「疑心暗鬼の毒」は、Bチームの結束を致命的に蝕んでいた。
一方、その頃。
Aチームの陣地では、勝利を確信した悪魔が、優雅にティータイムを楽しんでいた。




