EP 12
あれから数週間が経ち、リアンは生後3ヶ月を迎えようとしていた。
昼下がりのシンフォニア家。
窓からは柔らかな陽光が差し込み、平和そのものの時間が流れている。
「さぁて……。今日は父さんは騎士団の仕事、母さんは街へ買い出し。家に誰もいない」
ベビーベッドの中で、リアンはニヤリと笑った(赤ん坊なので愛らしい笑顔にしか見えないが)。
これぞ、待ちに待った「完全なる自由時間」だ。
両親がいる間は「理想の赤ん坊」を演じなければならないが、今は違う。
「思う存分、相棒(ネット通販)と遊べるな」
リアンは虚空にウィンドウを展開し、スワイプ操作を楽しんでいた。
残高は500円。買えるものは限られているが、カタログを見るだけでも楽しい。
「おっ、あった……『春日井の炭焼珈琲キャンディ』。一袋180円か。買えるな」
リアンの指が「購入」ボタンの上で止まる。
喉が鳴る。あのほろ苦さと甘さが恋しい。
「……だが待て。今の俺は生後数ヶ月。カフェインの致死量は? 肝機能の代謝は? ……下手すりゃ急性中毒で死ぬか、夜眠れなくなって母さんにバレるな」
元シェフの理性が、欲望にブレーキをかける。
赤ん坊の体というのは、実に不便だ。
「はぁ……。離乳食が始まるまで我慢か」
ウィンドウを閉じようとした、その時だった。
ミシッ……
一階のリビングの方から、床板がきしむ音が聞こえた。
(……ん? 母さんか? 帰りが早いな)
リアンは耳を澄ませた。
シンフォニア家は冒険者の家だ。防犯対策はしっかりしているが、家族なら普通に入ってくる。
ドスッ、ズリッ……
(……いや、違う!)
リアンの目つきが鋭くなる。
母さんの足音は、もっと軽やかでリズミカルだ。
父さんの足音は重いが、金属鎧のガチャガチャという音がするはずだ。
この音は、土足で慎重に、かつ無遠慮に歩き回る男の足音。
そして、呼吸が荒い。
(この足音は……母さんでも、父さんでもない!)
リアンは即座に行動を開始した。
恐怖はない。あるのは、自分のテリトリー(厨房)を荒らされた料理人の怒りに近い感情だ。
(センチネル、起動!)
リアンは意識を切り離し、ベッドの脇に待機させていた胡桃割り人形へとダイブした。
「……(状況開始)」
センチネル(リアン)は音もなく立ち上がると、クローゼットの下から愛刀――『100円果物ナイフ薙刀』を取り出し、背中に背負った。
部屋を出て、廊下を走る。
階段の手すりの上を、まるで平均台のように滑り降りていく。
木製の体は軽い。音も立てずに一階へと到達した。
(気配は……両親の寝室だ)
センチネルは壁にへばりつき、少しだけ開いたドアの隙間から中を覗き込んだ。
「へっへっ……やっぱり騎士様の家だ。いいモン置いてやがる」
そこには、薄汚れた革鎧を着た小男がいた。
男はあろうことか、マーサのドレッサー(化粧台)を勝手に開け、宝石箱を物色していた。
泥だらけのブーツが、マーサが毎日掃除しているカーペットを汚している。
「おっ、金のネックレスか? こりゃいい値がつくぞ」
男は下卑た笑いを浮かべ、マーサがアークスから貰った大切なネックレスをポケットにねじ込んだ。
プチッ。
センチネルの中で、何かが切れる音がした。
(泥棒かよ……。俺の家に土足で上がり込みやがって)
リアンにとって、家は城であり、厨房であり、聖域だ。
それを汚す害虫。
しかも、あのネックレスは母さんが「パパが初めての給料で買ってくれたのよ」と嬉しそうに見せてくれた宝物だ。
(ふざけやがって……。ただで帰れると思うなよ?)
センチネルは背中の薙刀を抜き放ち、構えた。
相手は大人。武器は短剣を持っているようだ。
対してこちらは、30センチの木製人形。
だが、リアンに迷いはなかった。
三つ星の厨房で培った度胸と、マグナギア戦で得た経験。そして何より、家族を守るという殺意。
(俺の家に来たことを、地獄の底で後悔させてやる)
センチネルの目が、無機質に、しかし確かに怒りの光を宿して輝いた。
小さな狩人が、今、獲物に襲いかかる。




