8 もう無理!
勉強が終わって席を立つと、
「実はビビアンを、騙していたんだ」
唐突に、彼が言った。
「僕はエリオットなんだよ。……君の本当の婚約者なんだ」
──うん、知ってた。
「ブラッドに頼まれてたんだ。君が倒れた日から、入れ替わって、ずっと僕が君の傍にいた」
──なるほど、そうきたか。
「怪我をさせたのが自分だから、でも優しくできないから『代わりに償って』とブラッドが」
「……そうなの?」
「ブラッドは、君のこと、大嫌いなんだ」
その言葉、すとんって心に落ちた。
重たくて、残酷。
「……なんで? 私、何かした?」
「おバカさんは嫌いなんだって。兄はプライドが高いから」
……そういうふうに、見下されてたんだ。
馬鹿だから、簡単に騙されるって、そう思ってたんだ。
「二人とも、酷い……。記憶のない私の気持ちを、弄んだのね」
「違うんだ、君は、僕を……エリオットを愛してたんだ。思い出してよ!」
「無理よ。過去のわたし、もう、どこかへいっちゃったの。
わたしね、嘘が一番嫌いなの」
あーあ、どの口が言ってるんだか。でも、言ってやった。
「じゃあ、本物のブラッドが……ダイアナの恋人なのね?」
「そうだよ。僕が愛するのはビビアンだけだ」
嘘つき。
双子ってこと、こんな風に利用するのね。
「驚くかもしれないけど、ダイアナのお腹には、ブラッドの子どもがいるんだよ」
「はぁああぁ?」
「全く、酷いはなしだよね。あはは」
そのとき、司書さんに「お静かに」って怒られたけど、それどころじゃない。
子どもって……
ブラッドの……じゃなくて、エリオットの……
ああ、もう無理!!
「エリオット! 婚約は破棄よ! もう、こんなの、たくさん!」
私は叫んで、図書室から飛び出した。
「ビビアン!」
エリオットが追いかけてきた。
腕をつかまれて、でも、**パシッ**って叩いた。
──この人、最低。
「大っ嫌い」
言い捨てて、走った。
走って、走って、やっと息が整うと、はっきりわかった。
わたし、嘘をついた。
でも、その嘘が、真実を連れてきた。
早く、ブラッドさまに会わなきゃ。
*
校舎の中、いちばん西の教室。
2年生の、窓側。
ダイアナと、ブラッドが向かい合っていた。
いやな予感。
「ブラッド!」
ふたりが同時に、こちらを見た。
「エリオットから、話は聞いたか?」
「ええ。ずっと私の隣にいたのが、貴方じゃなくて、エリオットだったって」
「……そうだ。俺は、エリオットを──」
「演じてた? チッチッ、騙されないわよ」
「記憶、戻ったのか?」
わたしはブラッドの腕に触れた。
「ううん。でも分かるの。わたしの婚約者は……ブラッド、あなたよ」
決めた。
この嘘だけは、最後までつき通す。
「それは違う」
「ブラッド、本当のことを言って。わたしが嫌い? ダイアナが恋人なの?」
「そ、そうよ! ブラッドは私の恋人よ!」
ああ、やっぱり。
ダイアナもエリオットと同じ世界の人。
「違うよね? 子どもの父親はエリオットでしょう? なんでブラッドに押し付けるの? 私の婚約者なのに」
もう、後には引けない。
「きっちり責任を取ってもらうわ。ダイアナの責任はエリオット。わたしは、ブラッド、あなたに取ってもらうから」
「ビビアン、落ち着いて聞いてくれ」
「エリオットが責任なんて取るはずない。あの人、あなたの家に婿入りするんでしょ?」
ダイアナの高い声が響く。
「もし、エリオットがわたしの婚約者だとしたら、婚約は破棄するわ。彼は責任を取るべきよ」
「私は、結婚したいわけじゃないの。ただ、伯爵家に面倒を見てもらいたいだけ」
愛人志望ってことね! 図々しい。
「婚約破棄? 本気か?」
驚いたブラッドの声。
「当たり前よ。そんなに恋愛脳じゃないから。契約は契約。慰謝料も、契約金も、ちゃんと請求するつもり」
「……そうか。その方が君は幸せになる」
「そう決心させたのは、あなたよ。わたしのこと嫌いだって分かってる。でも、私は、あなたが好き」
「……ああ。最初は、嫌いだった。でも今は……ちがうよ」
思い切って告白したのに、そんな言い方、切ない。
それからブラッドは、わたしの手をそっと離すと、ダイアナに向き直った。
「父の伯爵は、恐ろしい人だ。この婚約を壊した君も、きっと容赦されない。半殺しの覚悟をしておくんだな」
「は、半殺し……?」
ダイアナの顔が、白くなっていく。
「エリオットが死にかけたとき、俺にも責任があった。だから今回、全部引き受ける」
兄弟で過去に何かあったのね。双子なのに、言葉の重みが全然違う。
「お、脅してるのよね? 私、平気よ!」
「俺は、伯爵の血を引いてる。それを思うだけで怖いんだ。ああなりたくない。だから、ずっと一人でいようと思ってた。でも……もし子どもがエリオットの子なら、俺が養子にして育てるよ」
16歳なのに、すごいと思った。
ちゃんと、大人の覚悟だった。
でも……
「それって、わたし、ブラッドにフラれたってこと?」
ブラッドは目を伏せて、言った。
「今度は、俺の番だ。過去を終わらせる。親父に殴られて、弟とはそれで帳消しだ」
なにそれ。意味わかんないけど、でも、なんか分かる。
「……わたしは失礼するわ。両親に報告の手紙、書かないと」
「すまなかった、ビビアン。次は、ちゃんとした男を選んでくれ」
「余計なお世話よ」
わたしは背を向けた。
その瞬間、舞台の幕が下りた。
苦くて、
あっけなく。
読んで頂いて有難うございました。