第二話 ヘルプミーの向こう側/どっちもどっち・4
「美奈子は小さい頃に父親から虐待を受けていてね。それも細かいことまでは言えないんだけど。その後遺症でちょっと変わった女の子になってしまった」
「美奈子は小さい頃、春元くんのことがちょっと好きだったらしいんだ。君は彼女のことを知らないけど、彼女は君をずっと見ていた。でも一方で、おれの兄貴の壱也のことも惚れていた。ああ、二股とかじゃないんだ。まあそれを言えば片想いで二股も何もあったもんじゃないけど」
「でも壱也は死んでしまって……交通事故だったんだけど。それは君の飼い犬ナッツが死んでしまった直後に、壱也も車に轢かれて死んでしまった」
「美奈子はその現場をなんと連続で見てしまって、それからずっと君に関心があるようなんだよね。だから君を捜していた——だから君と繋がったことで、とりあえず彼女の目的の第一歩は果たせたようなんだけど、そのあとはちょっとわからない」
「おれは美奈子に罪悪感みたいなものがあるんだよね。兄貴は彼女に親切にしていたんだけど、おれはちょっと関わりたくなくて。でも、だから一応、彼女に協力というか、話を聞くぐらいのことはしてるんだけど、それももういいのかな、って」
「とにかく君が思い悩むことじゃあないんだ。今後美奈子が春元くんに何をするのかわからないけど、悪いようにはしないから」
……という弐葉の説明を聞いて、晴翔は、
「はあ」
としか言えなかった。
音楽室に再びやってきた弐葉は、晴翔と会話が始まったと思ったら矢継ぎ早に話をしていったのだが、それにしてもあまりにも一方的かつ断片的過ぎて晴翔には何が何だかわからない。とにかく美奈子という女性は子どもの頃自分に片想いしていたことはわかったが、だからそれで自分に今何の用事があるのかが曖昧模糊とし過ぎていてい全くわからない。だから当然、晴翔はこう言った。
「話が全くわかんないっす」
すると弐葉は、ふふっ、と微笑んだ。
「まあ君も誰しもがね。人間関係は複雑に関与しているものなのさ」
「はあ?」
「じゃあおれはこれで。とりあえず——穏やかにやって行けたらいいと思うけど」
「は」
「でも、みんな、どっちもどっちだから」
それは大心のここのところの口癖だ、そんなことを言われてもこっちはこっちで言いたいことがあるのだからそれを無理やり無差別に扱われるのは困る——と思うと同時に、自分が先日隆起に“高位の影響力”を抹消されたことを思い出した。自分に一体どのような力が及んでいたのかはわからないが——しかしもしその発生源が大心なのだとしたら、この呉弐葉という男子生徒も大心の影響を受けたのだろうか。
しかしその割にはこの男と大心に特に関わりはなかったように思うのだが……。
「じゃ」
と言って弐葉は立ち去る。「あ、ちょっと」と声をかけようとしたタイミングで部室にバンドメンバーたちがゾロゾロとやってきて、遂に晴翔は弐葉に事の追及がそれ以上できなくなってしまった。
公園でナミと弐葉はベンチに座ってそれぞれ缶コーヒーを飲んでいた。
「で、結局——ナミは春元くんをどうしたいんだ」
そう訊ねるとナミは、ふふ、と微笑み、
「殺すの」
と答えた。
「穏やかじゃないね」
と、穏やかに反応する。
「わたしと美奈子の人格を統合する必要がある」
「彼の飼い犬のナッツが死んで、壱也が死んで……それで春元くんが死ぬとどうして君たちの人格が統合するのさ」
「わたしには死が必要なの」
「はあ」
「美奈子の片思いをしていた唯一の相手だもの。こうやって全ての愛が消えることで全てはうまくいく。死は誕生の始まり」
訳のわからないこと言うナミを横目に、どうせこんなものは彼女に元々ある妄想だ、と、思って弐葉は立ち上がった。
「とにかく、春元くんと接触できたわけだから、おれにやってほしいことっていうのはそこまでなんだろうな」
「そう。あとはわたしがやる」
「しかし春元くんもよくもまあおれのいる高校に入ってきたものだ」
「全ては運命ね」
運命ねぇ。
完全に呆れ顔でこの妄想癖の女の横顔を見る。
二重人格の当事者なのだから妄想ぐらいあっておかしくないのだろう、しかし、自分の役割はここまでだ、と弐葉は解放感でいっぱいだった。つくづく晴翔が音楽部員で良かったと思う。そうでなければ自分が晴翔と接触するタイミングなどないに等しいのだから。
まあ春元くんよ。忠告はしたし——後、君がどうなろうが、そんなことはおれの知ったことではない。どうせ世の中何でもかんでもどっちもどっちだ。それぞれの事情がそれぞれに悪い結果をもたらしても、そういう風に世界はできているというただそれだけの話である、と、弐葉は半ば無理やりそうまとめ、やがて一応言っておいた。
「殺すって言っても、そんなことしたら美奈子のためになるとは思えないけど」
「統合されるのだから美奈子のためにもわたしのためにもなるもの」
「あっそ。じゃあ、お好きに」
もうこの妄想狂と関わるのはごめんだ、おれの罪悪感による仕事もここまでだ。そう思って、弐葉は消える。
そして弐葉と入れ替わりで、ベンチに隆起がやってきた。
「お隣、いいですか」
と訊ねられたので、もちろん男性として女性に一応質問しなければならないことであるのは慣習的にわかったナミは、「どうぞ」と答えた。
隆起はスマホを取り出して天気予報を見る。
少し時間が経ったのち、ナミは立ち上がった。
その瞬間、隆起はスマホを地面に落としたので、ナミはそれを拾おうとした。するとそこで隆起と手が重なったので——一瞬、気絶した。
「……?」
「すみません。どうもありがとうございます」
と言って、隆起も立ち上がり、どこかへと向かう。後に残されたのはどこかぼんやりしたような表情の美奈子だけだった。
「残っているのは大心くんだけか」
そう呟き、隆起は帰路へ着く。
「こーの、どうだね」
店でパソコンに向かっている最中の司に声をかけると、司は待ってましたというかのように後ろを振り返った。
「多分だけど、数週間前の交通事故を目撃したことで谷川くんに何か異変が起こったんだね」
「町中の監視カメラにアクセスするっていうのも大変だ」
「彼が高位の影響力の持ち主?」
「というより、その残滓が強烈に残っていて、それが事故を見て発動した——と考えるのは乱暴だろうか?」
「菅生という女性は?」
「無論、彼女も影響を受けていたさ。だから彼女の影響力も人格ごと抹消したので連鎖的にハルへの接触ももう行われないはず。あとは弐葉くんの性格がそのままあればいいし、あの少年の冷笑仕草で彼がどうなろうがそんなことはおれには関係ない」
「なるほどね。となると本体として残る登場人物といったら——」
ふむ、と隆起は呟く。
「呉壱也しかいないねぇ」
「こんにちはー」
という晴翔の大きな声に、司は微笑む。
「さて。これでまた世界は滅びずに済むわけだね」
リビングのソファには晴翔、紗夏と、そして大心がそれぞれ腰掛けていた。
大心はちょっと不安そうに晴翔に訊ねる。
「何でも屋さん、ねぇ」
「近くまで来たしさ。ここでパン食おうよ」
「いいのかなぁ。初めて来た店で食事するって……」
「いいのさ。なー紗夏」
「わたしに聞かないで」
と、そこに隆起が現れた。
「やあいらっしゃい少年少女たち」
「あ。こんちはツーちゃんさん。ここでパン食っていいって言うから来ましたぁ」
「おれたちの分は〜?」
「もち。大量に買ってきましたよ」
「そりゃありがたい。これで紫乃さんのお茶がもっと早いタイミングならなおいいんだけどねぇ」と言って隆起はソファに座る。「この子は?」
「あ。友達の——」
「谷川です」
と挨拶をしてくれたので、隆起はにっこり笑って右手を差し出した。握手だ。
「あ、どうも」
「どうも。おれ、津笠隆起と申す」
そして手を重ね——。
強烈な電撃が走るのを紗夏は見る。
(うーん)と、紗夏は訝しむ。(高位の影響力、ねぇ……)
少なくとも自分の周りで言うと、晴翔の友達の大心が見知らぬ女性に声をかけられた、その女性が晴翔に謎の接触をしてきた、という事実があるだけで、その接触の後どうなるのかを紗夏は気にしているのだが、あるいはこの“抹消”によって全ての片はついたことになる——のだろうか……?
(適当な話)
ほんの瞬きほどの間の気絶の後、大心ははっと気がついた。
「ああ、また」
「また?」
うっかり喋ってしまったが、こうなってくるともう話さない方が不自然なのだろうと思って大心は言った。
「最近、記憶が吹っ飛ぶようになっちゃって」
「大丈夫?」
と訊ねる晴翔に、
「大丈夫さ。そんなこともあるのが人生かな」
と、隆起は笑って言った。
……というわけで、今回の物語もここで終わる。
隆起はいつものようにワンとLINEをしている。
『世界は再び救われたわけだね。それを理解しているのはツーだけだ』
『まあ何でも屋の暇潰しみたいなもんだからね、影響力の抹消は』
『君たちはいつも暇だねぇ』
『そんなことないよ。平成ゲームは無限だし、こーのはこーのでデイトレで忙しいし何だかんだお家のこともある』
『暇ってことさ』
『そういうことにしておいていいよ』
『今回、何だか訳のわからない事態に陥っていたようだね』
『全てを知る者だけが全てを知っている。おれに推測できるのは、おそらく呉壱也の高位の影響力が死後、大心くんの力として発現したということだけだ。菅生女性も弐葉くんもね』
『いつ頃、高位の影響力と変化したのかは』
『神のみぞ知る。とはいえ大心くんの場合は交通事故を見て昔の記憶が引っ張り出されたんだろうね。あるいはそれが弐葉くんに影響を与え、やがて菅生女性にも影響を与えたのかもしれん。もっとも彼と呉壱也にどういう繋がりがあったのかまでは流石のこーのでもわからない』
『謎が謎を呼び謎のまま全てが終わったわけか』
『そ。ま、おれにとっては真実なんてどうでもいいのさ。それこそ紗夏ちゃんの友達が関与している可能性だってあるのかもしれないんだぜ』
『なるほどね』
『世界が無事ならそれでいい』
『半径三メートル以内の、だろう?』
『もちろんさ』
つまりこうして世界は救われたのだった。しかし、事の詳細を知る者は、この世界のどこにもいないのだった。




