第四話 アンビリバボーは洒落臭い/おれのほうがつらい・2
「——それで電撃の走ったテーブルは全部かい」
「覚えている範囲では」
「とりあえずはそれで充分。後は……一発でクリアできたらいいんだがなぁ」
トイレで用を足しながら関根隆之は、さっき気づいた自分の特殊能力に感動していた。実に不思議なこともあるものだ、と思い、あるいはこれまで一生懸命やり続けていたことで能力が開花したのかしらん、とも思う。とにかくミュージシャンとして有益な力が自分に宿ったことで、これからの音楽人生が輝くような気が隆之にはしていた。
元々ヴォーカリスト志望だったのだが、今一つ歌唱力が自分の満足いくレベルにならず、最終的にギタリストに転向した。ギターを弾いている方が自分らしい気がしてきて、今では自分の武器はマイクではなくギターだと思っていた。しかし一方で歌を歌うこと自体が好きなことがやめられたりはせず、今でも隆之は歌を歌うということが習慣となっていた。
ギターだと的確に音をヒットさせられるのだが、歌唱に当たって自分の出したい音と自分の出せる音に明確にズレがあり、それでも訓練はし続けていたのだがいかなるときでも確実にヒットさせられるとは言えなかった。耳障りなほどの音痴というわけではなかったが隆之のヴォーカルは音が微妙にズレており、周囲としては「いいんじゃないの、それで」という投げやりな評価であり、自分自身としても練習も訓練もしてきたがそれでもどうしてもヴォーカリストとしての才能に恵まれなかったことを受け入れざるを得なかった。ギターでコードを押さえる、弦を弾く、ということに関しては自分の出したい音を出すことができるのに、どうして歌声だとダメなんだろう、やはり才能によるものなのだろうか、と、隆之はギタリストに転向した今でもヴォーカルの仲間に対して羨望と憧憬を止めることができなかった。お前はいいよな歌がうまくて、と、いつも思っていた。それに比べておれがどれだけ苦しいかなんて、お前には、いや、お前たちにはわからないんだろうな、お前たちバンドメンバーだって何か辛い目に遭ってるのかもしれないけど、おれの方がずっと辛い、だって、夢を叶えることが、自分がどれだけ努力をしても、どうしてもできないんだから——と、共に戦っている音楽仲間たちに対してずっとそう思ってきた。
しかし、今日。
いつからその能力が芽生えたのか、本当に、ふと気づいたら、としか隆之には言えなかった。いつものようにここの喫茶店にやってきて、いつものサンドイッチとルイボスティーを頼み、そうしているとウェイトレスがレジの不具合で釣り銭が今出せないという報告を自分にしてきて、どうせ長居するつもりだったのだからとあっさり受け入れ、そしてその頃には既に自分の能力に気づいていた。
今、隆之は、音を色彩として認識している自分を受け入れ始めていた。これがいわゆる色調という能力なのだろうかと隆之は心底感動していた。音を聴くということとそれに色を感じるということがセットで隆之の中に存在しているのである。そしてこの色というのは自分の発する音でも例外ではなく、もちろん用を足しにトイレにやってきたのだがはっきり確認がしたく、軽くバンドの歌を歌ってみたら、すると色とりどりの色彩を感じたのだ。そして隆之は、視覚的に決まった色を塗るように歌を歌ってみる。するとそのヴォーカルは自分の納得いくヴォーカルとして力が発揮されたのだ。
驚くべき事態であり、色調などというものは生まれつきかもしくは幼少期の徹底的な音楽教育によってもたらされるものだと思っていた隆之は、なぜこんな能力が今の自分に芽生えたのかさっぱりわからないでいたが、しかし、一生懸命日々音楽の訓練をし続けたことで一気に才能が開花したと考えるのが一番自然な発想のように思えた。とにかく今、自分は、神様のプレゼントなのか能力開花なのか、色調という特殊な感覚を得ている。これはこれからの音楽活動においてかなり有益に働くはずだと隆之は喜ばしい気持ちで一杯だった。もちろん不思議現象が起こったことは不思議ではあったが、こんな不思議なこともあるのが人生なのかもしれないな、と、半ば無理やりまとめており、それでいいのさ、と思っており、だからこの件も形を変えて音楽にできたらいいな、と、思うようになって、そこまで深く追求する気は彼にはなかった。
というわけでトイレに来た元々の用事を終えたので、隆之は外へと向かう。外には次にトイレに入りたいのであろう中年男性が待ち構えており、互いにほぼ同時に「あ、どうも」と言いながらすれ違う。狭い廊下ですれ違うことによりその中年男性とほんのちょっぴり触れ合って——そして隆之は一瞬気絶した。
一瞬の気絶だったこともあり、隆之はちょっとした立ち眩みかな、と思い、栄養を取らなければ、と思い、テーブルに向かっていく最中、店内で流れているクラシックのBGMをただ音としてしか認識していない自分に気がつきハッとした。あれ、色調は? と思って音楽に耳を澄ますが、その音楽が、音が色彩として感じられることはもうなかった。
あれっ——と思い、どうしたんだろう、と思う。今の自分にとっては音と色がセットで感じられることこそが隆之の当たり前のことに既になっていたから、その力がなくなったということは疑問符が浮かぶことが止まらないことであった。しかし、今、何の因果か脈絡か、突然芽生えたその能力は突然消滅した。あれれー……と思い——そして隆之は次第にこう思うようになる。
感じられないのなら、擬似的にでも感じてみたら良いのではないか。
そう。ヴォーカルの音もそうだが、ギターの音も、色とりどりの色彩を描くが如く音楽を奏でるということをしてみたらどうだろう? という発想が生まれた。これは隆之の音楽人生において画期的な発想であった。今まで音は音として認識するものであり、それ以外の要素は言ってみれば余計だとすら思っていた隆之であったが、しかし視覚的に楽しませるということ自体は大切なことだとは考えており、その両者の発想を二つとも達成させるに当たってこの“色彩を擬似的に感じる”という感覚は大いに役立つのではないかという気がしてきたのだ。
確かにさっきまでのはっきりとした色調感覚はなぜか失われた。しかしなぜか失われたと同時に、なぜか宿ったのも確かであり、あるいは神的存在がいるのであればそれを自分に気づかせるためにほんの一瞬の奇跡を自分に与えたのではないかと、ややスピリチュアル的な考え方を隆之はするようになっていた。それだけ能力の開花と消滅は連続的に行われたことであり、それ故に思考も連続的に展開し、とにかく隆之は失われた能力ではあるがだからこそこれからのミュージシャン生活で自分は確かにやっていけるはずだという確信を得た。こうなると元々アーティスティックな気質の隆之である、これからも日々現実の中で戦っていこうという気概が生まれてくる。先のことはどうなるかもちろんわからないが、夢を叶えることとは現実を戦うことであると、それはずっと前から隆之は思っていた。だから、このいつもの喫茶店で起こった一瞬の奇跡は、いずれ記憶から薄れていったとしても、自分の人生の大きなターニングポイントになっていくであろう、と、隆之は、神ないし神的存在に感謝することにして今日の日を無事終えることを自分自身と、あるいはかけがえのない仲間たちに約束するのだった。
テーブルに戻った隆起はメンバーに報告する。
「さっきのギター青年の影響力を分析するに、アラサーぐらいのお兄さんとおじさんの中間ぐらいの男性であることはわかった」
「解決はやはり難しかったようだね」
「まあそこまで順調にはいかなかったが、これでだいぶ絞られたと言えるだろうな」
「お兄さんとおじさんの中間ぐらい……」と、晴翔はやや立ち上がって店中を眺めた。「確かに数は絞られるっぽいっすけども」
「あの手この手でやっていくしかないね。まあ心配ご無用。伊達に能力者として無関係の人物に直接触れるということは長年やってきたことさ」
「怖い言い方」
「まあまあ紗夏ちゃん、君は味方なんだから」
「そりゃ敵のつもりはないですけど」
「でもツーちゃんさんこーのさん、質問なんですけど」
という晴翔に、二人は同時に「何かな?」と訊いてくる。
「今回の高位の影響力というのは、おれには感染してないんすか? ツーちゃんさん、今回おれの頭を撫でてないから気になって」
「ハルに及んだ影響力は最後に始末する」
「あ、やっぱり感染してるんだおれってば」
当然、紗夏は訊ねる。
「何で最後なんですか? 世界を滅ぼすなんてそんな危険な力が晴翔に及んでるんだったら今やっちゃえばいいのに……」
「高位の影響力が今、半ば魔窟状態であるこの喫茶店の全方位に及んでいる割にはお客さんたちの感覚が同期しているという印象を少なくともおれは受けていない」
「おれもだ」
「だから?」
「つまりハルが影響力の避雷針としての役割を担っていると同時に、影響力の収束という役割を担っている可能性がある」
「つまり?」
「つまり、店中に広まった発生源たる本体の影響力を、ハルが、一点に集めているという可能性がある。したがってハルが今、わかりやすい形で影響を受けてはいないことの証明として、収束によって本来それぞれに現れるはずの影響力による多様な結果がハルに全部表れているから、と言える——と、思う」
「おれに、このおれにそんな不思議な現象が……?」
「結界の中で飽和状態に達しているからむしろ何事もなくなっているとも言えるだろうね」
何かもう本当に今思いつきましたみたいな理屈だなと完全に呆れ顔の紗夏を尻目に、隆起は、うん、と頷き、晴翔と向き合う。
「というわけで、今ハルの影響力を抹消したらパワーが一気に暴発する可能性があるんだね」
とんでもないことを言い始めたので晴翔としてはやや怯え始めた。
「困る困る。暴発なんて何がどうなるのかわかんないけど困る困る。ていうか怖いっす」
「心配はいらないよ、ハル。おれに任せな」
と、あくまでも楽観的な隆起の影響を日々受けているからなのか、晴翔は、はーい、と、楽観的に反応した。その様子を見て、紗夏としては高位の影響力で説明できないことなんてこのおっさんどもにはないんだろうな、と、他人事のように思うのだった。そしてそう思う一方で——今、隆起が説明した、「影響力による多様な結果」という言葉が、紗夏にはなぜかやや気になるところであった。それは、高位の影響力は全人類を同じにしてしまう、という初対面のときの説明とは矛盾しているのではないだろうか、と、思ったのだ。だから次のミッションのために計画を考え始めるであろう隆起と司にそんなことを何気なく言ってみた。あるいは店から出ることができないというストレスが紗夏にそれを発言させたのかもしれない。すると二人は、存外真剣な表情をしたので紗夏はちょっと戸惑う。
そしてちょっと考えた後、隆起は紗夏の疑問に、
「最終的に唯一の方向に収束するにしてもその過程では様々な差異、相違点があるものだ。人によって楽観的に考えるタイプ、あるいは悲観的に考えるタイプ——だが、それはアプローチの仕方が異なるだけでゴールが一つであるという全体図が変わるわけではない。だからこそ、高位の影響力は……アプローチの仕方そのものに影響を与える。そしてそれがどんな影響として発現するかは、それは全て人それぞれでその人次第なのさ」
と、それでも自分なりにできるだけわかりやすく説明しようと努めながら、答えた。しかしこの説明を一度聞いただけで紗夏たちが理解できるはずもなく、紗夏は、「はあ」と反応するにとどめ、そしてこの場はこれで、終わる。




