EP 22
甘い誘惑と高潔なる拒絶
『嘆きの森』、浅層エリア。
鬱蒼と茂る木々の間を、一人の少年が警戒しながら進んでいた。
「ふっ!」
鋭い剣閃が走る。
草むらから飛び出してきた小鬼の首が、一撃で宙を舞った。
「……遅いな」
クラウス・アルヴィンは、剣についた血糊を払い、静かに鞘に納めた。
彼の足元には、すでに数体のゴブリンが転がっている。
教科書通りの、無駄のない剣捌き。
入学以来、リアンという規格外の存在に振り回され続けてきたが、やはり腐っても侯爵家の麒麟児。その実力はS組の中でも頭一つ抜けていた。
(ボブ先生は『手段は問わない』と言った。……だが、それは『生き残るため』の方便だ。騎士たるもの、己の力のみで結果を出してこそ意味がある)
クラウスは汗を拭い、さらに森の奥へと進もうとした。
「おや? クラウス様ではありませんか!」
横合いから、媚びるような声がかかった。
振り返ると、そこには数人の男子生徒たちが立っていた。
中心にいるのは、先日のトーナメントでリアンに瞬殺された男爵令息、ランドルフだ。
「……ランドルフか。何だ、徒党を組んで狩りか?」
クラウスは眉をひそめた。
彼らの装備はあまり汚れていない。汗もかいていない。
まるでピクニックにでも来たかのような余裕がある。
「えぇ、まあ。……ところでクラウス様、戦果はいかがです?」
「ゴブリン数匹だ。まだこれからだな」
「ほほう! それは奇遇ですね。我々は……少々『大物』が獲れましてね」
ランドルフはニヤリと笑い、手招きをした。
茂みの奥から、屈強な男たちが数人現れた。彼らは生徒ではない。武装した大人の傭兵――ランドルフの実家が雇った『私兵』たちだ。
そして、彼らが引きずってきたものを見て、クラウスは目を見開いた。
「なっ……ホブゴブリン!? それに、あれは……!」
そこには、中級魔物であるホブゴブリンの死体が数体と、さらに希少な素材を持つ魔獣の山が築かれていた。
これだけで数百ポイントにはなるだろう。
「ど、どうやってこれほどの数を……?」
「簡単ですよ。我が家の優秀な家来たちに、事前に狩らせておいたのです」
ランドルフは扇子を広げ、高笑いした。
「ルールは『手段を問わない』。つまり、家の財力とコネを使って『成果』を用意するのも、貴族の実力のうち……ということでしてね」
「……なんだと?」
クラウスの声色が低くなった。
「さて、ここからが本題です。クラウス様」
ランドルフはホブゴブリンの死体を指差した。
「この獲物の半分……いや、一番良いところを、貴方様に差し上げましょう」
「……は?」
「次期侯爵である貴方様に、恥をかかせるわけにはいきませんからね。これを提出すれば、貴方様は楽してトップの成績。我々は『クラウス様に協力した』という名誉が得られる。……悪い話ではないでしょう?」
買収。
いや、もっとタチの悪い共犯の誘いだ。
ランドルフたちは、自分たちの不正を正当化するために、クラスで最も発言力のあるクラウスを巻き込もうとしているのだ。
「さぁ、どうぞ。遠慮なく……」
ランドルフがホブゴブリンの首を差し出した、その瞬間。
バヂィンッ!!
乾いた音が森に響いた。
クラウスが、ランドルフの手を強烈に払い除けたのだ。
「……ふ、ふざけるなッ!!」
クラウスの怒号が轟いた。
その瞳には、侮蔑と激しい怒りの炎が燃え盛っていた。
「く、クラウス様……!?」
「僕を侮辱する気か! 貴様らは、騎士として……いや、人として恥ずかしくないのか! 他人が命懸けで狩った獲物を、自分の手柄だと偽って提出する……それが貴族のすることか!」
クラウスは剣の柄に手をかけ、一歩踏み出した。
殺気すら漂うその迫力に、私兵たちが慌ててランドルフを庇うように構える。
「金で買った点数になんの価値がある! 家の力で得た地位になんの意味がある! 僕は……僕はそんな薄汚い真似をしてまで、一番になどなりたくない!」
クラウスは吐き捨てるように言った。
「失せろ! 二度と僕の前にその汚らわしい顔を見せるな! ……次に見かけたら、魔物と見なして斬り捨てるぞ!」
「ひっ……!」
ランドルフは顔を引きつらせた。
予想外の拒絶。しかも、完全なる軽蔑。
「……ちっ! 偉そうに! 後で泣きを見ても知りませんよ!」
ランドルフたちは捨て台詞を吐き、慌てて逃げ去っていった。
森に静寂が戻る。
残されたのは、怒りで肩を震わせるクラウス一人だけだった。
「……はぁ、はぁ……」
クラウスは剣から手を離し、深呼吸をした。
これで、完全に孤立した。
他の生徒たちは徒党を組み、不正をしてでも高得点を狙ってくるだろう。
単独行、かつ正攻法のクラウスは、圧倒的に不利だ。
「……だが、これでいい」
クラウスは顔を上げた。
その瞳に迷いはない。
「見ていろ、リアン。……君なら、きっと鼻で笑うだろうが……これが僕の『正道』だ」
クラウスは背筋を伸ばし、あえて困難な道を選んだ。
彼は一人、森の深部――より強力な魔物が潜むエリアへと足を踏み入れた。
そこで待ち受ける死闘が、彼を本当の「騎士」へと覚醒させることになるとも知らずに。




