第一話 オーマイガーが叫べない/まあいいじゃん・4
「要するに、本来は人それぞれなカラーを、みーんなまとめて一つの色に染めちゃうわけっすね」
「そうだね。より正確に言えば、それぞれのカラーというパターンに人それぞれ分けられるのを、全く同じ一つのカラーに分けてしまうわけだね」
「それがみんな同じになると世界が終わるっていうのは、なんか、もうちょっと具体的に」
「いろんな人がいるのが世界であり、社会だ。だからその大前提が崩れるわけだ」
「そうなるとどうなるんでしょう」
「あるいはそれはそれで新世界が誕生するのかもしれないけれど、それをおれたちは止めなければならない」
「なぜ?」
「おれがそうしたいからさ」
まあいいじゃん、とまとめてしまえば、それ以上余計なことを考えずに済む。
嫌なことも辛いことも暗いことも、巨大な絶望もちっぽけな違和感も、何にも考えずに、悩まずに済む。結果的に自分をパパ活に走らせているだけで、まあいいじゃん、という発想が自分の中に強く根づいた頃から自分は学校のトラブルも家庭のストレスも友達とのプレッシャーもそこまで思い詰めずに済むようになっていた。
あるいはクラスや学年のみんなもそういうテクニックを共有し始めたのかもしれない。生きていく中では、余計なことを悩む、ということは、避けられるなら避けられるに越したことはない。やっぱり気楽に生きていきたいし、軽やかに日々を過ごしていきたい。そのための考え方として、自分には隼人の口癖たる「まあいいじゃん」という言葉が有益に働いていた。
そして、結果的に自分をパパ活に走らせている——。
『まあいいじゃん』
そうだね。やっぱり、それ込みで、辛さを辛さのまま受け止めるには、自分の許容範囲は狭すぎるし、あるいは人生は長すぎる。どこか他人事のように見つめる自分、というものがなければ、人って生きていけない、と、今の綺羅はそう思う。
まあいいじゃん——そうすれば、辛いことを考えずに済む。
普段の日常生活で、そこまで巨大かつ強大な“辛いこと”があるわけではない。いじめに遭っているわけでもなければ家庭が崩壊しているわけでもない。でも、何となく平凡な毎日がつまらなくて、苦痛で——退屈は悪だとすら思っていた。そう思ってしまうものは仕方がないのだ。だから、退屈を打破したい。そのために「まあいいじゃん」と考えることで、結果的にパパ活を何とも思わない自分が生まれたとしても、それでも暗く塞ぎ込んで色々な物事を思い詰めずに済むというのはメリットの方があまりにも大きかった。あるいは他のみんなもそうなのかもしれない。少なくとも、自分には他の子たちも自分と同じような感覚を共有しているように、綺羅は感じる。
本当に、いつからそう感じるようになったのか……綺羅には全くわからない。
「あれ、ツーちゃんさん」
展望台の中を歩いていると、ふと晴翔がある中年男性の元へと近づいた。どうやら紗夏も知っている人のようだ。誰だろう、と思いながら、綺羅と隼人も二人の後をついていく。
そしてその隆起は晴翔に声をかける。
「やあハル。奇遇だね」
「一人デートですか?」
「なんと寂しい造語」
もちろんこれは予定調和の芝居である。晴翔と紗夏はこのためにこの隆起の元へと二人を招いたのだから。
当然、隼人は訊ねる。
「この人、誰?」
「あ。こないだ話した何でも屋さんのご店主で」
という晴翔とよそに、どうもどうもと言いながら隆起は隼人に接近した。
「どうも。おれ、津笠隆起と申す者」
そう言って隆起は右手を差し出した。つられて隼人も右手を出す。
「あ。どうも。吉良隼人です」
そして握手をして——。
強烈な電撃が走ったように紗夏には見え、ほんの一瞬だけ隼人は気絶した。
高位の影響力を抹消するためには相手の体に直接接触する必要があるという隆起の説明を二人は思い返す。
「おっと吉良くん。具合でも?」
とはいえ隼人自身、ほんの一瞬だけだったので気絶したのかどうかもちょっとよくわからないでいた。
「一瞬飛んでました」
「若いのに〜」
「……?」
はて? という表情をしながら、しかし隼人は、
「まあいいか」
といつもの口癖を言う。
それを聞いた綺羅は、あれ、と、思った。いつものパワーを感じない……。
……そのとき綺羅は、これまで自分がパパ活で見知らぬ男たちに抱かれてきて金を稼いできたことに、一気に罪悪感が募ってきた。
何ということを自分はしてきたのだろう。バレなければいいという問題ではない。貴重な処女を適当に処理したことも、見知らぬ中年たちと行きずりの仲になったことも、つまりパパ活などではない、“売春”をしてきたことが、何もかもがとんでもないこととして綺羅の中で浮かんできた。そう。とんでもないことを自分はここしばらくしてきた。まあいいじゃんでは済まされない。もし知らず知らずのうちに撮影でもされていたら? あるいは、さっき駅で声をかけてきた男がいたように、プライベートでも接近してくる可能性はゼロではないのでは? そうなったとき、家に、学校に、友達たちにそれらがバレたとき、果たしてこの世界に自分の居場所は存在を維持し続けるだろうか。おそらくしないだろう。このままパパ活をもう二度としなければそれでいいという問題ではない。ここ最近の過去が消滅することなど絶対にあり得ない。可能なら自分が今まで関係したおっさんどもの脳味噌から該当部分だけをレーザー光線で撃ち抜いてしまいたい。しかしそんなことはできない。たとえ自分が忘れ去ったとしても向こうは覚えているかもしれない。いつかばったり再会してしまう可能性は決してゼロではない。
何ということだろう。まあいいじゃんなどと言っている場合ではない。自分はとんでもないことをして、そしてその対策方法は特にないのである。そんな厳然たる現実が宮城綺羅を一気に支配した。もはや、まあいいじゃんという魔法の呪文が入り込む余地はどこにもなかった。今、綺羅はどんなに絶望的で悲惨な状況であっても、目の前の現実と真正面から向き合わなければ真の意味で辛さを乗り越えることなどできないのだということを、まるで天啓のように気づき始めていた。いや。それは……元々自分はちゃんとわかっていたことだったのに。それなのに、それが、どうして……。
「綺羅、どうかした?」
という紗夏の言葉に、綺羅は、
「ううん何でもない」
と早口に答えるしかできず、だからこそ紗夏はそれ以上の追求はできず、
「ならいいけど」
とだけ返す。
綺羅の焦燥感をよそに、他のメンバーは思い思いに展望台を楽しんでいる。その中には隼人ももちろんいた。隼人もどこか焦燥感を抱いているようだが、彼は彼で「まあいいか」と自分を納得させることばかり考えていて、そしてその上で自然体で振る舞えるように努力していた。
つまり、今この場で変化したのは綺羅だけであり、隼人には特に変化はない。
——つまり、隼人の持つ物事を投げやりに考える性質は、これにて隼人だけのものになった、ということであった。
よろずやつかさ。
ソファで紫乃の淹れてくれたお茶を飲みながら隆起はとある友人とLINEをしていた。
『しかし幼馴染みの男女が穴兄弟とはね。穴姉妹と言うべきか』
隆起はすぐに返信する。
『一晩でよく頑張ってもらいましたよ。女抱いた後に男抱いてどっちも楽しめただろうがね』
『その人、熟女好きなんだろ?』
『穴は男にもあるし』
『要するに今回、綺羅ちゃんは吉良くんの破綻を虎視眈々と狙っていたわけだね』
『彼女の個人的感情はさておきね』
『吉良くんの影響力がいつ高位のものになったのかはそれはもちろん神のみぞ知るってところか』
『そうだね。ま、あのおっさん登場という決定的な破綻はおれによるものだけど』
『幼馴染みに自分が先日やったおっさんが話しかけてて、吉良くんもなかなか気が気じゃなかっただろうね』
『まあ〜それは綺羅ちゃんもだけどね。どっちも援交バレに必死だったろうさ内心』
『吉良くんの精神の均衡が崩れそうになったとき、ツーがとどめの一撃を喰らわせてこれにてハッピーエンド、かな?』
『なかなかパニックだったみたいだし全世界の全方位に影響力の消滅具合は拡散したであろう』
『とはいえ、君のできることはあくまでも高位の影響力の抹消だけ。よもやキラキラコンビの関係性自体は破綻するかもね』
『それこそ綺羅ちゃんの今後だってなかなか心配さ。自分がこれまで売春なんてことをしてきたことを、投げやりになんて済ませられないぞとウルトラパニックかもしれぬ』
『世界を救うためには多少の犠牲はやむを得ない、だろ?』
『それがおれでもこーのでも君でもね』
『そうね。ま、これで今回のミッションはコンプリートかな? お疲れ様』
『さんきゅー、ワン』
そうして二人のLINEは終わる。
というわけで、どこまでも投げやりで大切なことを蔑ろにするばかりの少年からこの世界は見事救われたのだった。
……東京タワーからの帰り道、二人になって紗夏は晴翔に問いかける。
「本当に救われたのかなぁ、世界?」
「さあなー。さっきまで世界が滅びそうになってた、と」
「うーん……高位の影響力、ねぇ」
「でも案外、ツーちゃんさんの言う通りで、世界って、しょっちゅう終わっててしょっちゅう救われてるのかもしれないぜ」
「……そんなのツーさんの言ったもん勝ちって感じに見えるけどなぁ……」
そう首を傾げる紗夏を尻目に、なんかこれから愉快な毎日になりそうだ、と、晴翔はちょっとワクワクするのだった。




