EP 11
深夜のルナハン。
シンフォニア家の庭を、小さな影が疾走していた。
(よしよし……。父さん達の寝室からは、親父のドラゴンのようなイビキが聞こえる。母さんの寝息も規則正しい。完全犯罪成立だ)
センチネル(リアン)は、音もなく外壁をよじ登り、少し開いた窓の隙間から子供部屋へと滑り込んだ。
薙刀をクローゼットの下に隠し、ベビーベッドの柵を乗り越え、本体の横にちょこんと座る。
(任務完了。報酬も手に入った。……戻るぞ)
リアンは精神のスイッチを切り替えた。
フワリという浮遊感と共に、木製の体から意識が抜け、重く温かい肉体へと吸い込まれていく。
「……んっ」
ベビーベッドの中で、リアンが目を開けた。
手足の感覚が戻る。やはり生身の体は重くて不便だが、安心感はある。
(さて、収支決算だ)
リアンはセンチネルに指示を出し、ポケットから銅貨2枚を取り出させた。
そして、虚空にネット通販ウィンドウを展開する。
(チャージ!)
シュンッ。
銅貨が光となって消え、残高表示が更新された。
【残高:500円】
(500円か……。ワンコイン。牛丼なら大盛りが食えるが、世界を変えるにはまだ足りないな)
リアンは天井を見上げながら、これからの事業計画を脳内で組み立てた。
(ま、赤子の俺が元手を稼ぐ手段として、マグナギア賭博は使える。アッシュとかいう小僧から巻き上げたように、勝率は高い)
しかし、問題は「機体性能」だ。
(センチネルの強化案を考えないと……。所詮は胡桃割り人形、木製だ。薙刀で武装したとはいえ、相手が金属製の重量級や、火炎魔法を使うタイプだったら一発で燃やされて終わりだ)
今日の勝利は、相手が子供で、かつ不意打ちだったから拾えたもの。
ガチの改造マニアや、大人のギャンブラー相手では、木製ボディの耐久値(HP)が低すぎる。
(それに……もしセンチネルが粉々に破壊されたら? 俺の精神はどうなる? 強制送還か、それともダメージにフィードバックがあるのか? ……リスクが高すぎる)
リアンは横に座るセンチネルを見た。愛着はあるが、限界も見える。
(俺も……本格的なマグナギアの素体が欲しいな。ドワーフ製の頑丈なやつか、あるいはネット通販でタミヤの工作セットでも買って自作するか……)
思考がヒートアップしそうになった時、リアンはふと冷静になった。
(……待てよ?)
静まり返った子供部屋。
時計の針は深夜2時を回っている。
(俺、この一週間、夜中に一度も泣いてないよな?)
先週の「昏睡事件」で、母マーサは神経過敏になっている。
そんな中、赤ん坊が夜泣きもせず、朝までぐっすり(実際は幽体離脱して遊び回っているが)というのは……。
(不自然だ。あまりに「良い子」すぎる。……逆に怪しまれるぞ)
「うちの子、夜泣きしないの。もしかしてどこか体に異常が……?」なんて思われたら、また病院送りか、最悪の場合、高位の神官を呼ばれて「悪霊憑き(中身が25歳)」がバレる可能性だってある。
(うーん……。仕方ない)
リアンは決意した。
これも「完璧な赤ん坊」を演じるための仕事だ。アリバイ工作だ。
(腹に力を入れて……)
「あ、ああん……ぎゃあああああん!!」
静寂を切り裂く、渾身の嘘泣き。
そして、ダメ押しの一撃。
(……ふんっ!)
ブリュリュリュ……
(…………よし、出た。完璧な排泄だ)
シェフとしての尊厳をトイレに流すような行為だが、背に腹は代えられない。
バンッ!!
直後、子供部屋のドアが勢いよく開いた。
「リアンちゃん!? どうしたの!?」
マーサが風のような速さで飛び込んできた。
寝間着姿だが、その動きに寝ぼけた様子はない。さすが元A級。
「よしよし、どうしたの~? 怖い夢でも見たの~?」
マーサはリアンを抱き上げ、慣れた手つきでオムツの中を確認した。
「あら、うんちね。お漏らししちゃったの? 仕方ないわねぇ~、偉いわねぇ、ちゃんと出て~」
マーサの声は弾んでいた。
「夜泣きをして、排泄をする」。その当たり前の生命活動が、彼女にとっては「リアンが元気に生きている証拠」として安心材料になるのだ。
(……計算通りだ。これで母さんの警戒レベルは下がる)
テキパキとオムツが交換され、お尻が拭かれる。
気持ち悪い感覚が消え、さっぱりとする。
だが、リアンの心には、冷たい風が吹いていた。
(……虚無だ)
数分前まで、薙刀を振るって敵を倒し、賞金を稼ぐハードボイルドな戦士だった男が。
今は、母親にお尻を拭かれ、「いい子いい子」されている。
「はい、綺麗になったわよ~。おやすみ、リアンちゃん」
マーサはリアンのおでこにキスをし、満足そうに部屋を出て行った。
(……はぁ)
リアンは天井を見つめた。
横では、センチネルが無言で佇んでいる。
(早く大きくなりてぇ……。そして、誰にも邪魔されずにコーヒーを飲むんだ……)
500円の残高と、新しいオムツの感触を噛み締めながら、リアンはふて寝するのだった。




