第三話 アイラブユーがなんのその/みんなたいへん・2
「経済大国として中国の存在が無視できないのは三十年前からわかっていたことです」
「中東の宗教並びに石油問題とアメリカ同時多発テロの関係」
「人権は大切ですが西側諸国の価値観が絶対だというのも限界が来ている」
同じく英語を担当しており、立場としては先輩の三村進と付き合ってやや経つが、相変わらずこの人の話はつまらないなぁと藤子はつくづく思う。そもそも自分が英語の勉強をするようになったのは映画を字幕なしで観られるようになりたいという思いから始まったことなのだが、進としては“世界を知りたい”という動機から始まったことのようでルーツがそれぞれ明らかに違う。それでも藤子も藤子なりに国際事情にいち社会人としての興味関心はあったのだが、進のペースにはどうしてもついていけない。この人は交際をするに当たって“相手を楽しませよう”という発想がちょっと薄い人なのだな、ということを、今の藤子はだいぶ悟っていた。
それでもイケメンであり、要するに美形だったので、多少の厄介ごとはその感情でカバーできてきたのだが、そろそろこの人との付き合いも終わりかな、と、藤子は何となく思うようになっていた。
月形藤子はわかりやすく美人であり、グラマラスな体型を誇っていた。彼女としてはルパン三世の峰不二子と名前と、スリーサイズが同じであるということがなかなか女としての自信に繋がっており、故に子どもの頃からだいぶモテる女子として人生を過ごしてきた。それほどの美女がなぜ教師になったのかといえば希望の就職が叶わなかったからである。無論、流石に生徒や同僚にその真実を告げることはないし、教師の仕事は激務で大変だがさりとて別に苦痛ではないためそのまま続けている。ただ例えばこの進のように念願の夢だったというわけではないのでいつでも辞めてしまって構わないと思っている。そうなると寿退社というのが一番ベストなのかもしれないが、しかし一方で家庭に入るという発想も藤子は薄い。やはり自分の金は自分で稼いでいる方が安心であるし、夫の収入に全てを委ねる専業主婦になるというのは幼い頃から兼業主婦である母を見てきてリアリティを感じなかった。ただ、とりあえず結婚してしまって安定を手にできれば、それからの人生を好き放題にできるような気はしていた。子どもは別に嫌いではないがどうしても欲しいというわけではないし、どのみち藤子は子どもというものはあくまでも授かり物だと思っていたから、年齢的にそこはまだ急いでいない。とにかく人生設計において結婚することによる生活の安定が第一だった。
というわけでこの進と、ある日同僚たちとの飲み会があり、ちょっと酔ってしまった藤子にたまたまその夜同じ方向で用事のあった進に介抱され、半ば自動的に男女の関係になってから交際が始まった。藤子はとっくに処女を失っていたし、そうでなくとも元々貞操観念は柔軟な方であり、もちろん誰彼構わずということはないにしろセックスをするということ自体は彼女にとって自然なことだったため、多少酔っていたというのはあるにしろこの美形の進とそれがきっかけで交際が始まったことに特に後悔はない。しかし付き合う前から薄々気づいていたのだが、いよいよ付き合うことになってからいよいよこの美男子は話がつまらないという事実に直面し、藤子はやや困っていた。話がつまらない、というのは致命的だし、この男は自分の話したいことを一方的に話すばかりでこちらの出方を伺うという感性があまりないようであった。それというのも幼い頃から周囲の人間たちに「ふーんそうなんだ」という相槌を打ってもらうことで自分の話を聞いてもらえているという感慨を進が得られ続けていたということが大きいし、当の藤子もそのような対応を普段取っている。まさか進としては情熱を持って話している話に適当に相槌を打たれているとは思ってはおらず、藤子としてはそれ込みで純粋ということなのだろうと思っていたのでその点では好感が持てないでもなかったが、しかし純粋ということと馬鹿であるということは紙一重であるとも思っていた。
ただ進はあくまでも、美形であった。だから多少のマイナスはカバーできるような気がしていた。だがしかし、それももう“多少”どころではないかな、限界かな、と思い、頃合いを見計らって藤子は進とお別れをしようと考えるようになっていた。本当に藤子としては話のつまらない男と一緒にいるのは苦痛でしかなかったから。
この男なら、容姿だけで判断すれば他に女は引く手数多だろうし、と、藤子は他人事ながらそう思う。自分が振ることで彼はちょっと引きずるだろうという予感が彼女にはしていた。だから、それで教師としての仕事に最低限支障が出ないような別れのプロセスを踏まなければならない、と藤子は思っていたし、それがいち社会人として当然の礼儀だと思う。というわけで藤子は進にある放課後、帰り道で別れ話を始めた。
「三村先生。実は、私……他に好きな人ができて」
「えっ」
「申し訳ないんですが」
「えっ……。……でも、そうですか。わかりました」
「短い間でしたけど楽しかったです」
「はい。これからも同僚として、よろしくお願いします」
「それではまた明日」
「はい。それではお休みなさい」
と言って二人はあっさり別れた。一瞬も修羅場めいた空気は生まれなかった。
藤子の恋は割と若い頃からこのような終わり方を迎えることが多かった。振ることはあっても今のところ振られたことは一度もなく、振るにしてもゴタゴタするということは覚えている限り一度もない。大概“他に好きな人ができた”ということで相手は素直に納得する、というプロセスを踏むことが多かった。それだって実際には他の好きな人などという登場人物は存在しないことの方が基本だったのだが、相手としては納得がいくようであった。それというのも藤子がわかりやすくグラマラスな美女だからであり、相手の男性たちは“ほんの一瞬でもこんな美人と付き合えたんだし”という達成感と満足感のもと別れを受け入れるという心の動きになることが多かった。
というわけで月形藤子と三村進のほんの数週間の恋物語はあっさり終わったのだった。
「ところで教師同士で付き合ってるなんて話が校内で噂になってるのかい」
「噂っていうか、まあ、噂なんすけど。だから実際のところはわかんないんですけど」
「なんだ。じゃ、付き合ってないかもしれないのか」
「いや〜。でも三村の奴、不二子ちゃんの話をちまちまするようになってたんすよね。今、不二子ちゃん関係ある? みたいな。それで、あ、付き合ってるんだなーって。まあ噂は噂の領域を出ませんが」
「で、あ、別れたんだなーっていうのは、わたしたちに向かって“みんな辛いけど頑張って仕事したりしてるんだぞ”っていう教育方針を取るようになったよね」
「そうそう」
「なるほどね」
「みんな辛い思いしてるからお前たちも頑張れ、っていうのは、本質的じゃないよね」
「な。頑張るって本人が頑張りたいから頑張るわけなんだもんな」
「ふむふむ。で、その後は?」
「その後っていうか、今がその後っす。三村、ちまちまため息なんてついちゃって。でもとにかく不二子ちゃんの話を避けるようになったから、あ〜振られたんだなと。それで次は石沢先生」
「そいつはどんな男だね」
「石沢先生は特に特徴のないイケメン。決してブサメンではないし、イケメンかブサメンかなら間違いなくイケメンだけど、でも特に特徴はない感じっすね」
「数学担当で、論理的に物事を考えるタイプ。かつお金持ちのお坊っちゃま」
「いいではないか」
「しかし不二子ちゃんの好みではない」
「絶望的だ」
というわけで藤子の次の恋物語が始まる。




