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第三話 アイラブユーがなんのその/みんなたいへん・3

 石沢伸典いしざわのぶのりは、実に“普通にイケメン”であった。

 確かにイケメンである。間違いなくイケメンであり、ブサメンなどでは決してない。確かにイケメンである。しかし要するに“華”のない男だった。それが生来の真面目さ誠実さから来ているのかどうかは藤子にはよくわからない。とにかくどこかの部分を根本的に変えれば華が咲くことは想像に難くなかったのだが、しかしどこを変えればいいのかがよくわからない。ただ、とにかく、イケメンであること自体は間違いなかった。だから視覚的に藤子の第一条件を突破できたのは確かである。

 伸典は数学担当で、そして同期であり、同期の絆もありそこそこ仲が良かったがそれだけで男女の関係に発展するわけもない。藤子は男女の友情などあり得ないと思っており、したがって伸典は同期であるというただそれだけの男であった。その伸典とほんの少しの間でも付き合うことになったのだから、藤子としてはやはり男女の友情などあり得ないんだな、と、少し哀しい気持ちになった。

 きっかけはこれまた飲み会であり、帰り道だった。進のときと違ってこのときの藤子は酔っておらず、また伸典も素面だった。だからこそ伸典は意を決して藤子に想いを告げた。初めて会った時から好きでした、付き合ってください、というオーソドックスな告白をとりあえず藤子は受け入れた。藤子は若い頃から最低限嫌な男でなければ一旦付き合ってみる、という方法を取っていた。その人が運命の人かどうかなどということは実際に付き合ってみなければわからない、というのが藤子の持論であり、友達たちは「ハイリスクハイリターン」だと感じていたが、しかし藤子の持論は幼い頃に読んだシンデレラから形成されるに至った。いくら美形の王子様(大金持ち)だからと言って付き合ってみなければ細かい性格などわからないはずだと思った四歳の自分はちょっと大人びていたのかもしれないな、と藤子は今となっては冷静に思う。とにかく、小指と小指が赤い糸で結ばれていようが、実際に付き合ってみる必要があると藤子は思っていたし、その上で相手が自分にとって都合の悪い人間であるのであればその糸は断ち切って別の男性と結び直せばいいはずだと、藤子は思っていた。というわけで、イケメンであるのは間違いないとして、しかし人目を引くような美形ではない伸典に対して、だが誠実で真面目であり、何と言っても実家の太いお坊っちゃまであるということで、とにかく一旦付き合ってみよう、と藤子は思うに至ったのである。おかげで藤子は男好きだと陰で一部の女子たちにこっそり噂されているのを知っていたが、しかしそんな噂話をするような女どもはプライドが高いが故に“お付き合い”というものをあまりにもハードルの高い行為だと信じきっている幼稚な少女たちとして藤子の目には映っていた。実態、藤子と特に仲の良い女友達たちは、藤子の持論に関して全肯定はしないまでもそれはそうだという肯定と同調をしている。とにかく藤子は“一旦、付き合ってみる”というのを自分の恋愛ルールとしていた。

 そして実際に付き合ってみると。伸典の場合、数学というのはまこと論理的な学問であることよ、と藤子はつくづく思う。それだけ伸典は論理的な男だった。何かトラブルや危機に瀕したとき、彼は感情論を解決の道具にすることはまるでなかった。とにかく理詰めであり、彼からすれば1+1は2であるという絶対の数学的法則でこの世界が成り立っていることになっているようだった。それはそうなのかもしれないが、しかし、人間の感情、ことに恋愛というものは1+1が10になることもあり100になることもあり、何ならマイナスになることも虚数になることもあるものであると藤子は思っていたため、その点で要するに二人は相性が悪かった。

 それでも、そうは言っても大人同士であり、大人の男女である。論理的な男と感情的な女、というだけならありふれたカップルである。そこに関して、藤子としては感情的であることがまるで悪しきことかのような言われ方をするのが納得がいかなかった。人間は感情の生き物であり、論理で全ての説明がつくコンピュータではないはずであり、故に、仮に女が感情的な生き物であるのだとすれば女はその分人間らしい生き物であるということになるはずだと藤子は思っていた。実際のところ藤子は少なくとも仕事の上ではそこまで感情を露骨に表すことはなかったが、しかし、好きとか嫌いとか、そんな些細なことをほったらかしにしておくことで後に重大なトラブルが発生するということを若い頃からずっと確信していた。むしろ男たちは“こんなちっぽけなことでそこまで大したことにはならないはずだ”とたかを括ることが多いように藤子には見えた。その点、男の方が幼い、ということのように藤子の目には映る。長期的に見たとき、やはり人間の感情を無視することで戦争なり差別なりとんでもない重大危機に人は陥るのだから、感情は論理よりも大切にしなければならないものであると感じていた。

 確かに伸典は真面目な男であり、誠実な男であり、実家が裕福なのもあるがとにかく将来性のある男だと藤子は考えていた。だから結婚相手としては申し分ないのはわかっていた。しかし、この数学的かつ論理的な男は、実際に付き合ってみれば明らかに自分の好みではないことがわかり、この男と一生共に暮らしていくという選択肢はあっさり失われ、さてこの人ともそろそろお別れだな、と、藤子は思うに至っていた。

 というわけで、ある夜の帰り道、藤子は彼に別れを告げた。

「他に好きな人ができて……」

「そうですか……でも、月形先生みたいな方とお付き合いできて、楽しかったです」

「こちらこそ」

「それじゃ、また明日も学校で、教師として、どうぞよろしくお願いします」

「はい。また」

 と言って二人の恋は終わりを迎える。

 感情の生き物である藤子は、だからこそ自分の別れたいという感情を大切にしていたし、それを相手が受け入れた時点でそれ以上の展開になる必要などないと思っていた。進のときもそれ以前の男たちも、自分の言葉をあっさりと受け入れてくれることは彼女にとって楽でしかなかった。大体向こうとしてもあっさりと受け入れるという時点で自分に対してそこまでの想いしかないということであるのだ。それが藤子としてやや気にならないわけでもなかったが、しかし藤子は決して恋愛至上主義者ではない。この世界は恋愛以外にも考えなければならないことは山ほどあるし、自分の人生も恋愛以外にやりたいことや楽しいことはたくさんある。大変なことや辛いことも多々ある日常の生活の中、恋愛のことばかりをそんなに悩んではられない。みんな大変なんだから、そこで自分もあえて大変な目に遭う意味があるとは思えない。みんな大変なんだから、だから元カレたちが重苦しい気持ちを引きずるようになったとしてもそれは最終的にはみんなが抱えることなのだから自分に特別関係のあることではない。藤子は若い頃から世界を他人事のように捉えるのが習慣だった。というわけで石沢伸典との短い付き合いは短い付き合いとして特にわだかまりも残さず破局を迎えた。


「確かに金持ちであるってだけじゃ恋愛対象にも結婚相手にもならんがね」

「でも真面目だし、誠実ですよ、石沢先生」

「だからと言ってうまくいくわけではないのが恋愛かな。きっと不二子ちゃん的にはどうしても納得のいかないところがあったのであろう」

「わたしとしては論理的に解決されるならそれに越したことはないって思うけどな」

「その割には感情的で直情的なハルと付き合ってるわけだから、結局君たちは高位の影響力という事象に関して宿命的に結ばれた二人なのだろう」

「……う〜ん」

「じゃあ、じゃあおれたちも世界を救っているのかしらん!」

「その可能性は充分にある」

「きらめかないの」

「で、それでいくと石沢先生も不二子ちゃんの影響を受けて世界を滅ぼさんとしている可能性がある」

「あ〜。そういや三村と同じで石沢も“みんなキツいキツいって感情を抱えながら人生を生きてるんだぞ”“みんなも、だからみんなも生き抜いて”とか言ってますね。生徒の奴らも同情心とか共感性がやや薄くなってるかな〜みたいな。おれ的に」

「だってわたしたちまだ高校生だよ? 他人に寄り添うって実際相当難しくない?」

「ハルに感染しているぐらいだから、これから本格的に感染し始めるだろうな」

「またわたしの話を無視して……!」

「このまま放っておいたらこの世界は滅びる。その前におれたちよろずやつかさの出番だ。それで、第三の男、庄野先生っていうのは」

「え〜と……。そうだな。三流の素材で一流の料理を作りましたって感じ」

「パーツは不細工なはずなんだけどね」

「読書が好きで、特に詩を読むのがお気に入り」

「いいではないか」

「でも奨学金が二百万あるって。ようやく二百万円台になったって」

「壊滅的だ」

 というわけで藤子の次の恋物語が始まる。

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