第一話 オーマイガーが叫べない/まあいいじゃん・1
影響力。それは人間の証明。
「——でもそうは言うけど、そもそも人っていろんなものとかこととか人から影響を受けるものでしょ。受けやすいとか受けにくいはあっても。それで日々変化していくわけでしょ」
「表面上のことはね。でも根本的かつ根元的な自分自身のコアな部分はそうそう滅多に変わるものじゃない。どれだけ強烈な影響を受けても最終的にはあくまでも自分の好きなものや好みのものを選ぶだけだ」
「ふむふむ」
「ところが高位の影響力というのは、そのそうそう滅多に変わらないコアの部分を本人の意志とは無関係に無理やり変化させてしまう。そして、あくまでも影響力であることから、その力の持ち主は自分で相手を選べない。そして……この力は人々にどんどん伝染していく。するとどうなるでしょう」
「どうなるんでしょう」
「みんな同じ、に、なるのさ」
「——それじゃ、ありがとう。またね」
「——さようなら」
夜。ラブホテルの前で宮城綺羅は行きずりの中年男性と別れた。いつものことだ。そしてさっきまで二人だけの濃密な時間を過ごしたこの男とはもう二度と会うこともないだろう。それもいつものことだ。
いわゆるパパ活である。セックスと引き換えに金を貰う。そんなにセックスが好きなわけでもなければそんなに金に困っているわけでもない。日頃溜まっている鬱憤を発散できるし、“悪いこと”をしているという快感でスリルを楽しめるというのもある。いいことよりも悪いことの方が楽しいというのは、人間というものはげに不完全なものであることよ、と、綺羅はなんとなく思う。ただ思うだけだ。飽きるまで続けようと思っている。どうせみんなやっていることだ。みんながやっていることだから自分もやるというのは理屈として不自然な気もするが、しかし、そんなことはどうでもいい。自分には商品価値がある——“自分には価値がある”という事実を確認できれば、それでいい。
日頃溜まっている鬱憤、とはいえ、綺羅自身、今の自分が別に絶望的状況下にいるという感覚はなかった。友達はいるし、仲のいい幼馴染みとも仲がいいまま高校生になった今でも連んでいるし、勉強はもちろんつまらないが授業についていけないほどではないし、家族仲も殊更に仲良しではないが特に険悪なわけではない。平和な日々である。だからこそ平和で退屈なのだ。結局、自分がこうして“悪いこと”をしているのも退屈だからである。そんな理屈で乙女が体を売るなんてことをしていていいのだろうかとも思うが、まあいいや、と、思うようになっている。それでいいのかどうかはわからない。ただ——まあ、いいじゃん、と、思っている。
パパ活のきっかけが何だったのか、綺羅は覚えていない。平和だけれどだからこそ退屈な日々を何とかして打破したくて、そしてなんとなく悪いことがしたいと思い、女子高生がする悪いこととは何だろうとちょっぴり考えて、やがて何となく出会い系サイトを眺めていたらやってみようと思い立った。相当な決意だとは思ったが、どういうわけだか綺羅は“まあいいじゃん”と気軽な気持ちで売春を始め、そして今に至っている。一番最初の相手に処女を与えたときこそなかなか緊張したが、だからこそ余計な荷物を捨てられたような気もして楽になった。
退屈を打破できたような気がした。
帰り道。コンビニに寄る。缶コーヒーを買って飲む。周りを見渡すと同じように制服姿の中高生たち。この子たちこの人たちは、今さっき自分が見知らぬおっさんに抱かれていたことなどもちろん知る由もないが、しかしそんなことを言ったらこいつらだって裏で何をしているかなどわかったものではない。みんな他人には言えない秘密の一つや二つぐらいあるだろう。それをみんな、まあいいや、と思いながら日々を過ごしているのだと思う。ただそれだけのことだ。そこに自分も含まれている、という、ただそれだけのことである。缶コーヒーをちびちび飲みながらそんなことを考える自分はそれだけ余裕があるということなのだろうかと綺羅は思う。
とにかく今日のミッションは終わった。後はもう家に帰るだけ。それから夕飯なりシャワーなり寝る前の準備をした後、いつものように勉強だ。さっき見知らぬ男から貰った金で財布の中はなかなかリッチなことになっている。金がある、というのは、幸せかどうかはさておき、何事も気楽な気持ちになれることは間違いないと、綺羅はそう思っていた。
退屈な日々を打破したい。そのための手段がパパ活。それでいいのか、という冷静な自分もいるが——まあいいや、と、綺羅は思っている。いつの間にこんなに投げやりになったのか、もう綺羅はわからない。いつの間にかこんな自分になっていた。
「おはよう隼人」
「ああ、おはよ」
翌朝。教室に入り、先に到着していた幼馴染みの吉良隼人に声をかける。宮城綺羅と吉良隼人は小さい頃から仲が良く、“キラキラコンビ”と言われていた。頭の悪い呼ばれ方のようにいつも思っておりなかなか不満があったが、しかしそう言われてしまうのは仕方がないという自覚はあったし今ではもう慣れている。
「今日、数学の小テストだって」
「やだなぁ。綺羅は勉強できた?」
「そこそこ」
「おれもー」
ニコニコしながら隼人は綺羅に同調する。
隼人のことは幼馴染みとして割と好きだが、恋愛と呼べるほどの情熱は綺羅はないつもりでいた。ただ、何となく付かず離れずの関係でいる。友達たちはどうせ暇ならくっついちゃえばいいのにと気軽に言うが、何となく幼馴染みの関係がそんな展開になることに躊躇いを生じさせている。確かに隼人にも特定の想い人はいないようだから自分たちなら付き合ってしまってもいいのだろうが、何となく、幼馴染みの距離を超えられずにいた。ただ綺羅自身、隼人にそこまでの情熱はないつもりだったため、だからこそ何となくこの関係が続いている。でも、悪くないと思っている。男と女だって友達になれる、というのは、愉快な事実だと思っていたから。
「しかしせっかく高校生になったっていうのに特に変わらぬ日常で」
「そうだねー。でも平穏が一番じゃない?」
それも嘘ではない。心からの気持ちではある。しかし一方でスリリングな日常を求める気持ちがあるからこそ綺羅は度々見知らぬ男に体を抱かれている。
「退屈は悪だ」
「まあ、いいんじゃないの」と、綺羅。「結果オーライで」
「そうだなぁ。それもこれもまあいいじゃんって感じだけどね」
『まあいいじゃん』。隼人の口癖。幼い頃から言っていることだが、最近になってその口癖に自分が随分引っ張られている気が綺羅にはした。その結果パパ活に走っている——とは思わない。それでは隼人のせいということになってしまう。でも、そういう風に思うのであればそういう風に思ってもいいのかもしれないとも思う。思春期の少女らしい複雑さと宮城綺羅という一個人としての複雑さが、しかし最終的に『まあいいや』とどこか投げやりな結論に支配され、そうして綺羅は今日も日々を過ごしている。
「おっす隼人」
「おーハル。おはよ」
そこに晴翔と紗夏が現れた。この四人はクラスメイトである。
「勉強できた?」
と訊ねる晴翔に、隼人は、
「まあいいじゃん」
と答える。
おそらく最近いつもそうであるように、晴翔もまあね、と答えるだろうと綺羅は思ったが、しかし晴翔は、
「そりゃよかったねぇ。おれはもう全然よ」
と返したので、綺羅は、おや、と思った。いつもの反応と何かが違う。てっきり自分と同じように「まあいいか」で済ませると思ったのに。
『まあいいじゃん』というのは物事を気楽に考えられる発想だ、と、綺羅は思う。そう言ってしまえば絶体絶命のピンチでも乗り越えられるような気もしたし、自分にとって都合の悪い展開が始まったとしてもそこまでも深く思い詰めないで済むように思う。幼い頃から「まあいいじゃん」という口癖の隼人の影響を高校生になってから受け始めたのだろうか、綺羅は最近、いろんなことを「まあいいや」と済ませるようになっていた。それがいいことなのか悪いことなのか、正しいのか間違っているのかはわからない。とにかく綺羅は毎日が退屈だった。それを打破するためのキーワードとして綺羅はこの言葉が最近常に頭の片隅にある。
でも、そんなこと言ったらみんなそうだと思う。みんな、いろんな問題や課題を抱えながら、それでもまあいいやと半ば投げやりな気持ちで事に取り組んでいるように綺羅には思えた。最近そういう子が周りに増えたような気もするが、しかし、もともと世の中そんなものだったのが自分に認識できるようになっただけ、という気もする。隼人の口癖が学校中に広がるような、そんな影響力を彼が持っているとは思えない。多分、後者が正しいのだろう、と、綺羅は思っていた。
だからこそ、ここのところ晴翔もいろんなことを「ま、いっか」で済ませていたように思えたのに、今、そのような返答をしなかったことが何となく綺羅は引っかかった。
「で、最近どうよ」
と、隼人は晴翔に訊ねる。すると晴翔はムフフと笑いながら、待ってましたというかのように答えた。
「こないだ面白い店に行ってさ」
「何屋さん?」
「何でも屋さん」
「ほう?」
「まあ、面白い店でね。紗夏と行ったんだけど」
「主に何をする店なの?」
「不思議な店さ」
「む。……変な店じゃないんだろうな」
「それは大丈夫。店長さんもいい人だしね。よかったら今度行かない?」
「怪しくなきゃね」
と言いつつ、隼人は明らかに乗り気ではなかった。
しかし綺羅は、どこか乗り気だった。何やら曖昧な説明を今晴翔はしたが、それが心に綺羅は引っかかった。
不思議な店だなんて、退屈とは無縁なんだろうな、と思って。
「じゃ、ま、今日も良き日でありますように」
「だね〜」
隼人に同調した晴翔は自分の席に座ってスマホを取り出す。
そして、隆起にLINEをした。
『一応、声はかけましたけど』
『おっけ。後は計画通りに』
すぐさま返信が返ってきた。こんな速さで返信ができるというのは、つまり隆起は今、暇であるということである。
『ラジャ』
と打ち込み、やがて晴翔はスマホをしまう。




