9 さようならエリオット
寮の前、エリオットは待っていた。
「ビビアン」
「エリオット、ブラッドから全部聞いたわ」
「そうか、じゃあ——」
「嘘はもういいの。ダイアナさんの責任ちゃんと取って、幸せにしてあげて」
エリオットは舌打ちした。
「ブラッド、使えないなあ。僕のビビアンは、ちょっと抜けてて、すごく可愛い婚約者だったのに……なんで変わってしまったんだよ。前のビビアンを、僕は最高に愛してたのに」
……それは、あなたにとって都合が良かっただけ。
わたしが何も知らないで、盲目的に愛して、ただ信じたから。そういうの、愛って呼ばない。
あの1年、勉強とか、苦しかったけど、学園に来てよかった。
ずっと知らないままだったら、ずっと不幸なままだった。
「もう一度言うわ。貴方は責任を取るべきだし、わたしは婚約の破棄をカラント伯爵家に訴えるつもり」
「……ひどいこと言うね、ビビアン」
「さようなら、エリオット」
彼の横をすっと通り過ぎた。胸の痛みがこみ上げたけど、それはたぶん失恋のせいじゃない。
わたしは、彼のうわべの優しさや、うまく並べられた言葉に、恋してたんだと思う。
でも今は、後悔で胸がつぶれそう。
*
ブラッドは「全部引き受ける」って言ったけど、婚約をやめるなら、真実を両親に伝えなきゃいけない。
だけど――
「エリオットは一回、死にかけた」
あのときのブラッドの言葉を思い返すと、わたし、まだ迷ってる。
便せんの前で時間は止まり、夜だけが更けていった。
*
次の日のお昼は、こっそり一人で。
誰も声をかけてこなかった。なんだか透明になったみたいで楽だった。
エリオットも、ダイアナも、どこかに消えてた。
あの三人、どうなったのかな。
──結局、手紙は書けなかった。
「半殺し」とか「死にかけた」とか、ひっかかってて。
婚約破棄、もっと穏便に、きれいにできないかな──って考えてたら、寝てた。
*
放課後。いつものように図書室へ足が向く。
習慣って、怖い。
いつもの席に座って、ノート開いて、待ってた。
──バカみたい。来るはずないのに。
机に顔を伏せてたら、声が落ちてきた。
「ビビアン」
顔をあげたら、銀縁眼鏡のブラッドがいた。
*
わたしは立ち上がって、彼の前髪を後ろに撫でた。
「傷があるわ」
「ああ、調子はどう?」
「今日は最悪だったの」
彼は「クスッ」と笑いながら、机上にテストの過去問を置いた。
「約束だったから」
「……助かるわ」
彼がわたしの前に座ったとき、嬉しくて、でも胸がチクンとした。
「また、勉強……見てくれるの?」
「その前に。ダイアナのことだけど」
「……聞きたくないな」
「子どもは、嘘だった。あれから脅しをかけたら、すぐ白状した」
「ええ、なんでそんな嘘を?」
「エリオットが、提案したらしい」
「……最低」
エリオットのこと、ちょっとも信用できない。
計算して、人に甘えて、責任は押しつける。それが、彼のやり方。
困った状況を、ブラッドなら協力してくれると思ったんだ。
「なんで、エリオットに協力したの?」
「弟……だから」
「過去にエリオットと、何があったの?」
「いろいろね」
「そっか」
気になるけど、しつこいとまた嫌われちゃうな、うん。
「でもね、わたし婚約は破棄したい。まだ両親には知らせてないけど」
「エリオットは、そう思ってないよ。まだ君が、自分に惚れてると思ってる」
「信じられない……不潔」
子どものこと……嘘でも、ダイアナとそういう関係だった。
「穏便に終わらせるには、どうしたらいいと思う?」
「君のご両親に知らせる。それが一番だよ。俺が証人になる」
「……大丈夫? 破棄したら、伯爵に殴られたりしない?」
「もう子どもじゃないから。殴られても、黙ってはいないよ」
えーー、殴られるんだ……
*
勉強に集中すること。
両親に手紙を書くこと。
エリオットには注意すること。
ブラッドは、それだけ言って、過去問を開いた。
そのようすを、ぼんやり見ていたら、
「聞いてる?」って、
メガネをクイッとあげる、そのしぐさ。
――ああ、やっぱりわたし、ブラッドが好きだなって思った。
わたしを、嫌いじゃないって……すこしだけ期待しても、いいかな?
ふと、まだ*記憶喪失*の嘘をついたままだと、今更気が付いた。
読んで頂いて有難うございました。