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2-18.人の世で生きるために

 帰り道。二人分の足音が、夕焼けに染まる石畳の通りに響く。

 影を伸ばしながら並んで歩く、ミルキィとミルベルに言葉はない。

 精霊準備祭で日中は賑わっていた通りも、夕時になれば人はまばらで、すれ違う人も殆どいない。

 通りに立ち並ぶ露店は店じまいを始めており、閑散とした空気が漂い始めている。夕時の静けさと、さみしさが入り交じる。

 向かい側、小さな子の手を引く親子の姿が見えた。

 ミルキィは獣の耳と尾を隠すため、ミルベルが持ってきてくれた膝丈のアウターのフードを目深に被る。

 ひゅっ、と呼吸が細くなった気がして、自分で自分にほろ苦く笑う。

 魔族として生きていくと決めた。けれども、この姿を人に晒して生きていけるかと言うと、否だ。

 ――隠れて、隠して。そう生きていく。

 そんなものは気にせず自分として生きていけばいいじゃないか。そんな面倒な生き方をして何になる――そんな気持ちは、相変わらずミルキィの中で燻っている。

 だが――ミルベルがミルキィの反対側へ、すっと移動した。それはすれ違うだろう親子とミルキィの間。

 目深に被ったフードの中で、ミルキィの金の瞳が揺れる。

 そう、ミルキィが大事にしたいものは、ここに在る。

 だから、人の世で生きてくために、隠れて、隠して、そうやって生きていくのだ。

 そして、隠したものに気付かれることなく、互いに軽く会釈をして親子とすれ違う。

 それにほっと息を緩めると、隣を歩くミルベルが口を開いた。


「あんたは誰かと精霊祭周るの?」


 ちらりと肩越しに先程の親子を見やってからミルベルを見やり、首を横に振る。


「ううん。ルカはあれでいないし」


 少しだけ、いじけの気配が声に混ざる。

 ルカのことを考えると、胸に何かが凝る。

 ミルベルが苦笑しながら「そっか」とだけ返した。


「バロン君は?」


「あの子は……なんか、忙しそうだし」


 精霊間で何か起こっているらしいというのはわかるが、それが何かまではわからない。

 精霊の問題と言われてしまえば、精霊ではないミルキィに出来ることはない。

 そこに抱く疎外感のようなものに、またさみしさが滲んでしまうのは、夕時の時間帯のせいだからか。

 ついっと視線を上げて夕空を見やる。ほんのりと橙に染まりゆく空は、やはりさみしい色に思えた。


「あんまり上向くと、フードが落ちるよ」


 横から伸びたミルベルの腕がフードを引き上げる。

 それでも何も言わないミルキィの横顔を見、ミルベルはきゅっと眉根を寄せてから、それからゆっくりと口を開いた。


「……なら、お母さんと周る――?」


 遠慮がちで、控えめな声。

 ミルキィは空を見上げたまま、ぱちりと金の瞳を瞬かせた。ゆっくりと振り向き、ミルベルを見る。

 視線の合った母は、どこか挑むような色を湛えていた。

 ほんのりと橙に染まりながら、伸びゆく夕時の影がミルベルの顔の陰影を濃くしていく。

 もう一度、ぱちりと金の瞳を瞬かせる。

 

 ――変わろうとしているのは、自分だけではない。


 ぽかぽかと胸にあたたかい何かが灯る。これは、嬉しさか。

 緩み始めた口元を引き結び、それでも湧き上がる気持ちは抑えられなくて。その気持ちのままに、母へと抱き着いた。

「うん……」という声はしっとりとしていた。

 ずれ落ちたフードに、ミルベルが慌ててミルキィの頭に引き上げる。

 己に抱きつく娘に、ミルベルはやれやれと苦笑しながら、アウターの中で暴れる彼女の尾に気付いて、笑みを深めた。彼女の尾は気持ちに正直だ。

 距離の縮め方はまだ手探りだけれども、たぶん、こんな歩み寄り方でいいのだろう。

 まずは一歩ずつ――。ミルベルはミルキィの背に腕を回しながら、自然と手は娘の頭を撫でていた。




   *



 

 ――空気が動いた。


 撫でられながら、ミルキィはその心地に閉じていた目を開く。フードの中で金の瞳が紅の色に変じた。

 夕時の少しずつ夜に染まりゆく時間帯。ミルキィの瞳が妖しく光を帯びる。

 倒れていた獣の耳が立ち上がると、被っていたフードがまたずり落ちる。

 ミルキィのまとう空気が色を変えたのを、ミルベルも瞬時に感じ取っていた。撫でていた手をおろし、不安はらむ瞳を揺らす。

 ミルキィはその瞳の奥に怯えの色を見た。それはすぐに押し隠されてしまったが、本能的な畏怖は仕方ないと、ミルキィはミルベルから身体を離す。

 だが、そうは思ってもミルベルの手を取った。ミルベルの肩が小さく跳ねた。


「ミル……?」


 戸惑うミルベルの声を耳にしながらも、その耳は立ち上げたままに辺りを警戒してあちらこちらを向く。くんっ、と鼻を鳴らした。

 嫌な気配(におい)がする。紅の瞳に鋭い色が宿る。


「お母さん、こっち」


 手を引いて、通りから外れる細い路地に入った。

 その時、ふいに視界の端に見えた。不可視なあの、もやが。

 素早く建物の影に身を潜ませ、ミルキィは通りを振り返った。視界が僅かに陽炎のように揺らめく。


「このもや、どっから?」


「もや……?」


 ミルベルは訝って通りに目を向けるも、視界には何も映らない。

 ミルキィには何が視えているというのか。ミルベルは目を凝らして身を乗り出す。が。


「――お母さん、顔出さないで。もやに絡まれちゃうから」


 すぐに腕を引かれ、建物の影に引き戻される。


「だから、その『もや』って何を――」


 振り返って何が視えているのか訊こうと口を開いたが、通りに目を向けるミルキィの眼差しが思いの外険しく、口をすぐに閉じた。

 ミルキィのまとう空気が刺々しく、ひりついたそれになる。

 本能的にミルベルは息を詰めた――これは、ミルキィの人ならざる面が強く出ている。妖しく光を帯びた紅の瞳は、その現れ。

 ミルベルは努めて呼吸を意識する。

 その横で、ミルキィは耳で音を拾っていた。あちらこちらへ向いていたのが、一つの方向に向けられる。

 通りに漂い浮かぶもやが、吸われるようにして流れ始めた。様子が変わったもやに警戒を向ける。

 耳が拾った音は、足音。二つ。


「……この軽さは、女の人かな。二人。だけど、その一人は足運びが変」


 それに、と。くんっと鼻を小さく鳴らす。


「お酒、飲んでるのかも。お酒の匂いがちょっと強いや」


 建物の影から様子を窺うミルキィは、その匂いに少しだけ顔をしかめた。

 露店には酒を出す飲食露店もあったなと思い出す。

 ややして、夕時の影を伸ばしながら通りを歩く二人の姿が見え始めた。

 薄暗がりになりつつある通りでも、ミルキィの紅の瞳ならば二人の姿を見透せる。

 一人は赤ら顔で、その足取りはおぼつかない。もう一人が肩に腕を回してくれていることで、なんとか歩けているようだ。

 距離はあるというのに、二人の会話をミルキィの耳はしかと拾う。

 ――やってられるか。なんで自分ばかり。

 ――飲みすぎだよ。祭りの雰囲気に呑まれて飲みすぎるから。

 ああ、声色から判る。あれは、負をはらむ韻だ。

 舞い浮かび、流れが生まれていたもやが、あの二人の女性に引き寄せられていくのが視えた。

 それは特に、赤ら顔の女性の方により濃く、絡みついて。

 警戒心が強まる。日が暮れ、夜の気配が濃くなりつつあった。

 夜に包まれた始めた中で、ミルキィの紅の瞳がより濃く気配をまとって光を帯びる。

 もやに絡まれた女性がふいに足を止めた。

 ミルキィらとの距離はまだかなりあるはずなのに、女性に絡みつくもやの度合いが増したのを肌で感じ取る。

 どうしようか。どうするのが正しいのか。

 今この場に、バロンもミントも――精霊はいない。ミルキィには、あのもやをどうすることも出来ない。

 なら、どうすれば――。険しさに顔を歪めたとき、突として耳に痛みが走った。

 「いっ」と声はもれ、一気に意識はそちらへ持っていかれる。


「お母さん、耳っ! 耳、引っ張らないでっ!」


 痛みに潤む瞳でミルベルを見やった。

 その瞳の色が、紅から常の色である金に戻る。

 軽くミルベルを睨んでいると、彼女が詰めていた息をほっと緩めたことに気付く。

 あ、と息がもれた。


「……もしかして、怖かった……?」


「怖かった。だから、そういう雰囲気は隠しなさい。――人の世で生きていくなら」


 ミルベルが真剣な眼差しをミルキィに向ける。

 呆気にとられ、ミルキィはしばし金の瞳を瞬かせた。


「うん……わかった……」


「なら、よろしい」


 口の端を上げ、ミルベルが笑んだ。

 その顔に恐れの色はない。いつかのような震えもみられない。

 ただ怖さを隠しているだけなのか。それはミルキィにはわからない。

 けれども、ミルベルはきちんとミルキィと向き合おうとしてくれている。それが嬉しかった。

 ミルベルがくしゃりとミルキィの頭を一撫でしてから、落ちていたフードを引き上げる。


「ミルがお母さんを護ろうとしてくれたのは、なんとなくわかってるつもり」


 ちらりとだけ通りの方へ視線を投げ、またミルキィを見やる。


「巻き込まれないようにしてくれたんだよね?」


 瞬、通りの方がにわかに騒がしくなった。

 二人して建物の影から通りを覗き込めば、人が集まり始めている。

 通りかかった人や露店で店じまいをしていた人。それに、家から出てきた近所に住まう人の姿まであった。

 言い争う女性二人の間に割って入り、止めようとしている様子で。けれども、赤ら顔の女性が止めに入った人の胸ぐらを掴む。

 うわぁ、と声をもらして、ミルベルは顔を引っ込めた。

 だが、ミルキィは顔を引くことはせず、もう一度だけ赤ら顔の女性を見る。

 彼女の周りを漂うもやが、その濃さを増していた。姿が陽炎の如くに揺らめいて見えるほど。もやを纏い、霞む。

 声音から感じた負の韻を思い出す。

 バロンが言っていたことは、こういうことなのだろう。

 ――もやに絡まれると、負の感情を増幅させてしまう。

 最後に一瞥し、ミルキィは路地道に戻る。騒ぎが大きくなる前に、この場はさっさと立ち去った方がよさそうだ。

 声をかけようとミルベルを振り返れば、ちょうど耳元からスマートフォンを離すところだった。

 ちらりと見えた画面は通話画面。


「どっかに電話?」


「そう、警察に」


 ミルベルは画面を消すと、スマートフォンをズボンの後ろポケットへ入れた。


「これで、目撃しちゃったことへの義務はたしたと思うし、帰ろっか」


 巻き込まれるのはごめんだし、と。

 苦笑するミルベルの視線がミルキィの頭へと向けられる。

 ミルキィも自身の頭部に触れ、存在を主張するように振れた尾をちらりと見る。

 確かにこの状況でより騒ぎが大きくなるのは避けたい。

 それに、通りを逸れて細い路地に入ったのは、そのごたごたを避ける意味合いもあった。


「帰ろ」


 ミルベルがくるりと身体の向きを変え、路地の奥へと進んでいく。

 ミルキィはフードを深く被り直し、ミルベルを追うべく足を踏み出した。

 が、視界の端の景色が揺らいだ気がして、足を踏み出したまま動きを止めた。

 ちらりと横目に視線を動かす。

 揺らぐ景色。ぶれるように映るそれに、もやだ、と小さく呟く。

 しばらくもやを見つめていると、両の耳がぴんっと立ち上がる。路地奥からミルベルの呼ぶ声がした。


「帰ったらバロン君に話そう」


 そう決めて、視線を外す。

 もやのことを気に留めながらも、ミルベルに「今行くっ」と返事をしながら路地奥へと駆け出した。



 

 その場に残されたのはもやだけ。

 くゆりと揺らぎ燻り、何処かへと流れていった。

これにて、第二章終了です。

第三章の作業に入るため、またしばらく更新停止します。

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