EP 27
雷光一閃、ライトニング・ブレイク
四方八方から殺到する緑色の波。
錆びた刃が、粗悪な棍棒が、飢えた牙が、クラウスの全身を切り刻まんとおぞましい音を立てて迫り来る。
「ギギャアアアアッ!!」
死の距離まで、あと数歩。
だが、クラウスの感覚は極限まで研ぎ澄まされ、周囲の風景がひどくゆっくりと動いているように見えた。
(……不思議だ。恐怖はない)
クラウスは静かに息を吐いた。
心臓の鼓動が、驚くほど冷徹にリズムを刻んでいる。
実技テストでリアンのマウントパンチを顔面スレスレで止められた時の、あの「死の底冷え」に比べれば、魔物どもの殺気など酷く単調で浅薄だった。
(ボブ先生は言った。『正面から勝てる術』を身に着けろ、と。……あぁ、そうだ。僕にはこれしかない)
リアンのように機転を利かせて敵を出し抜く器用さは、僕にはない。
ならば、真正面から全てを粉砕するだけの「理不尽なまでの武」を極めるのみ。
クラウスの体内で、枯渇しかけていたはずの魔力が、生存本能と結びついて爆発的に膨れ上がった。
「……雷の精霊よ」
クラウスは剣を上段に構えた。
彼の家系、アルヴィン侯爵家に代々伝わる『雷』の適性。
普段は剣の軌道を速めるための補助としてしか使っていなかったそれを、彼は今、己の闘気と完全に融合させようとしていた。
「我が剣に宿り、邪悪を討つ光となれ」
バチッ……バチバチバチッ!!
クラウスの練習用の鉄剣が、青白い雷光を帯びて激しく明滅し始めた。
許容量を超えた魔力が剣身を焼き、高周波の耳障りな音が森に響き渡る。
「ギ、ギガッ!?」
その尋常ではない魔力の高まりに、ホブゴブリンたちが本能的な恐怖を覚え、動きを止めた。
だが、遅い。
クラウスは、大きく踏み込んだ。
「吹き飛べッ!!」
上段から振り下ろされた剣。
それはもはや斬撃ではなかった。
剣身から溢れ出した莫大な雷の魔力と闘気が混ざり合い、巨大な『光の刃』となって全方位へ放射されたのだ。
「『王宮流・雷光断』!!!」
カッ――!!
嘆きの森の深部が、真昼のように白く染まった。
次の瞬間、鼓膜を破るような轟雷の音が炸裂する。
ドゴォォォォォォンッ!!
「ギャアアアアアアアッ!?」
放たれた青白い雷の斬撃波が、周囲の空間ごとホブゴブリンの群れを薙ぎ払った。
直撃を受けた個体は一瞬で炭化し、余波に巻き込まれた者たちも、強烈な電撃によって神経を焼かれ、黒焦げになって吹き飛んでいく。
木々がへし折れ、大地が焦げ付く。
数秒前までクラウスを囲んでいた二十体近い魔物の群れは、一瞬にして全滅した。
「ハァッ……! ハァッ……!」
土煙が晴れた後、そこに立っていたのは、全身から薄く煙を上げるクラウスただ一人。
手にした鉄剣は、高熱に耐えきれずにドロドロに溶け落ちていた。
「……やった、のか」
クラウスが膝をつきそうになった、その時。
「グ、ゴォォォォォッ!!」
黒焦げになった屍の山から、巨体が立ち上がった。
全身に重度の火傷を負いながらも、分厚い鉄鎧のおかげで致命傷を免れた『ホブゴブリン・リーダー』だ。
リーダーは憎悪に満ちた血走った目でクラウスを睨みつけ、巨大な鉈を振りかぶって突進してきた。
「ギギャァァァッ!!」
(……しまっ、武器が……!)
クラウスの手には、もはや柄しか残っていない。
避ける体力も残されていない。
万事休すか。
だが、クラウスの瞳の光は死んでいなかった。
(……リアンなら、ここでどうする?)
脳裏に、あの底意地の悪い男爵の顔が浮かぶ。
奴なら、迷わず泥を啜る。使えるものは何でも使う。
クラウスは、柄をかなぐり捨てた。
そして、迫り来るリーダーの鉈を――素手で白刃取りするのではなく、半歩踏み込んで、その『顔面』に向けて自分の手甲を思い切り投げつけた。
「ガァッ!?」
金属の塊が顔面に直撃し、リーダーの動きが一瞬止まる。
リアンが使った『鞘投げ』のデッドコピー。
「……そこだッ!!」
その一瞬の隙。
クラウスは、地面に落ちていたホブゴブリンの粗悪な槍を蹴り上げ、空中で掴み取ると、全体重を乗せてリーダーの喉元へ突き出した。
ズブッ!!
「ゴ、ボッ……」
錆びた槍の穂先が、鎧の隙間である首を深々と貫通した。
リーダーは信じられないという顔でクラウスを見下ろし、そのまま巨大な倒木のように、ズシンと仰向けに倒れ伏した。
「…………」
静寂。
今度こそ、本当に終わった。
「……ははっ」
クラウスは槍から手を離し、その場に仰向けに倒れ込んだ。
空を覆う厚い雲の隙間から、一筋の光が差し込んでいる。
全身が痛い。泥と血で最悪の気分だ。
剣も失い、無様な戦い方をしてしまった。
だが、彼の顔には、清々しい笑みが浮かんでいた。
「……勝ったぞ、リアン。……僕一人で」
孤高の剣士は、泥に塗れながらも、確かに己の殻を破った。
ホブゴブリンの大群とリーダーの討伐。
ポイント換算すれば、一人で数十ポイントは稼いだ大戦果だ。
だが、彼がこの後、誇り高く獲物の首を持ち帰った集合場所で、さらなる胸糞悪い事件が待ち受けていることを、クラウスはまだ知らない。
そして同じ頃。
水浴びを終えたリアンたちが戻ってきたオーガの討伐現場では、空の弁当箱を見た時のように、リアンが静かにブチギレていた。




