第六話 レッツゴーよいつかまた/たのしくやろうよ・2
「それで、おれに及んだという影響力も抹消に動くわけっすね」
「発生源がわからないから何とも言えない」
「え? でも、おれに感染してるってことは、それはこれから感染し始めることだって——」
「そもそもこの世の中、ハルみたいな人なんていっぱいいるわけだしね。つまり——さっきまでのハルみたいな奴らが、もう既にいっぱいいる、ということさ。少なくともおれにはそう思えてならない」
と、隆起はスマホを振った。
「今のこの世の中、こういうものもあるからね」
今、ぼくはいじめを受けている。
きっかけが何だったのかはわからないし、いじめの加害者どもからすればきっかけなんてどうだっていいことなのだろう。たまたまターゲットを見つけたから、いじめることにした——その理由が成績が良いからであれ成績が悪いからであれ、いじめられるための理由なんて何でもいい。いじめる理由があればそれでいい。
学校は地獄だった。教師もほとんど見て見ぬ振りだ。でも、不登校になることもできない。親に言えるような家庭環境だったら、きっといじめの被害者になんてなることはなかった、と、ぼくはそう考える。
この日常を語ることは難しい。とにかく——地獄の日々なのだ。殴ったり蹴られたり、ものを捨てられたり壊されたり。敵は直接の加害者だけはなく傍観者も同罪だ。誰にも助けてもらえない。教師に助けてもらえないなら、救済はないのと同じこと。
止まない雨はないという。それはそうだと思う。でも今降っているこの雨が辛い。さっさと止んでほしいが、しかし止む気配はない。どんどんエスカレートしていっている。それをぼくにはどうすることもできない。世の大人たちはいじめられる側にも理由があると言う。だからいじめられないように努力するべきだと言う。まるでいじめの被害者が主導権を握っているかのような物言いに、心のどこかで終始うんざりする気持ちがある。
苦痛の日々。地獄の日々。いちいち言葉で語ることもハードな日々。
だから楽になりたい。できれば楽しい日常を過ごした。前までのような、いじめの被害者になるなんてことのない、穏やかな日々を取り返したい。
楽しく? それは今、ぼくをいじめている加害者どもの今の状態?
それって、ぼくは楽しくない。
楽しくないなら、楽しくするだけ。
楽しくしたいなぁ。
——楽しくしたいなぁ……。
晴翔と紗夏。
「なんか最近おれたちの周り、楽天的な奴らが増えたよなー。今が楽しけりゃいいじゃんみたいな。ポジティヴなのはいいとして」
「影響力の力なんじゃないの。わたしたちがそうなってないってことは」
「でも仮にそうだとして、ツーちゃんさんが動いてないってことは、世界、終わらないのかな?」
「——そういうことになるのかしら」
ぼくがいじめの被害者として生活する日々は続く。
どこまでも続く。
この日々を終わらせられるならどんなことでもする。
どんなことでも? 流石にそれはない。
でも——例えば。
人として最低限守らなければならないハードルを超えるぐらいなら。
そして、よろずやつかさ。
天気は朝から雨。
いつものように放課後、晴翔と紗夏を相手にする隆起。
「ツーちゃんさん」
「何だねハルや」
「人生は色々ありますね」
「どうした突然」
「いやなんか、最近、ネットリンチが増えたような気がするんすよね。特にいじめの動画がやたらと流れてきて見るとすごい辛いから見ないようにしてるんすけど」
「ふむ」
「それはそれとして、なんか……楽天的な奴らが増えたよなって。そんなニュースばっかり流れてくるし、そんな動画ばっかり流れてくるのに、なんかおれたち以外みんな、いいんじゃないのいじめの加害者がどうなろうがって、内容の割に呑気な感じで——」
「影響力の力だろうかね」
「え」
と、晴翔は目を丸くした。
「あるいはこないだ抹消した、君に及んでいた影響力さ」
「え。じゃ、世界、終わったってこと?」
「かもね。そして新世界が作られていく」
晴翔と紗夏は顔を見合わせた。
そこで紗夏は訊いた。
「それでいいんですか?」
すると隆起は、存外あっけらかんと答えた。
「結局、おれの力なんて、この手で触れられる範囲じゃないと発揮されないしね」
「はあ」
「おれと同じような能力を持った人間っていうのも世の中いっぱいいるのかもしれないけれど、その人たちが本格的に動く前に事態は拡散した——と考えるのが自然だ」
「え。じゃ。あの。ネットリンチが当たり前の世界になる、と?」
という晴翔に、隆起は穏やかに答えた。
「言っただろ? 高位の影響力は世界の仕組みを丸ごと変えるものだって」
「……」
「この影響力の発生源がどこなのかまでは流石におれにはわからない。最初にネットリンチを始めた人なのかもしれないし、あるいはその人の周囲にいた人が本体なのかもしれない。だから今となっては拡散を止めることはできない。このままがこのまま続いていくだけのこと」
「わ、ハードだ……」
「多分、これは、リンチが当たり前になるというよりも、個人情報の暴露とかあるいは公開、ということのハードルが、これまでより相当低くなるって流れだろうね」
「それは、止められない? 世界はこのまま終わる?」
「世の人々、いずれ“これ”が楽しくなくなるときが必ず来るだろう。例えば、相互監視社会のディストピアにでもなったとき」
「そしたら影響力が収まるんすか?」
「なるようにしかならないよ」
あっさり言い退ける隆起に、しかし紗夏はあくまでも冷静な態度だった。
「世界の終わりって、思ったよりあっさりしてるんですね」
「うん、そうだね」と、隆起は頷いた。「おれの言う世界の終わりっていうのは、巨大隕石が落下して地球が木っ端微塵、という終わり方ではないから。それまで脈々と続いてきたものが終焉を迎える、ということ。それをおれは、能力者としての本能なのか、終わらせたくないと思って高位の影響力を次々に抹消しているが、しかしおれとて万能ではない。さっきも言ったけど、所詮触れられる範囲のものしかどうにもできないし」
「つまり、少なくともツーさんの言うところの世界の終わりっていうのは、終末というより変化なわけですね」
「あるいはおれとしては、その変化が“良くない変化”だと思っていて、その果てに、真の終末があるような気がしているんだね。今回の世界の終わりだってそういう予感がおれにはぷんぷんするよ。個人情報の公開なんてね」
「ふむ……」
「でも、人生は何が起こるかわからない」
そう言いながら隆起はどこか笑っていた。
その笑顔の正体が何なのか、晴翔たちにはよくわからない。
「人生は何が起こるかわからない——この世界は確かに絶対の数学的法則のもと成り立っているが、それでもたま〜に不思議な魔法みたいな奇跡が起こることもある。理由も原因も脈絡も何もなく、前後の文脈や論理や計算を無視した出来事が起こることがある」
「恋愛みたいな?」
「言い得て妙だね、ハル。ある日突然現れることもあれば、ある日突然消え失せることもある。好き同士でお互いに大切に想い合っていて何の障壁もなくてもダメになるときはダメになる。人生は何が起こるかわからない——それは“高位の影響力”とて例外ではない。この影響が最終的にどうなるかは、誰にもわからない……」
「……」
紗夏は、もしかしたら今のこの終わってしまったのかもしれない世界を思って、あるいはその終わりがやがて決定的な展開を迎える可能性を何となくふと考えた。例えば……その果てに、地球が木っ端微塵になるような、あるいはかつて隆起が説明したナチスドイツのような世界にこの世界がなる可能性を。
でも、隆起はあくまでも朗らかな笑みを浮かべていた。
「君はどうだい? 例えば紗夏ちゃん」
「わたしが、何か?」
「君は、自分が何にも影響を受けていないって言えるかい? 『まあいいじゃん』とか『どっちもどっち』とか『みんな大変』といった思考停止に陥っていないって言えるかい? 高位の影響力に飲み込まれ支配され、自分が世界を終わらせる側の一人になってないって言えるかい? その可能性をどこまで考えられる? もしも君が君自身に世界の終わりを招き寄せている可能性を感じられたなら、あるいはそのとき、この高位の影響力に侵食された世界は救われることになるのかもしれないし、あるいは再編されるのかもしれないね。それで——君は、どうだい?」
「……」
「君は世界をどう思う?」
「……それ、わたしに言ってるんですか?」
ふとそう訊ねた紗夏に、隆起は、ふふ、と笑って、そして窓の外を眺めた。
「雨だねぇ」
何となく同調した方がいいような気がして、やがて晴翔も続ける。
「雨ですねぇ」
朝から雨は降り続いていた。この雨がいつか止むことは誰もがわかっている。ただ、その終わりがいつになるのかは、それだけはどうしてもわからないのだけれど。




