プロローグ・2
影響力。それは人間の証明。
それは人間が人間と交流するとき必ず発生するエネルギー。その発生を止めることはできない。ただすれ違っただけでも、認識が完了した時点で人は人から何らかの影響を受けてしまう。それはほんの一言、ほんの些細なことでその人の生涯の全てを支配してしまうような絶対的な力。むろん人間だけではなく動物や植物、こと、ものからも人は影響は受ける。しかし、こと人間の持つ影響力は凄まじい。そして自分の力は対ヒトに特化している。自分はその強大かつ圧倒的なパワーを抹消するという能力を生まれながらに持っている天使のような存在なのであるのである……。
「……というわけなんだよ」
「へえ〜天使さまかぁ〜」
ある程度説明が済んだところで晴翔は目をキラキラと輝かせていたのだが紗夏はキョトンを通り越して目と口をあんぐり開けて目の前の中年を見た。
このおっさんは頭がおかしいのだろうか。
とそんな疑念が頭をよぎっていたら、
「紗夏ちゃんは疑っているようだね」
と隆起に言われたのでドキッとした。
「いえ別に」
「危険だ」
何か謎なことを言われたので紗夏は怪訝そうな顔をする。
「?」
「影響力っていうのはね。この場合、結局のところ影響を受けやすい人の方が影響は受けにくく、影響を受けにくい人の方が影響は受けやすいという不思議な作用を持っているのさ」
「それ具体的に」
そこで前のめりに晴翔が質問してきたので、隆起は、うん、と頷いた。
「ハルは、騙されやすいだろ?」
と言われ、数秒間う〜ん、と、唸った晴翔だったが、
「まあ、そうなんでしょうね。こないだもセールスの電話に引っかかりそうになって」
「そのときはそのあとどうしたの?」
「いや、家族に相談して、事なきを得たんすけど」
「だろうね。それが、影響力を本当の意味では受けないということ」
「?」
「騙されやすい、っていうのは、要するに信じやすいって事なんだよね」
興味深そうな話題に展開していったので、疑念が湧き続けていた紗夏もちょっと真剣になった。
「だから、AのこともBのことも信じる。AからもBからも影響を受ける」
「ふむふむ」
「だから最終的にはより良い結末に辿り着くことが多い」
「それは、えーと?」
大したことではない、と言って隆起は答えた。
「だって、AのメリットデメリットとBのメリットデメリットを考慮して、その上で最終結論を出すことができるんだもの」
「あ〜」
「実際、ハルはこれまで“なんかいい感じ”に生きてきたんじゃないかい」
確かにそうだ。いやなこともあり辛いこともあり、絶体絶命の事態に陥ったこともあり自分にとっての破滅が訪れたこともあったが、それでも“最悪”の展開になったことはない十六年の人生である。今それを隆起に指摘され、一瞬、それはまだ十六年しか生きていないからではないかとも考えたが、だがすぐに年数は関係ないんじゃないかと思った。自分は物事をいちいち悩むタイプではあるものの本質的には楽観的であり、楽天的なのであるということは、それは物心ついたときから思っていたことだったからだ。
「ところが紗夏ちゃんみたいな疑いやすいタイプっていうのは、結局、一旦飲み込まれたずうっと飲み込まれちゃうんだよね」
「そんなこと」
と反論しようとしたが、しかし口ごもる。
一旦飲み込まれたらずうっと飲み込まれちゃう——。
隆起は続けた。
「そう簡単には信じないぞと思ってるから、信じるに値すると思ったらどこまでも信じちゃうんだよね」
「それは……」
それは、そうだと思う、と、紗夏は考え込む。
「君はこれまでの人生、“なんかついてない”と思ってばかりなんじゃないかい」
いやなこともあり辛いこともあり、絶体絶命の事態に陥ったこともあり自分にとっての破滅が訪れたこともあり、それで自分はついてないと思うことが多かったし自分は人よりついてない人間だと考える。確かに“最悪”の展開になったことはない十六年の人生だが、友達関係だったり学校関係だったり、とにかく“ついてない”と思ってばかりだ。隣の晴翔をふと見る。にこにことヘラヘラとしている。明るいタイプでキャラクター。要は自分は暗いタイプなのであろう。あるいは言葉にすれば自分は本質的に悲観的な人間なのだろう。そう思うと紗夏は何とも言えず憂鬱な気持ちになってしまった。
「ま、ハルくんと付き合えたのはラッキーだったんじゃない? ハルのストッパーとして活動してれば結果的に君も飲み込まれずに済みそうだし」
そう言われると面白くないが、しかし、わからなくはない、とも思うので、余計に面白くない。
という紗夏をよそに隆起は言った。
「ま、これはあくまでも影響力そのものの話。今、ハルが受けていたのはその中でも高位のもの」
その言葉を聞いて二人は訝しがる。
「高位?」
「影響を通り越して伝染。全人類に伝播して世界の仕組みを根幹から丸ごと作り変えてしまう力さ」
これまでの説明と異なり何やら物騒なことを陽気に言い始めたので二人の頭には更に疑問符が浮かぶ。
「とにもかくにもおれの力っていうのは、そういう高位の影響力を抹消する力なのであるのである」
具体的な説明を全部省略したのはわかるのだが、それでも晴翔は興奮する。
「はあ〜本当に不思議な話だなぁ」
「ま、そんなこんなでおれはこれまでの人生、結構世界を救ってきたのさ」
「わ〜」
感心する彼氏をよそに、紗夏としてはそうそう簡単には信じられない話である。
……だからこそ、信じ始めたら、一気に信じ込むのだろうか。
「だからま、君たちとはもうしばらく付き合うことになりそうだ」
ん? と、二人して隆起に目をやる。
「この影響力の発生源を攻略しなければならない。このままでは——世界が終わる」
「え?」
「ふう、やれやれ」
と、そこで別の部屋からもう一人中年男性の声が現れたので、紗夏はドキッとした。
「あ、お客さーん」
その彼は高校生を二人を見てうんうんと頷いた。
「ツーちゃんに依頼?」
「ツーちゃん?」
という晴翔に彼は答える。
「つかさだからツーちゃん」
「なるほど」
「ちなみにおれもつかさなのだがこーのと呼んでくれ」
「こーの?」
と、隆起の隣に座り自己紹介を始めた。
「鴻池司。副所長ですぅ」
「ああ、だから、こーの。あ、だから——」
中年男性二人でにこにこと笑いながら、隆起は左手を、司は右手を伸ばし、そして声を揃えてこう言った。
「二人合わせて、愛と勇気を売るお店よろずやつかさでーす」
ダメそうなおじさんたちだ、と、呆れるばかりの紗夏だった。